【第2話】〜生きようと決めて1年間闘い続けたら、過去がすべて今に繋がっていた話〜
しかし、もう一人暮らしが出来ない状態だった。
失業保険も出ていたが、3ヶ月間しか貰えない。
働くことが出来なければ、他に収入源が無い。
誰かと一緒にいなければ、何をしでかすか分からない状態だったし、
何より、出て行った彼女との様々な思い出を目の当たりにしながらの生活が、
とても辛かったのだと思う。
やはり、彼女との別れは僕にとって、計り知れないほど大きな傷を残した出来事だった。
女々しい男だな。
と思うかもしれないが、一生を共にしようと思っていた相手との別れは、
誰でも女々しくなる程辛いもんだと思う。
しかも、お互いの反りが合わなくて別れたのではなく、
僕は彼女を100%信頼していたし、
一番そばにいて欲しい時に、愛想を尽かされてしまったのだから。
しかし、落胆していただけではない。
僕はいつだって、
「絶対に見返してやる!」
と思っていた。
そのために僕は社会復帰をしようと必死だったが、
やはり物事には順番というものがあるらしい。
僕は最初のステップとして、バイトを選んだが、
僕が踏むべき最初のステップは、バイトをすることではなく、
もっともっと手前のところだったことに気が付いた。
まずは、うつ病をしっかりと治すこと!
変な意地やプライドは捨て、やるべきことを一つずつ愚直にこなしていくことだった。
僕は、絶対にうつ病を治したかった。
母親に、
「治るなら、入院させてくれ!」
と言った。
それくらい切羽詰った状態だったし、入院して治療に専念して治るなら、それが最善の策だと思った。
しかし、僕には入院費を払うお金は無い。
入院するには、親にお金を出して貰うしか方法は無かった。
入院費は、半端ない。
姉ちゃんが実際に入院していたから、よく分かる。
精神病院には行ったことがないから実情はどうなっているのか分からないが、
恐らくそういったところは、個室なんだと思う。
個室は本当に高いんだ。
1日1万円くらい平気で飛んでいく。
1週間で7万円、1ヶ月だったら、30万円。
長引けば、どんどん入院費はかさむ。
そんな金額を両親に払わせることは、出来なかった。
母親は、「いい」とも、「だめ」とも言わなかった。
親としては、複雑な心情だったんだろう。
そして僕は姉の家で暮らすことにした。
というか、僕は暮らさせてもらうという感じだった。
天才病…
この時、病院でこんなことを言われた。
「いわゆる躁うつ病です。」
「脳の神経細胞が傷付けられてしまい、それが元に戻ることはないです。」
「これからは、病気を治すというより、病気と上手く付き合っていくという治療になります。」
僕の担当医は、物腰は柔らかかったが、ハッキリと物事を言う人だった。
以前から、
「自殺をしかねないから、何かあったらすぐに来てください。」
と本人に直接言うほど、ハッキリと言う人だった。
母親は、それを聞いて、
「あんなこと言うもんじゃない!」
と怒っていたけど、僕にとってはうやむやに丸め込まれるよりは断然良いと思っていた。
しかし、今回は違った。
「治らない?」
「一生薬を飲まなきゃならない?」
「一生病気と付き合っていく?」
どういう事だ?
意味が分からなかった。
いや、意味は分かった。
受け入れる事が出来なかった。
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