第一章:目覚めない夢 vol,4

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『ユキに会える。』


ただそれだけを思って、アクセルを踏み続けた。この国の高速道路は自分の性に合っている。スピードを出すことが許され、何よりもそれによって自分の運転スキルを試せるような環境にあるからだ。

チャンはアクセルを更に踏んだ。暗闇に映る街頭の灯りの流れていくスピードが早くなる。


この10年、ユキに会いたくてたまらなかった。そして、この10年で起きた全てのことをユキに話してぶちまけたいと思っていた。

彼女がそれをどう受け取るかは別として、きっとユキなら、自分の10年を分かってくれるだろう。

どれだけ辛かったか。どれだけ私が大変な想いをしたか。そして、今も同じくどれだけ辛いのか…。

ユキに話したくてたまらなかった。アクセルはどんどん深く踏まれていく。


思えば、この10年間は、最悪の日々だった。自分が世界で最も不幸な人間であると信じる条件があまりにも多すぎた10年間だった。

あげればキリがない。でも、自分は何も悪くない、断じて悪くない。全て悪いのはあいつらなんだ。

あいつらのせいで、私の人生はめちゃくちゃになった。取り返しがつかないことになったんだ。それをユキに知らせたい。

自分の人生がどれだけめちゃくちゃなことになったのか、早く知らせたくてたまらない。


チャンの頭の中では、既にユキに自分のたまった鬱憤をぶちまける想像でいっぱいだった。


『わたしは何も悪くない、そうよ、わたしは何も』



アクセルは、深く沈んだまま、古いホンダの車が夜中のハイウェイをかっとばしていく。




『人って、10年でこんなに変わるの…?』


それ以外の感想が出ないほど、立ち尽くしたのは、ドアをあけたチャンを見た時だった。それは決して、悲観的な感想ではないのだけど、感動の再会というものとはほど遠い瞬間だった。

ユキが描いていたチャンとは違い、目の前に立っているのは自分よりも少し身長が小さくて、ジーンズのショートパンツに、上はグレーのパーカーを着て、そのパーカーのフードを深く被ったチャンの姿だった。

身長はおそらく、会っていないこの10年間の間でユキがチャンを抜いたのだろう。それは容易に受け入れられたが、化粧っ気のない顔に深く被ったフードからちょこっと見えるベリーショートの髪型は、どこからどう見ても幼少期の頃のチャンとは遠い存在だった。


「ひさしぶり。」


「ひさしぶり。」


てっきり、感動の再会でハグでもするのかと思いきや、二人ともぎこちなく互いを観察している。

やがて、チャンの車を誘導しに下へ行った叔父のリーが戻って来て、そのぎこちない空気はもっとぎこちなくなった。

それもそのはずだ。ユキはチャンと10年ぶりに会うのだが、リーもまた同じくらい、チャンと会っていなかったからだ。

いくら連絡を取っているとは言え、長い間は慣れて暮らした実の娘を、このみすぼらしいアパートに連れてくるのは気が引けたのだろう。


立ちすくむ二人の横を通り過ぎて、リーがお昼ごはんの支度をはじめた。


「身長伸びたね。今何センチ?」

「162センチだよ。お姉ちゃんは?」

「158センチ。ユキの方が大きくなっちゃったね。」

「そうだね。ここまで車で来たの?何時間かかったの?」


「あ!」


その時、何かを思い出したかのように、チャンが階段を駆け下りていった。

どうしたのだろうと、ベランダから眺めていると、何やら大きな赤いバケツみたいなものを抱えて戻ってくる。何やらとても重そうだ。バケツ?と思っていると、勢い良くドアが空いた。


「ちょっとそこどいて。」


ベランダに出ていたわたしにあごで指示を出すと、チャンは抱えていた赤いバケツをベランダに置いた。

その時だった。


「うわぁああああ!」


赤いバケツのふたが勢い良く空き、そこからなんと鶏が一羽、見えたのだ。ユキがびっくりした声をあげている横で、チャンがその鶏を撫でる。チュッチュッチュと口で音を鳴らしながら、キッチンにいる叔父のリーにむかって叫んだ。

「お父さん!キャベツ持って来て!」


その叫びは、もはや家にキャベツがなくても今すぐ買ってこいと言わんばかりの勢いで、ユキはふと10年以上前のことを思い出したのである。

確かに叔父との関係は悪かったにしろ、チャンは家族の中でも要求を通す子どもだった。誰もが彼女の要求には逆らえない。そのような気迫を持っていた。


『相変わらずだなぁ…』と思っていると、チャンが説明をはじめる。


「この子はね、本当は友人から食用にゆずり受けたんだけど、どうしても自分では殺せなくて。それでしばらく飼っていたら、ペットのようになったんだ。ほら、卵も産むんだよ。」

「たまご?食べられるの?」

「わたしは食べているわ」


赤いバケツの中から卵をひとつ取り出してくれた。もしかして、私もこれを食べるのか…?と、チャンならしかねないことを想像して、背筋に悪寒が走る。

ユキはチャンとは違って、本を読むことや、書道をすること、絵を描くことが好きな子どもだった。その一方で、チャンは動物と戯れたり、近所の男の子たちとかくれんぼをしたり、とにかく外交的でやんちゃだった。


ベランダで鶏とたわむれていると、リーがごはんの合図を送ってきた。

いよいよ、久しぶりの三人での食卓。ユキは、リーとのつまらないごはんの時間が大嫌いだったので、チャンがいてくれることに心底有り難いとおもった。


叔父のリー。
叔父の娘、チャン。
日本から逃亡してきたユキ。

謎の三角形が食卓に並ぶ。

こんなのは、何十年ぶりだろう…と、ユキは思った。



そんな有り難さに浸るもつかの間。

チャンがいきなり騒ぎ立てて、怒り狂ってキッチンに駆け込んだ。持って帰って来たのは、お箸が一膳と、三人分のお茶碗だった。もちろん、テーブルにはお茶碗が用意されているし、箸も既にみんな握っていた。

しかし、チャンは凄まじい険相をでこちらを見ている。


「ダメよ。唾液をつけちゃダメ。病気は人の唾液から移るの。必ず菜箸を使って。それからお互いに触れないようにすること。いい?」


ユキもリーも呆然としたまま、何がなんだかよく分からず、ただ言うことを聞くしかなかった。

「それにお父さん。あなたは一番汚いから、絶対にわたしと同じ箸を使わないでちょうだい。手も消毒してね。ここにスプレーがあるから。」

と、そう吐き捨ててテーブルの上に、消毒スプレーを置く。

ユキはともかく、叔父のリーはそれに対して苛立を隠せなかったもようで、第一回目の三人での食事は、リーとチャンの喧嘩三昧で終了した。

ユキはその二人が怒鳴りあっているのを、静かに横目で見ながら後片付けをするのみであった。


つづく

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