第一章:目覚めない夢 vol,5

前話: 第一章:目覚めない夢 vol,4

ココココココココ…ココ…バタバタバタバタバタ!!

ベランダから聞こえる鶏の鳴き声と羽を動かす音に起こされ、そしてふと気がつくと横にいたはずのチャンがいないことに気付いてユキは慌てて飛び起きた。

急いで部屋を出てベランダを見ると、そこにはチャンと、羽をバタバタさせて抵抗している鶏がいた。

チャンがここに来てからというものの、安心して寝ることが出来なかった。なぜなら、チャンの潔癖性は病気レベルで、ユキと一緒に寝ることもままならなかったからだ。

来たばかりの頃は仕方なく同じベッドで寝ることにした。それでもチャンの要求は厳しかった。

「まず、歯をちゃんと磨いてからベッドに入ること。それに、あなたと私の枕の位置は逆ね。あなたの頭の横に私の足が。わたしの頭の横に、あなたの足が来るようにするの。」

「わかった、でもそうしたら、頭を蹴っちゃうんじゃないの?」

「大丈夫、頭を蹴ったら、その時は叩き起こしてあげるから。」

大丈夫の意味が分からなかった。

そういうわけでユキは、チャンが来てからの3日ほどはうまく眠れず、夜中に何回が起きては自分の足の位置を確認する、みたいな生活を送っていた。

なによりユキを不眠にしたのは、夜中にチャンがこっそり部屋から出て行くからだった。

何をしているのか分からなかったが、一度チャンが部屋を出た後の様子を観察していると、どうやら車庫に入った自分の車の中に戻っているらしい。そして、朝方になるとチャンはベッドの中に帰ってくる。

ユキは、そのままチャンがいなくなっちゃうのではないか、そしてこの季節外れの雪がまだ降るようなこの気温の中で、チャンが朝になったら死んでいるのではないか、という不安が常によぎった。

そう心配するユキを気遣ってなのか、チャンは4日目急にどこからかマットレスを持って帰って来た。

ドスン、とキッチンと今の間のスペースにそれを置いて、簡単にシーツを引く。そして、

「今日からわたし、ここで寝るから。」と独り言のように言い放って、チャンとユキの二人部屋はあっという間に解消となった。

「ユキ、買い物行くよ。」

そう言って、いつものショートパンツにスニーカー。パーカーのフードを深く被ってチャンがユキに合図した。

相変わらず午前中で終わるフリースクールの後が退屈で仕方がなかったユキにとって、車を運転できる従姉妹の姉が家にいてくれることが救いだった。

「わかった、今日は何を買いにいくの?野菜は必要ないからスーパーは行かなくていいよ。」

「今日は、車で一時間くらいかかる場所にある大きなショッピングモールに行こう。あそこで欲しいバッグがあるんだ。これ。」

「へぇ・・・」

ひょい、と目の前に向けられた携帯の画面には、ブランド物に疎いユキがあたり前にスルーしそうなゴテゴテのバッグが載っていた。

「に、にじゅうよんまん?」

「そ、二十四万くらいじゃないかしら?日本円で言うと。」

ものすごく軽い返事だけして、チャンはそそくさと赤黒い階段を下りていってしまった。

ブランドに疎いことは確かだが、バッグ一つに二十万円以上もかける人間の精神が分からなかった。それに、そのバッグを買うためにわざわざ片道一時間もかけてショッピングモールに行くなんて…。

だが、最もユキを驚かせたのはこの後だった。

片道1時間もかけてショッピングモールに行く、そこまでは良い。ブランド物を買う、それも個人の好みの問題だからそれでいいだろう。

しかし、チャンはそのお店に着いてたった一つのバッグを、持ったり持たなかったり、触って見たり、店員さんと話をしたり、また持ったり。それを繰り返して、なんと同じお店に4時間もいたのだ!

もちろん、同行者のユキにとってそれはとてつもない時間で、もう一章分くらいの時間が過ぎたのではないかと思うほどだった。

チャンは散々鏡越しにポーズを決めては、持ち直して、触ってを繰り返し、結局最初に欲しいと思っていたバッグを購入した。

到着から約5時間。ようやく店から出た。

「良かったね、明日から使えるね。」

「うん、でも、使わないの。」

「え?なんで?」

「使わないのよ。買うことが目的なの。」

そう言ってチャンはアクセルを更に深く踏み込む。その言葉通り、チャンは一度も使わず、合計6時間以上かけて買った二十四万円のバッグを自分のマットレスにポンと投げ置き、タグをそのままにして2日後、返品した。

ユキには全く意味が分からなかったが、同じようなことが二、三回繰り返されていくのを見て、チャンは典型的な買い物症候群であることが分かった。

彼女はとにかく、高額なブランド品を、その時に買えるという感覚や満足感が好きなのだ。でも、男の子よりも短く切られた髪の毛にショートパンツ、スニーカーを履いて深くフードを被った自分がそのようなブランドバッグを持てるはずがない。そうやって、買える自分の満足感と、持つことが許されないような自分自身とのギャップに、どこかハマってしまったのだろう。

まるで、充足と自己嫌悪を繰り返すように。その間に何か、自分の生命を感じる感覚でもあるのだろうか。だとしたら、彼女は相当のエムだ、と。

ユキはどこかで感じていた。

思えば昔からそうだった。彼女はいつも、極端な両端を兼ね備えていて、それを行ったり来たりしながら、何かを感じていた。

心の扉が開いたかと思えばすぐ閉じ、優しい言葉をかけた途端、ものすごく汚いセリフを吐き捨てる。

チャンの精神状態が安定しなかったのは、叔父のリーのせいである、とユキは信じて疑わなかった。

確かに奇想天外な従姉妹の姉ではあるが、どうしたって一人っ子の自分にとっては大切な実の姉。そんな存在だったからこそ、今のチャンの姿を見て、ユキはますますリーに腹を立てるのだった。

「ただいま」

「お帰り。ごはんで来ているよ。」

「あぁ、お腹すいたよ。チャンはどこにいる?」

「チャンは自分の車の中で音楽を聴いてるよ。狭いところにいるのが落ち着くんだって。」

「そうなんだ、あいつは頭がおかしい。今から呼んでくるからな。」

頭がおかしいのはあなたよ、そう心でユキはいいながら玄関を出て行く叔父の背中に視線を向ける。

アメリカに来てから、リーにこの冷たい視線を向けるたび思い出すことがある。それは父の姿だった。

叔父に対して送るこの視線は、自分の父親に送る視線とどこか似た温度をしていた。

『いやだな…日本帰りたくないな。』

ふとそう思った時、後ろの方からもの凄い喧騒で怒鳴りあうチーとチャンの声が聞こえてきた。

「お前は頭がおかしい!どうしたらそうなるんだ!」

「うるせぇ!お前のせいでもあるんだ!」

「いつもそうやって人のせいにする、お前はいくつだ!」

「うるせぇって言ってるだろくそ親父!」

「だからお前はなんて言葉の使い方を!」

果てしないやり取りを背後で感じながらユキは、そういえば自分は父親に対してここまでぶつかったことはなかったな、と思った。

チャンのように、クソ親父とか、お前のせいだとか、言いたくても言えない言葉がたくさんある。それを後ろのこの二人は、今からごはんだというのに、怒鳴りあってぶつかりあっている。

そんなことを考えたら、心が重くなった。

あたため終わったスープの火を止めて、ユキは後ろで怒鳴りあっている二人に向く。

「いいにおい〜これ、なんのスープ?ユキ」

「これは冬瓜と鶏ガラの煮込みスープだよ」

「ユキはチャンと違って料理がうまいからな。」

「お父さんのごはんがこの世で一番まずいし!」

「なにっ・・・」

アツアツのスープを持ったユキを挟んで二人がまたケンカを始めそうだったから、はいはいとなだめてご飯にしましょうと、ユキが仲介役になって場は静まった。

つづく

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