初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話②

前編: 初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話①
後編: 初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話③

アリーヤ・リマノビッチ氏、44歳(当時/写真右)。

現在は、風船を使ってイベントやデパートのディスプレイを装飾する業務と、映画館等でポップコーンを販売する業務を行う会社のボスにして、ある時はバルーンアーティスト、ある時はポップコーンマイスターという何足かの草鞋を履く方であった。映画祭でブラピとアンジーがサラエボにやって来た際、自分の作ったポップコーンを食べながら鑑賞してくれたのが、彼の一番の自慢であるらしい。



何となく、お互いの人となりが分かったところで、ボクはチケットも無く宿も押えていない状況で、ただただこの試合を観たいという思いで此処にやって来た。さぁ、これから、どうしたものでしょうか?と、リマノビッチさんに切り出してみた。


実は、ボスニアへ経つ前、日本である程度のリサーチは行っていた。

どうやらチケットは完売であり、ゼニツァにある2つの手頃なホテルは、ポルトガルサポーターとメディア関係者で満室状態であるようだった。さらに、試合終了後だと、サラエボ行きのバスが無いというコトも判明した。

とりあえず、一縷の望みに賭け、ボスニアサッカー協会に何とかして観戦させてくれないか?と拙い英語で想いを伝えてみたが、返信が来るはずもなかった。。。


どうする?あきらめるのか?いや…、とりあえず行ってみよう。最悪、チケットはダフ屋で、帰りはヒッチハイクか公園で野宿な方向で。まぁ、何とかなるさ。取りあえず現地へ行ってみよう!そんな感じで、ゼニツァにやって来たのだった。


リマノビッチさんに、日本人は計画性のある、ちゃんとした国民であると聞いてたが、なんてクレージーなヤツなんだ的なコトを何重かのオブラートに包んで言われたので、”リスクを冒してチャレンジしろ”とボクはオシムさんから教わりましたと、反撃したりした。


そんなやり取りの中、完全に苦笑いなリマノビッチさんが、ボクにある提案をしてきた。


“分かった。チケットはダフ屋からワタシが手配しよう。きっと日本人のキミよりもボスニア人のワタシのほうが安く手配出来るだろう。宿もウチには泊まらせてあげられないが、安心して寝られる場所を考えよう。

その代わりに、、、


ワタシの11歳になる娘も試合に連れて行ってくれないか?ワタシはこれから用事があって、どうしても今日はスタジアムに行けない。娘もこの試合を楽しみにしていたんだ。だから、ワタシの代わりに娘の面倒を看てくれないか?キミが娘の親代わりってわけだ。”


断る理由は何一つ無かった。

チケットも宿も何とかなる。

そしてなにより、独り身のボクにとって、パパ体験オプション付きの刺激的なプランであった。

すぐさま、二つ返事で承諾した。


“よし、そうとなったら、チケットを買って、ワタシの車で娘の所へ向かおう。”

リマノビッチさんも嬉しそうな表情でボクを先導した。まず、バスターミナル付近に居たダフ屋から60KM(4000円弱)でチケットを買い、娘さんとの待ち合わせ場所であるリマノビッチさんの事務所へと車を走らせた。




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初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話③

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