昨日の出来事

本当のことを言いたかったのに言えなかった。

でもそのおかげで大切なことに気づくことができた。

去年から起業したいという友人二人をずっとサポートしてきた。

チラシを作りたいと言えば、時間と手間をかけ、作り、印刷して

ホームページを何とかしなきゃ、と言えば、あれこれ考え

何とかしてもあげたし、イベントに参加することや

友達主催のイベントを開き、私の友達にも来てもらって

そんなことをして、彼女たちにはお金がないのを知っていたから

なんだか自分の労力について形にしてくれとは言い難かった。

「これだけのサポートを好意だけで無償でやってきたんだ!」

これが私の本音であった。

先日、イベントがほぼ成功に終わり、反省会をしようということになり

ラインでのコメントを見たら、なんだか今まで私がやってきたことが

まったく意味のなさないような悲しくなるような牛歩ぶりが伺えた。

私はもうサポートをやめよう。 私がやってきたことは大きなお世話

だったのだ。 彼女たちの歩みを止めていたのは私だったのかもしれない。

思いきって、やめることを言うと、1人の友人は意外とあっさり

「今までありがとう」他、10行程度、これから自分がやっていくべきこと

などが書いてあり、また別の友達もいろいろ書いてあったけど、

やっぱり自分の事しか書いてなかった。

所詮、そんなものだ。

これからもアドバイスをくれ、仕事を発注するかもと書いてあったが

私を利用することを考えているだけで、私がこれからどうなるのか

そんな思いやりもなかった。

期待はしていなかったけど、でも失望した・・・

はぁ、こんなものか。 友達なんて。

私が勝手にやっていたこととは言え、なんらかの形、気持ちがほしかった。

もちろんお金としてそれが表現されていたら、どんなにうれしかったか。

こんなつらさ、悲しさは吹き飛んでいたことだと思う。

しばらくそんなこんな考えていて、ふと、自分はどうだったのか?と思った。

「ありがとう」のありがたみ、重さを本当にわかっていたのか?

さっき、けんかした母親、いつも見守ってくれてるダンナ、優しい師匠

私はちゃんと「ありがとう」が言えてるのか。

私に理解できてる、それ以上、ここに至る過去からの長い時間や手間ひまを

私は感じ取れていたのか?

自分が親に対して、やってきたことがよみがえってきた。

なんとも不幸、不孝、不考、不光ではなかったか。

やってくれることを当たり前と思い、真剣にありがとうと言ったことは

たぶん一度もなかった。

親は自分がどれだけやってもそれを振り返ってもくれない子に対して

どれだけ愛情を注いでいるのかと思うと、申し訳なくて涙がでる。

私はなんてことをしてきたんだと・・・

また人生の師匠である人も、礼儀を大切にする人で

先生に対してもきちんとお礼が言えてなかったような気がする。

礼儀やマナーを重んじる先生についていたからこそ

ありがたさを感じるに至ったのだと思うし、やはり感謝である。

自分のバカなホンネをぶちまけず、内にこもったことで

内省できたのである。

50過ぎて恥ずかしい話。

でもこれからはありがとう、すみません、お願いします

先生から教えていただいたマナーを大切にしながら

丁寧に人間関係を築いていこうと思った。

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