告別

前編: 今日は来てくれて ありがとう 
後編: 初七日

2003.07.12午前2時45分に自宅にて安らかに永遠の眠りにつきました。
肝臓ガンと診断され余命3ケ月と宣告されたにもかかわらず1年6ケ月の命を永らえることができたのは、友人・知人のご尽力と先生方のお陰と深く感謝いたします。


とくに、今年(2003年)に入ってからは、I先生、K先生、看護婦の皆様、薬局の皆様が毎日24時間体制で、痛みを取り去るケアをしていただきました。

死去する前日は終日、赤子のようにスヤスヤと眠り続け、12日の午前2時半ころ、しゃっくりのような息遣いをしたため、2階に寝ていた次女を起こし、次女が脈をとっている間にそのまま脈が弱くなり、潮が引くように止まりました。2時45分でした。

深夜にもかかわらずI先生が駆けつけ、死亡を確認。続いて駆けつけた看護婦さんにあとの処置を指示して先生は次の患者に向かいました。当日、家内を含めて3人が臨終間近だったそうです。

あと3日といわれてから2週間目でした。心配した友人・知人から何度も電話があったにもかかわらず生前の妻の意思で面会を拒んだことを、みなさまにお詫びいたします。また、妻の心情を思いやって、わがままを快く許していただいた皆様に感謝申し上げます。

妻の病床のかたわらで執筆していた本(事故車修理見積り事典)が前日の10日に出来上がり、妻の手に持たせ、報告することが出来ました。この本が臨終になんとか間にあったのは伊藤君、吉田くん、林さんなど関係者の尽力となき妻の力です。妻との共同著作ともいうべき事典の完成を契機に、これまでお世話になった車体整備業界に最後のご恩をお返ししてから妻のもとに行きたいと思っています。事典は妻の棺に入れ、祭壇のかたわらにも置かせていただきました。

生前(2003.04以降)病気のため痩せた姿を見た(友情の浅薄には全く関係ありません。)人を交え、家族葬儀(密葬)を行いました。(2003.07.13)

なお、故人の遺志で自由葬としました。

瑞穂斎場にて上記メンバが参列し、荼毘に付しました。

生前、故人は自宅での臨終と自宅での葬儀を望み、病気が発覚してまもなく、居間の壁とふすまを張り替え、クローゼットも自分で塗替えていました。

祭壇は居間に飾りました。

荼毘に付した後は、49日の間、仕切りやの妻が、自分の葬儀まで演出して逝きましたので、その手順通りにしています。

1.自分(故井上香)のために仕事を休んだり、旅行などの予定を変更しないこと。

2.喪服はさけ、普段着で来てもらうこと。

3.花はバラを主体にし、菊は避けること。

4.自分(故人)の知らない人(仕事関係者など)には連絡しないこと。

おかげで、バラの花に埋もれ、毎日、花の手入れでいそがしく、悲しみが紛れています。

また、娘たちも、毎日、少しずつ、知人が来てくれているので、寂しさがまぎれているようです。

バラ1輪を大切に抱えて来てくれた学生もいました。桃を3個、自分で買って供えてくれた子供もいました。幼稚園や小学校以来見ていなかった子供たちが、学生や立派な社会人になって真心のご焼香に来て、泣いてくれる姿を見て亡き妻の陰の力を知りました。おばちゃんのお陰で今の自分があると会社社長のS君は家族で焼香に来た夜に再度一人で訪れ、妻の遺骨を抱えて一晩寝て過ごしてくれました。

(2003.07.19 夫 勝彦記)

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初七日

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