ちょうど1年前に余命12ヶ月宣告を受けた話。第3話

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抗癌剤治療

想定外の余命12ヶ月宣告を受けて、妻の運転する車で病院を後にし、近くの薬局に立ち寄った。処方してもらった抗癌剤を買うためだ。

どうする?一緒に行く?
・・・・・・
じゃー、私買ってくるわ。
ごめん。お願い。

車の助手席に座ったまま、病のことを気に掛けてくれていた韓国のドンセン(弟のような奴)に電話した。

彼とは長い付き合いで、今の化粧品会社を立ち上げる前には一緒に会社をやっていた仲だ。韓国企業の企業再生やM&Aをやったり、中国の携帯電話製造工場に投資して痛い目にあったりと、良いこと悪いこと様々な経験を一緒にやってきた。

6月に入院したのを聞きつけてお見舞いに来ると言っていたが、日本に来ても相手をしてやれないからら来るなと諭していた。

PETの結果が出たぞ。(韓国語)
金ちゃん
どうだった?
大丈夫だったろ?(韓国語)
ダメだった。(韓国語)
金ちゃん
なんだそれ?(韓国語)
末期だってよ。(韓国語)
金ちゃん
なに?
チクショウ!
治せるんだろ?(韓国語)
ダメなんだってよ。(韓国語)
金ちゃん
末期の癌でも治った話、沢山聞いたことあるぞ。
テレビとかでやってるじゃないか。
俺が調べて、治してやる。(韓国語)
ありがとよ、、、。
金ちゃん
直ぐに日本位行くから、待ってろ。(韓国語)
来なくていい。
もう一緒に酒も飲めないし、食事もできないよ。
抗癌剤始めるから、副作用出るかもしれないし。(韓国語)
金ちゃん
なんだよそれ。
それでも行くから。(韓国語)

以前投資した事業に躓いて楽なはずじゃない状況なのに、すぐに日本に来るという彼の言葉に、胸が締め付けられた。


抗癌剤を買い終えた妻の車で自宅に戻り会社に行こうと準備を始めたが、妻に「特別予定がないなら今日は休んだら」という言葉に従うことにした。

この事を誰にどこまで話すべきなのか考えた。公表すべきことなのか?隠すべきなのか?

銀行にバレてしまうと会社の融資を引き上げられてしまうのではないか?やっとできた取引先との関係はどうなる?上場を目指す上で悪影響があるのではないか?

中1の息子にはどうする?大丈夫だと言って隠しておいて12ヶ月後に死んでしまったら、将来息子はどう思う?正直に話して、これから訪れるであろう抗癌剤の苦しみや死の恐怖との対峙、闘病生活全てをさらけ出して、生き様を見せるべきではないか?

様々な考えが頭をよぎった。


塾考の末、息子と両親、人生を賭けてくれた会社の同僚には正直に話しておくべきと考えた。

勿論、ステージ4と余命宣告の事は伏せてだが。


先ず、栃木の田舎の母に電話した。

検査結果、どうだった?
あんまり良くなかった。
大丈夫だよ。秀ちゃんは強いんだから。
頑張りな!
わかった。

昔から根拠もなく「秀ちゃんはやればできるんだから大丈夫」と言って育ててくれた母は、此の期に及んでも「大丈夫」と言ってくれた。大腸癌のステージ4は大丈夫じゃないんだよとも言えず、「わかった」というのが精一杯で、言葉に詰まって電話を切った。

その直後、涙が溢れ出てきた。止められなかった。初めて妻の前で、人前で、声を出して大泣きした。


韓国時代

1988年、地元の高専を卒業し精密測定機器のメーカーに就職した。中学では勉強ができたものの、高専では全くと言って良いほど勉強せず、遊び呆けた。ストレートで卒業できたのは奇跡と言われたが、これも良い友人達に恵まれたお陰だ。

会社に入る際に海外での活動を希望した。運良く海外営業部に配属となり、セールスエンジニアとして海外を飛び回った。数年後の1992年に、当時オリンピック直後の成長期にあり、現地法人のなかった韓国の担当となった。まだまだ反日感情の残る時代で、当時20代前半の私には遊ぶ場所もなく、1ヶ月から3ヶ月に及ぶ長期出張時には。カレンダーにバッテンを入れて指折り帰国の日を数える生活が続いたが、仕事は面白かった。しかし、現地法人が無い中での活動には制約が多く、ある時、会社の上司にそのことを告げた。

専務、そろそろ韓国も法人作った方がよく無いですか?
専務
そうか。じゃ〜お前が行くか?

と言う訳で、1993年に23歳で、本社出資の資本金2000万円を元手に韓国現地法人の立ち上げのために渡韓することになった。2003年までの10年間、とても貴重な体験をさせてもらった。2003年の帰国時には30名を超える社員を抱え、業績も売上数十億円の規模まで成長した。また、韓国駐在中の2002年日韓共同W杯開催期間中には、ソウルの病院で待望の長男を授かった。

2003年に帰国し本社の海外営業部勤務となったが、激動の韓国でのダイナミックなビジネスを経験してしまった後で、停滞期にあった日本のビジネス環境の中で仕事をする気にはなれなかった。帰国が決まった時には既に脱サラを考えていたが、会社員でないとクレジットカードを作ることも住宅ローンを組むことも難しいことくらいは知っていたので、着々と脱サラ準備を進めた。長男が3歳になり幼稚園に入園する2005年に独立した。

脱サラ後、最初に友人と立ち上げた会社はなかなか軌道に乗らず、貯金を切り崩す生活が続いた。しかも、その友人との関係が上手くいかなくなり、最終的には私がその会社から出るカタチとなった。その後、前出の金と共同で投資した中国の事業が上手くいかず、多額の借金を抱える羽目になった時には、毎晩寝られず寝酒が習慣化していた。


後悔

今の化粧品会社は癌発覚の4年前から準備を始め2年前に立ち上げた。その2年間で資本金を使い果たし銀行借り入れでしのぎ、ようやく固定客を掴んで軌道に乗り始めるところだった。1年目は売上も立たず赤字。2年目はなんとかトントンの決算にこぎつけ、3年目の今年は黒字転換という矢先の癌発覚。

新卒で入社した会社を15年勤めた後、独立して9年、様々な事があった。そして、妻には本当に苦労を掛けた。

息子は癌発覚の3ヶ月前に私立中に入学した。これも、妻が宅急便のパートで塾に行かせたからで、入学金が払えたのは、事業がなんとか軌道に乗り始めたからだった。ギリギリの綱渡り状態を経て、やっとこれから余裕ができそうという矢先の出来事だった。

息子が3歳の時に独立してからの9年間、とにかく仕事優先で、やりたい事全てを先送りしてきた。

もっと旅行に行っておけばよかった。もっと一緒に遊んでやればよかった。海水浴なんかほとんど行ってない。スキーにも。キャンプやハイキング、ドライブや温泉。全然行ってなかった。

夏休みの海水浴や冬休みのスキー、子供の頃の楽しい思い出は、いつまでも心の中に両親の笑顔とともに刻み込まれる。息子には作ってやれなかった。悔しい、悔しい。本当に悔しい。これまでに味わったことの無い悔しさ。

もう、行くチャンス、無いかも、、、。思い出も作ってやれないかも、、、。

中1の息子にはいろいろ教えたかった。そして、もっと話したかった。遊びの話、仕事の話、女の子の話、人生の話。でも、中1の今じゃできない話ばかり。

メールを書こうと思った。毎年の誕生日に自動送信されるようにして。

そして、妻や両親、会社の同僚、お世話になった恩師や先輩、親友や慕ってくれてる後輩たちにも遺書を書こうと思った。

でも、とても書けなかった。涙が出て、どうにも書けなかった。


紆余曲折を経てようやく軌道に乗り始め、やっと楽しめる段階に来た事業。そして、少しの余裕を自分や家族の為に使えそうな兆しが見えた矢先の余命宣告。

絶望の淵とはこの事かと思った。

俺の人生は違っていたのか?

独立なんてせず、サラリーマン生活を続けていれば、癌になるほどのストレスもなく、家族も幸せだったのではないか。自分で言うのもなんだが、結構、順風満帆のサラリーマン人生を送っていた。韓国の法人を10年で大成長させ、4000人程のグループ企業で最年少役員を務めた。残り半分のサラリーマン人生を掛ければ本社役員も狙えたかも知れない。

のあの11年前の選択は間違っていたんじゃないか? 
独立して成功できるなんて思い上がりで、神様がそのことを知らしめるために癌にしたのではないか?

もともと楽天的で、過ぎてしまったことを後悔しない性格だったが、このときばかりは袋小路の思考回路のに陥った。


そして、一人になると訪れる死の死の恐怖。

死後の世界はあるのか?無になるのか?それとも天国や地獄があるのか?輪廻転生?

仏教徒だが聖書関連の本も読んだ。死後の世界や生命の終わりが理解できれば、死の恐怖が無くなるのではないか。そうすれば、残された余命期間を充実したものに出来るのではないかと考えた。しかし、なかなか自分を納得させられる考え方や理論にはたどり着けなかった。


余命宣告と同時に処方され、病院からの帰宅の途中で買ってきた6万円もする抗癌剤を目の前にして、飲もうか飲むまいか、しばし考えた。治ることがないのだから、「抗癌剤治療」というのも可笑しな話で、「抗癌剤延命」というべきではないかなどと、意味のないことを考えた。

最先端の免疫細胞強化による免疫治療などでは、抗癌剤の副作用で免疫機能が落ちる前に始めた方が良い場合があることを本で知っていた。また、東洋医療をはじめとするホリスティック医療と呼ばれる分野が存在し、末期癌からの生還者を多く出していることも本などで分かり始めていた。どうせ助からない抗癌剤をやるなら、治る望みのある代替医療の方が良いのではないのかと考えてはいたものの、ステージ3b確定後から、ステージ4への昇格までの短期間では、どの代替治療に命をかけるべきなのかまでは考えが至っていなかった。

始めるべきなのか、止めるべきなのか、誰も答えをくれない。だれも助言してくれない。

自分でも同じだろう。誰かに同じ質問をされても、とても答えられない。何を根拠に他人の命に関わることを答えるのか。

自分で選択しなければならない。抗癌剤を飲むのも止めるのも。治療方法も。癌は、全て自分で決めていかなけれなばらないことをこの時に思い知った。


結局、止める理由が見つからぬまま、治ることのない抗癌剤を飲んだ。


始めたからには効いてくれれば良いが、いずれはリバンドが来るとも聞いている。そうなればさらに強い薬になって、副作用はまぬがれないだろう。

髪も抜けるのか?免疫も下がって、そそうなれば入院か?

そのまま、緩和治療に移行して、死ぬのか?


早く、息子と思い出を作らなければ。妻とも。同僚とも。

楽しい思い出の中で記憶してもらいたい。

副作用が始まる前に、旅行に行かなければと思った。



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ちょうど1年前に余命12ヶ月宣告を受けた話。第4話

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