ちょうど1年前に余命12ヶ月宣告を受けた話。第2話
運命の7月18日金曜日
朝イチの診察を予約し、妻の運転で8時に虎ノ門病院分院に行く。
診察室の前で順番を待つ間、なんとも地に足の付かないソワソワした緊張感に包まれた。多分、判決前の被告人の心境はこんなかんじだろうと思った。
掲示板に自分の番号が表示され、診察室の扉を開く。担当医の先生はいつもと変わらぬ雰囲気で、
縦にしたモニターが2台並ぶデスク上でキーボードとマウスを操作して、PETの画像が表示された。黒い背面に身体の断面が映しだされ、ところどころ、赤青緑のカラフルな色が不気味に輝いていた。嫌な予感がした。
摘出した組織の病理検査の結果、周辺リンパ節転移が確認されたため、大腸癌ステージ3Bで5年生存率は60%だったわけだが、PETの結果、ステージ4への昇格。
この数字を聞いた直後、2割弱ではあるものの5年生きられる可能性があるのかとも考えた。
余談だが、肝臓転移なので肝臓癌なのかと思ったら、大腸癌の肝臓転移であって、肝臓癌ではない事を初めて知った。リンパ転移も悪性リンパ腫ではなく、あくまで大腸癌のリンパ転移だそうだ。
突然突きつけられた自分の寿命の終わりに実感が湧かなかったのが正直なところだったが、なんらかの努力をすれば2割に入れるのだろうと、相変わらず楽観的な自分もそこに居た。
根治手術じゃないから、一般的には手術やらないんだよね。
本などで調べて、ステージ4は保険適用の標準治療では治る見込みが無い事を知っていたが、先生からは、5年生存率2割に入れるための最先端治療法を紹介してもらえるものと、勝手に思い込んでいた。
しかし、先生の答えはあっさりしたものだった。
「殆ど無い」ではなく、「無い」が答えだった。
あんまり統計的な有用性は確認できてないけど。
結局、当初予定していた再発予防のための抗癌剤ではなく、延命のための抗癌剤を処方するので頑張ろうという事になった。頑張ると言っても治療ではなく延命だ。つまり、抗癌剤が上手く効いて、ガンの進行が遅くなった場合、生き続ける限り抗癌剤を服用する事になった訳だ。
しかし、抗癌剤が作用する(4週間増殖を抑制する)確率はたった5人に1人(20%)だ。効く抗癌剤に巡り会えればラッキーだが、その場合でも、癌細胞がその抗癌剤に対して抵抗力を持ってしまうとリバウンドを起こす。その場合は、より一層強い抗癌剤に乗り換える事になる。
恐る恐る、本当に恐る恐る、先生に平均生存期間を訊いてみた。
あくまでも、症状から判断する統計的な平均生存期間ということだった。
何もしなければ平均12ヶ月。
ステージ5の5年生存率とは、他のステージの生存率とは若干考え方が異う事に気付いた。治らない事が前提で癌を抱えたまま死なずに生きていられる可能性が18.8%なのだ。最悪のウィルヒョーリンパ節(首下の鎖骨上のリンパ)転移が認められ、かなり凶暴な癌細胞が全身を駆け巡っているステージ4の場合、平均生存期間という別の見方をすると12ヶ月という事になる訳だ。
診察室に同席してくれた妻と離れ、ふらふらと病院の玄関を出た。外に出た瞬間、涙が止めどなく出てきた。
両親に申し訳ない。妻に申し訳ない。息子に申し訳ない。会社の同僚に申し訳ない。兄貴と慕ってくれている後輩たちに申し訳ない。人生を教えてくれた師匠たちに申し訳ない。未だ何にも恩返しできてない事に気付かされた。
そして同時に、残された12~24ヶ月で、自分の人生、どう始末を付けるかを考え始めた。
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