【第2話】〜生きようと決めて1年間闘い続けたら、過去がすべて今に繋がっていた話〜
「こんな人もいるんだな」ってくらいは思ってくれたと思う。
それから、体育祭で応援団長にもなった。
ライブでは、ライブに来てくれた人にしたメッセージは伝えられない。
僕は、高校の意味不明なルールや、挨拶をしても無視をするような先生達が大嫌いだった。
だから、学校全体にメッセージを伝えようと思った。
学校行事だったら、伝えられる人はもっと増えるでしょ?
というか、僕はこんなんだったから、先生達からあまり良く思われていなくて、
「僕を見くびんじゃねぇ!」
「お前らなんかより生徒の心を動かしてやるよ!」
「勉強より大切なことをお前らに教えてやるよ!」
と思っていた。
「ただ周りと違うからって、除け者扱いにするのは間違っている」
ってことを先生達に伝えたかった。
学校の先生っていうのは、教育者だ。
教育者っていうのは、ただ勉強を教えることだけじゃないと僕は思っている。
今後社会に出て行くために、「社会の仕組み」や「物事の考え方」を教える人だと思う。
そんな人たちが、「挨拶を返さない」「仲間はずれにする」「無関心」ってのは絶対に間違っているし、そんな人たちからは何も教わる事はないと思う。
ある意味、リアルな今の社会を身を持って教えてくれているのだが…。
何はともあれ、僕は黄組応援団長になった。
応援団は、団長、チアリーダーが最初に決まり、
この2人が、副団長、副チアリーダーを決め、それから幹部と呼ばれる数人の有志を集める。
そして、2、3年生から男女合わせて60人の応援団を募集するという流れになっている。
幹部は、男女8人と言われていたのだが、僕はこれが分からなかった。
体育祭は、団長やチアリーダー、幹部を始め、応援団だけのものじゃない。
みんなの体育祭だし、僕は、みんなに出来るだけ参加して楽しんでもらいたかった。
仕事は大勢いた方がはかどるし、せっかく「やりたい!」と言ってくれる人を、
8人の枠に納めるために断るってのは、なんか違うんじゃないかな?と思った。
だから僕は、
「やりたいなら誰でもやればいい!」
ってことで、志願してくれた全員を迎え入れた。
「やってみたいけど、迷ってる」って人はゴリ押しして入れた。笑
結果、12人の幹部が集まった。
残念ながら、それ以外の団員は、予算やもろもろの関係で60人より増やす事は出来なかった。
60人を決めるために、大声審査というオーディションみたいなのを校舎の裏でやるのだが、
3年は最後の体育祭なので全員合格。(だったと思う。)
2年生には、落ちても来年チャンスがあるので、また頑張ってほしいと伝えた。
応援団をやらない人や、まだ出来ない1年生達には、組別集会でこんなことを伝えた。
この体育祭は、応援団だけじゃなく、全員の体育祭です。
応援団だけが楽しい体育祭なんてハッキリ言って意味がないと思う。
応援団に入れなかった人も、1年生も、ここにいるみんなが黄組。
みんなが楽しめなければ、応援団の意味もない。
応援団じゃないからつまんないんじゃなくて、一人一人が楽しんで欲しいと思ってる。
僕も2年の体育祭までは、学校つまんねぇなーって思ってたんだけど、その2年の体育祭がめちゃめちゃ楽しくて、学校が楽しくなったんだ。
面倒くせぇなーつまんねぇなーって思ってるかもしれない。
でも、一生懸命やれば絶対楽しくなるから!
つまんねぇって思ってる人がいたら、学校は楽しくはならない。
でも、みんなが楽しめば、絶対に学校は楽しくなると思うんだよね!
この体育祭を成功させるには、ここにいるみんなの力が必要なんだ。
だから、精一杯楽しんで欲しいと思う。
こんなようなことを黄組全員の前で伝えた。
我ながら良いスピーチをしたと思う。笑
ここでもまた、「やっぱり天才なんだ!」と思った。
多分誰も覚えてないだろうけど…。
おかげで、本当にみんなが協力してくれた。
決め事はすぐに決まったし、初日から全体練習がちゃんと出来たのは黄組だけだった。
「ちゃんと思いを込めて伝えれば、相手にも必ず伝わるんだ!」と思った出来事だった。
結局黄組は優勝出来なかったけど、
「体育祭楽しかったなー!」
「ひーくんのおかげで学校楽しくなったんだよ!」
って今でも言ってくれる人がいるから、大成功だったんだと思う。
担当の先生にも、
「正直ここまでやれるとは思ってなかった。」
「見直したよ!」
と言われた。
「当たり前だ!」とも思ったが、
みんなの協力無しでは出来なかったことなので、本当にみんなに感謝した。
体育祭終了後の後夜祭で、参加した全員の生徒の前で僕はまたステージに立った。
体育祭楽しかったね!
本当にありがとう!
僕はこれから何を目標にしていいのか分からない。
本当それくらい一生懸命やったし、みんなもやってくれたと思う。
学校はつまんないかもしれない。挨拶をしても無視をする先生だっているし。
クソだなって僕も思ってた。
でもさ、一生懸命やってみようよ!
体育祭楽しかったでしょ?
一生懸命やって楽しかったでしょ?
楽しい学校生活にしたいなら、意味ねぇ、つまんねぇ、面倒くせぇって諦めるんじゃなくて、
一生懸命やってみて欲しいと思う。
絶対楽しくなるから!
みんな本当にありがとう!
僕も泣いたが、号泣者が続出した。
先生を捻くりつつも、また我ながら良いスピーチをしたと思う。笑
またしても、「僕は天才なんだ!」と思った。
それでもクソみたいな先生達は変わらなかったけどね。
皆さんお気づきのように、僕はめちゃくちゃ熱い男。
熱苦しい男なのである。
しかしその後、進路で悩み、大学へは進学するが、
決まったクラスがある訳でも、学校全体でやる行事がある訳でもなく、
規模がデカ過ぎて僕がステージに立つ事は無くなった。
高校では恐らく結構目立っていた方だったのに、大学に入ったらただの人になった。
バンドも次第にやらなくなった。
結局、一歩外に出たら、僕には何も出来ないんだと思った。
うつ病の原因…
そして大学4年の時、バイトしていたところでこんなことを言われた。
「ただの偽善者じゃん。」
僕が善かれと思ってやっていたことが誤解を生み、バイトの子が辞めた。
僕にも原因はあったのだけれど。
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