初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話①

後編: 初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話②

 リマノビッチさんとの出会いは、、、
ボスニア・ヘルツェゴビナ はゼニツァのバスターミナルに隣接した、古びたカフェであった…。


 ゼニツァは、サラエボからバスで2時間ほどの、美しい丘陵に囲まれた鉄鋼業が盛んな都市である。近年、この都市にある18000人収容のNKチェリクのホームスタジアムで、多くのボスニア代表の試合が行われる。

 


 2011年11月、ボクは初めて、ボスニア・ヘルツェゴビナに降り立った。

“EURO2012 プレーオフ” ボスニア代表vsポルトガル代表を観戦するために。

ホーム(11日)&アウェイ(15日)の戦いを制すれば、内戦以降、初の国際大会出場が決まる大一番な一週間。

約20万人が命を落とした、悲劇という言葉では納まりきらない暗い過去を乗り越え、国際舞台に立てるチャンスが目の前にある。

ボスニアにとってもサッカー界にとっても、歴史的な瞬間に立ち会えるかもしれない。そんな思いに駆り立てられ、彼の地にやって来たのだった。





 その日、ボクは、サラエボ旧市街の観光名所バシチャルシアで購入した、ボスニア代表エースNo.11エディン・ジェコ(マンチェスター・シティ所属)のユニフォームを身にまとい、さらに、カバンの中には、日本から持参したボスニアの英雄イビツァ・オシム氏が表紙の本を忍ばせ、サラエボから正午発のゼニツァ行きバスに乗り込んだ。



 道中、ボスニア国旗を掲出したサポーターの車が、次々とボクらのバスを追い越していく。その度に、バスの中ではボスニアコールが連呼され、車はそれに応じるようにクラクションを鳴らし、意気揚々と一路スタジアムへと先を急ぐ。



 ボクたちのバスも、20分遅れで、ようやくゼニツァのバスステーションに到着した。

まずは手始めに、情報収集のため、隣のカフェに入ることにした。

じつはその時、まだチケットはおろか宿泊先すらも準備していなかったからだ。


 カフェに入るなり、10人くらいの一団が、好奇な眼差しとともに、ボクのコトを手招きで呼んでいるのが分かった。ボクが、その集団に近づいていくと、“オー、ヤパーナ(日本人)! オシム!!!”と歓待の叫びをあげた男がいた。

 

その人物が、リマノビッチさんであった。

 

 ボクはみんなと握手やハイタッチを交わしたあと、“オシム!!!”と叫ばれてはアレを出すしかないと、忍ばせていたオシムさんの本を、さっそくバッグの中から取り出して見せた。

彼らは、目を真ん丸に見開き、縦書き日本語で記された母国の英雄の本に、嬉々として興味津々な表情を浮かべながら、

“オレ達は初めて日本人を見たよ。シュワーボ(オシムさんの愛称)のおかげで、オレ達も日本のことが好きだったのさ。”と、テンション高めに、再度、ハイタッチを求めてきた。

”サッカーを通じて民族や国境を超えたつながり”が生まれた瞬間であった。


 すると、、、

“何か飲むかい?”とリマノビッチさんが聞いてきた。

“ようこそ、ボスニアへ。オレ達は友達だ。ごちそうするよ。”と。

お言葉に甘えて、“Beer”と頼んだ。

数分後、ボスニアのNo.1Beer “SARAEVSKO”とシカ肉の燻製を、このカフェのボスが持って来てくれた。燻製はボスのサービスらしい。



 そんなこんなで、みなさんと乾杯で盛り上がった後、試合開始まで5時間以上あったので、

Beerをご馳走になったリマノビッチさんと、お話しをするコトにした。


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初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話②

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