あるがまま、ないがまま。

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明日の用意のすべてが終わった後、私は、ただお腹が空いていた。しかし、よく考えてみるとここ2日間お腹が空かない。食欲がない。この12日間、私はほとんど同じメニューを食べているのだ。でも、もちろん不満ではない。私はここ3日ほど、日本食の夢を毎日見ている。なかなか、笑える話だが本当である。ホームステイ先へ戻ったが、食卓にのっていたもので、パイナップル以外は口にすることが出来なかった。いろんな意味で私にとってここでの経験は忘れられないものになったことはこのときもう気付いていた。最後までがんばろう! 明日は最後のエキシビジョンの日である。子供たちにとっても、私にとっても素敵な1日になりますように。


「毎日が大切な日だということ。」


Day 13 


午前7時30分起床。今日は学校で授業を教える最後の日だ。そして1日限りの子供たちのエキシビジョンの日でもある。わたしはとても興奮していた。そして寂しい気持ちでいっぱいになった。小学校の庭が野外エキシビジョン会場となり、ディスプレーは子供たちと一緒に行った。すべて手作りである。アート作品には願いを込めてみんなの夢を書いた。昨日、子供たちに親を連れてくるようにとは伝えたものの本当に来てくれるのかとても不安だったが、ディスプレーが終わった頃には子供たちの親や親戚が一人二人と増えかなりの人数がエキシビジョンを見に来てくれた。


親達は初めて創った自分の子供の作品を目にし、初めて知った自分の子供の夢にただ頷いた。その表情はとても和やかだった。そして初めて見る鶴を見てこの鳥はなんだという質問もあったが、そう、後でわかったことだがアフリカに鶴はいなかったのだ。結局、親達はこの美しいトラディションをビレッジに運んできてくれてよかったと心から感謝してくれ、ビレッジの長のスピーチは、心温まるものであった。サプライズのギフトとしてこの地域の民芸品であるパームツリーの葉で編んだバックを手渡されたときは涙が出そうになった。


エキシビジョンには、たくさんの親が足を運んでくれたのだが、この小学校の半分ちかくの子供達には親がいない。マラリアや不衛生上の理由で起こる病気で平均年齢50歳ほどで大人は子供を残して死んでしまう。それからは親戚が父や母代わりで、彼らを本当の自分の子供の様に育てる。それが、アフリカ流のやり方だ。兄弟でも父、母が違うことは日常茶飯事であるが、しかし子供達は、どうやってその事実を小さな心と体で乗り切ってきたのだろう。いろいろな発見の中で、子供たちと共に学び、彼らにとって何が本当に必要なのかを考える様になった。 ここでの生活、自分への気持ちの優先順位はどうしても最後で、彼らの笑顔のために、彼らが興味を示すように、どうやったら彼らに夢を与えれるかを考えてきた。でも本当は学んだのはこのわたしで、本当はわたしがこの経験を通して「自分は何の為に生きているのか。」を教えられた。本当はわたしは彼らに与えたのではなく、与えられたのだった。






わたしがこのプロジェクトを経験した時に感じた想い。世界中で日本のトラディショナルアート(伝統芸術)を伝えて母国の歴史を世界に残すこと。10年、20年後にもしかしたらこのビレッジの子供たちが 大人になって子供の頃に出会った日本人女性の話をするかもしれないし、自分の子供に折り紙を伝えていくかもしれない。もしかしたら、違う形で彼らのトラディションになっているかもしれない。 そう想像を巡らせると楽しくて、私は、日本人に生まれたことに誇りをもって何かを伝えていくことに、心から幸せを感じることが生きる意味だと知った。


そしてアートを通したこの経験から、人間に本当に必要なものは想像力だと思った。この“折り紙”アートワークプロジェクトは子供たちにとって、一枚の紙切れから新しいものを作り、想像を巡らせることで、自分が将来何になりたいのか、自分の夢は何なのかを考えるきっかけに繋がっていったからだ。一枚の紙からいろんなものが出来る。子供なのに生活や仕事に追われる毎日の中で、想像を巡らせる時間はなかったし、彼らがこの貧しいビレッジで夢など見る事が出来ないのが現実であった。だが近い将来、そんな彼らにとって折り紙は想像力への小さな架け橋になればいい。



私は、子供たちを通して自分自身を見つめていたことに気が付いた。夢を追いかけてNYに託した自分、そして当たり前の生活の中で忘れかけていたもの。私にとってのこれからの生き方。それは生きることは決して当たり前ではなく、心から幸せを感じる心を養うことからのスタートだった。


それは小さなビレッジで見つけたとてもシンプルなことだった。


「日本人に生まれたことに誇りをもって何かを伝えていくことに、心から幸せを感じることが生きる意味だと知った。」



ーニューヨークでは経験できないこと in ナイジェリアー


バケツの冷たい水を使って毎日シャワーを浴びた。


たくさんの蚊、そして20箇所以上咬まれた私の全身。


マラリアの薬は、私の体には強すぎで吐き気を誘う。


毎日同じアフリカンシチューを食べていた。(最後の3日間は、食べる事をやめた。)


強い日差しと湿気。汗が止まらない。


電気がない生活。


水がない生活。。。






第4章 これからの生き方 NYへ戻ってからの自分の変化、愛と共に


ナイジェリアからNYに戻ってからの変化 


一番嬉しかったマラリアの薬から手を切れると思っていたことだが、帰国してから2週間飲み続けなければいけなかった。だが、以前のように吐き気を感じることは一度もなかった。

熱いシャワーを浴びたときの感触は格別でまるで天国にいるような気分だった。だが、流れる水がもったいなくてしょうがなかった。しばらくは子供たちの笑顔が私の脳裏から焼き付いて離れず、彼らにどれだけ愛着を感じていたか離れてみてよくわかった。私たちが育てたものは「愛」であったことを知った。

私は心が共鳴し合って愛する人を通して自分自身を知った。愛する人たちは自分の鏡であった。私は少しずつだが自然体でこうありたいと願う自分に向かっていることを感じずにはいられなかった。帰国してから予定していた手術は無事成功して、マラリアの薬のおかげで手術後の抗生物質は必要ないとドクターから伝えられた。私の経験から一つだけ確実にいえることは、アフリカという未知の国でたくさんの小さな愛という種に水をあげれたかなということ。その愛は永遠に消える事はないだろう。


考えさせられたこと、心で感じた伝えたいことすべて。


人間は生まれたときから心の中に一種類の種があって、それを育てるために生まれてきたんじゃないかなと思う。ナイジェリアの子供たちは一人も弱音を吐かず自分の力でその種を育てることが出来る小さな賢者だった。最後に見た彼らの姿はとても誇らしげで美しく彼らは自分の力でその種を育てることが出来た。そして彼らが得た経験という宝物は誰にも奪うことが出来ないし、彼らが大人になったとき、この経験を伝えていくだろう。


私たちは大人になるにつれ、欲望と背中合わせで生きていくことになる。ある人は物欲であり、ある人は地位欲や名誉欲そして権力欲であり、またある人は支配欲であり、そして金銭欲、お金ですべてが買えるという物語を作り上げようとする。NYへ来た時、そのある人とは私自身であり、NYという場所が幸せにしてくれると思っていたのも事実である。でも気付いたことは、すべての答えは自分の内側にあるということ。人間はどの環境や状態におかれたとしても自分を幸せにすることが出来るのは自分自身だけということを知った。


本当はその種を育てるのは自分しかいない。


ナイジェリアの子供たちはただないがままを自由にに生きているだけなのである。彼らは不自由でも不幸せでもない。そこには、人間が作り出した外側だけの価値観は存在しない。先進国に住む私たちを苦しめたり、悲しめたり、不幸せにするのは、私たちが自分で作り出した外側の価値観(自分と自分以外の物を比べるものさし)だけだと思う。彼らは生きていることへの困惑も存在しないものを悲願する時間も意味もないことを自然から学び、与えられたものを素直に感謝することを自分の内側で感じている。


先進国に住む私たちにとって簡単に手に入る幸せ 「欲を満たしてくれるもの。」は常に人の外側にあり、いつのまにかそれを手にすることが当たり前になっている。そしてそれ以上のもの(物質的、刹那的なものであったり、スリルやファンタシー、こうあるべきという世間のものさしで図られたもの)をどんどん貪りはじめまた欲する。ある人はその繰り返しの人生である。そして私たちは欲と欲が共 鳴しあう世界を外側に作り上げ、もはや人間は本当の幸せにたどり着くこと自体をを簡単に難しくしてしまっている。不運にも私たちは幸せになれない世界を作り上げてしまった。だから世の中に「自分は幸せである。」と心から言える人が少ないのはそのせいではないだろうか。幸せとは本来、元から自分自身の中にあるもので追い求めるものではなく、与えることで心の幸せに気付く。それが、真実の幸せなのではないだろうか。世界中の人々にその気付きがいつか訪れるだろうか。死に直面した時に価値があるものが何かを気付くには遅すぎる。


人は人と同じ気持ちに触れたときに「共鳴」する。子供たちと私はお互いを慈しむ心が共鳴し、ただ喜びに満ち溢れた時間が流れていたと思う。本来、愛とは欲から生まれるものではなく、だれかを尊い、そしてただ幸せになってほしいと願うことである。愛は知らず知らずのうちに自分本来の姿を教えてくれる。それは相手に映し出されるのである。そこから私たちは自分を知るという経験をスタート地点に、人生の旅がはじまる。自分を知ることはもちろん今日や明日というわけにはいかないけれど、この自分と向き合う勇気と忍耐のいる行為(愛)はいつの日にか「生きる意味」を教えてくれる。 


もしこれから世界中が欲望を求める人々ばかりになれば、その気持ちが共鳴し奪い合いの世界が必ず訪れる。何も知らないことはとてつもなく恐ろしい事実である。それには全ての人間に責任が関わっていることをほとんどの人は知らない。私たちは人間の「欲望」に水と光を与えて誰かの欲の芽を育てていないかということを掘り下げて考えていかなければならない。


「自分の欲望を揺さぶるものと共鳴していないかどうかをすべての人に知ってもらいたい。」


誰でも出来る事。それは人々の愛の部分と共鳴し合いこの地球を愛に満ち溢れた世界へと変えることだと思う。不思議なことに、ナイジェリアからNYへ帰国した後のある朝、目覚めると自分の内側に秘められていた欲望が自然に搾り出されたのを感じた。自分を知るということは自分の欲望を知ることでもあり、目の前にいっぱい溢れ出てきたその欲望はすべて外側から発信されたものだと感じた。その「恐ろしいもの」は、ずっと自分の内側に潜んでおり、わたしを長い間幸せから遠ざけていたものだった。原因である欲望は、搾り出される結果として終わりを告げ、よく朝、同じ場所に愛情の芽が顔を出した。



第5章 あるがまま、ないがまま。 経験から未来の若者へ伝えていきたいこと


、、、そして4年後、今の自分がどう変わったか 。


2011年の今、ナイジェリアから戻り、4年ほどの歳月をへて、少しずつ愛の生き方にシフトしている。折り返し地点を過ぎてからは、自分がこうありたいから、人のためにそうしてあげたい思う自分がいる。あるがまま、なにがままにすべてを受け入れる。あることは感謝である。ないこともまた感謝である。人間はないところからも学ぶ事が出来るからである。わたしは、ないところでたくさんのことを学ばせて頂いた。いや今は、真実の学びはないところに実はあるのではないかと思う。


2008年から始めたギャラリーは、はじめに1人のアーティストを助けるためにはどうしたらいいのかというたった一つの理由か始まり、それが原因となり今日に至る。その原因の結果、ギャラリーオープン当初の作品数は約50点、所属アーティストも15名程度だったが、2011年現在では、ギャラリーコレクションの数は1000点以上、世に出したアーティストの数も500名を超える。幸せな生き方とは名誉、地位。金というものさしで決めるものではないと考える多くの若者たちがこの場所を足がかりに自分の夢の手がかりを見つけようと向かってくるようになり、この場所で何かを学びたい若者が、最近多く訪れるようになった。日本のトップレベルの教育を受けた若者たちが、現代の社会に不安を抱えていることは事実だと実感せざる負えなくなった。(いままで、東大や慶応などの学生たちが、このギャラリーへ研修に訪れている。)


物質的満足が仮にも幸せではないことを理解している子供たちはどんどん増え続けるが、幸せを学ぶ場所が極めて少ないことも否めない現状なので、どうすれば彼らに自然と夢が持てるのだろうかと思う。夢を持つことはすべての人間に持っているすばらしい才能である。だが、夢をかなえることは魔法ではない。夢を想像することは清清しく気持ちがいいものだが勘違いをしてはいけないのは、本を読んだり、想像したり、夢を語ることが夢を叶えるための方法だと思っていること。想像はあくまでも、旅の目的地を知ることである。そこから航海もしくは、登攀するにあたり、準備が必要である。出発してからは毎日一歩ずつ確実に経験をしなければ夢は到底叶えられない。しかし、夢を語ることができなければ、どこへも辿り着くことは出来はしない。やはりすべては愛を通して自分を知ることから始まる。


世の中には欲望よりも、願いという神聖な所に生きている人もいる。その人は、欲望とは触れ合ってはいない。同じ年齢で私の親友であるC氏は脳外科医である。彼はプライベートを犠牲にしても日々人助けに励む。赤ん坊を持つ母親の気持ちがわかるだろうか?夜中じゅういつ赤ん坊に起こされるかわからない状態を何年も続けていて心から休まることは出来ないのである。だが、彼は信じられないくらいの睡眠不足でさえ患者と家族のために自分を投げ出すことができる。それはもちろん欲望を超越した人間愛である。人間の死の淵にたって生きている人は本当に人間にとって必要なものを知っている。


彼の話を聞いたときに私は人間の目に見えない生き方の原因を、本来の自然の形に戻す手助けが私の経験を通して出来るのではないかと思った。ナイジェリアから帰国3年後、50ページに及ぶ原稿が入ったラップトップをアメリカの航空会社のミスにより紛失されてしまったとき、一度は執筆を諦めたが彼の純粋な生き方からモチベーションと生きることへの感謝を再び貰い、もう一度原稿用紙1行目から書き直すことに挑戦した2010年の12月1日がこの執筆を始める原因となっている。そして、その結果として歳月を超越してこのストーリーを通してあなたと出逢う事が出来た。


最後に伝えたいことは、わたしの欲望からではなく愛と共に執筆したこのストーリーを読んで頂いたことへ心からの感謝の気持ちと、少しでも多くの人の心が愛で共鳴しあい、愛の芽が育ち、また次の世代のために愛の種を残していくことができたら、私を含め全ての人が「何の為に生きているのか。」を短い一生の中で改めて実感することができるのではないかと思う。


「この広い宇宙を想像するとともに自分の内の宇宙を見たとき、

自分の中の宇宙が同じように無限大であることに気づく。

あなたの宇宙をいつか「愛」と名付けてほしい。」 






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