初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話③

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前編: 初めてのボスニアサッカー旅で出会った、バルーンアーティスト・リマノビッチさん一家との話②

 リマノビッチさんのオフィスに到着。

 平屋のこじんまりとした建物で、色とりどりのバルーンが壁に掛かってある部屋、ブラピ&アンジーのポップコーン写真が飾ってある作業場、そしてデスクスペースの3部屋から成っていた。

 ブラピ&アンジー部屋で待つコト5分。リマノビッチ氏の娘・アンニャがやって来た。


アンニャ・リマノビッチ。11歳(当時)。地元の男の子のサッカークラブに所属し、水泳選手としても活躍する、元気はつらつなスポーツ少女。


首にボスニアのマフラー、頭にレアルマドリーのニット帽の出で立ちで登場のアンニャ。

さすがに、初めて見る日本人を前にして、少しはにかんだ表情を浮かべていた。


“レアルマドリーが好きなの?”とボクが聞くと、、、

“クリスティアーノ・ロナウドが大好きなの。”と彼女。


“おいおい、これからキミの国の大一番だよ。その対戦相手がクリロナ率いるポルトガルなんだぜ。

その意味、分かってんの???”と、思わず心の中で呟いてしまったが…、


今日は、アンニャのパパ代理である。


“分かった。ボクが、ボスニアのニット帽を買ってあげるから、レアルのほうは置いていこう。”と提案。アンニャも小さく頷いた。


 その後、リマノビッチ氏の車で、ボク達はスタジアム近くまで送ってもらい、

試合後、出会ったバスステーション隣のカフェで落ち合う約束をし、本当のお父さんと別れた。


 さっそくボクは、ボスニア代表の応援グッズを取り揃えた出店で、アンニャとの約束であった、ボスニアの国旗をあしらった青黄のニット帽を買ってあげた。彼女は再び、はにかんだ笑顔を浮かべ、“サンキュー”と言った。



 この日のスタジアムは、自分達の後押しで強敵ポルトガルを打ち負かし、祖国の悲願を叶えようと意気込むボスニア人の熱気で溢れていた。




 その中には、ボスニア国内からのサポーターのみならず、内戦を逃れ、ヨーロッパ諸国へと移り住んだ人達も数多く居た。スイス、オーストリア、イタリア、ドイツ、スウェーデン…。異国で生きる、戦争が招いた数奇な生い立ちの彼らにとって、サッカー・ボスニア代表は、唯一にして最大の”心の拠所”であり、”自らのアイデンティティ”を示せる故郷なのだ。



 試合中、ほんの少ししか英語を話すことが出来ない愛娘アンニャとは、ほとんど会話のキャッチボールが成立しなかった。

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