ちょうど1年前に余命12ヶ月宣告を受けた話。第4話

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屋久島へ行こう


抗癌剤をスタートして延命に取り組み始めのだが、抗癌剤がきちんと効いているのかそうでないかは、次の定期経過検査をやってみるまでは判らない。血液検査で、癌が暴れ始めると変化が見られる数種類の腫瘍マーカーと言われる数値を観察し、併せてCTで腫瘍の大きさを確認する事によって、初めて癌の状況が判る。そもそも私の身体に巣くっている癌はなんの自覚症状も及ぼさない。痛くも、痒くも、しこりもないので、何らかの治療をやっても、効いているのかそうでないのかは、検査をするまで判らないのだ。


しかし、副作用は確実に判る。先ず、爪がもろくなってきた。爪の生え際に筋のようなものが現れ始め、爪が割れやすくなった。肌が浅黒くなてきた。会う人ごとに「日焼けしましたね。」と言われる。先生の言った通りの副作用が確実に出始めている。


癌細胞は盛んに分裂を繰り返す。抗癌剤は盛んに分裂を繰り返す、爪や髪、卵子、骨髄などの細胞を攻撃する。特に骨髄の造血機能を攻撃し始めると免疫機能が低下し、普段は害のないような菌に感染して肺炎などで死に至ることもある。それを防止するために無菌室などに入院する事になるわけだ。分子標的薬など、がん細胞だけを攻撃するというものも出始めてはいるが、理屈通りに効く抗癌剤は皆無なのが現実だ。


抗癌剤治療の副作用というと、ドラマや映画で髪が抜け無菌室に隔離されるシーンが思い浮かぶ。実はこういったシーンは、ガンを小さくして摘出手術を行い根治を目指す場合や、白血病などのように抗癌剤で完治できる可能性がある場合、または、再発防止の抗癌剤治療の場合に、辛い抗癌剤治療を耐え抜いてハッピーエンドが訪れる。

しかし、多臓器転移のステージ4の場合はあくまで延命であり、もし同じシーンに出くわしても、その後の選択肢にハッピーエンドは無い。


今やり始めた抗癌剤に効果が見られた場合は、効果が持続する限り飲み続ける事になる。もし効果が見られなければ、別の抗癌剤に切り替えて効果を確認することになる。しかしもし効いたとしても、癌は早かれ遅かれ抗癌剤に抵抗力を持ってしまい、リバウンドを起こす。その場合は更に強い抗癌剤を使う事になる。


いつまで普通の生活ができるか、不安になってきた。髪の毛が抜ける。食事が美味しくできなくなる。吐く。抵抗力が落ちて人混みに出られなくなる。

元気なうちに旅行に行こうと思った。これまで先送りにしてきた旅行に。


何故だか分からないが、真っ先に縄文杉が思い浮かんだ。樹齢7千年とも言われる縄文杉には、神聖で神秘的な力があるように思えたからかもしれない。そこに行けば、その恩恵にあずかれるかもと思えたのかもしれない。

かなりの道のりで、しかも2/3の確率で雨に降られる事は知っていた。それでも、息子と縄文杉まで歩いて登り、いろいろ話をしたい。


鹿児島からジェットフォイールで約2時間半、太平洋の海原に突如としてそびえ立つ1000〜1900メートル級の山々は洋上アルプスとも形容され、20年前に新婚旅行で訪れたタヒチのボラボラ島に通じるものを感る。

ホテルは島で最も格式高いいわさきホテルを3泊と、断崖絶壁に立つ絶景のJRホテルを2泊予約した。いわさきホテルのモッチョム岳を間近に見上げる素晴らしい眺望とコスト以上の食事やサービスに感動した。また、台風が近づく荒れた海を眼下に波の音が聞こえるJRホテルも素晴らしい。両ホテルともに期待以上だ。

レンタカーで島内を一周しながら観光名所を見たり、海辺の波打ち際の天然の露天風呂に入ったりした。大うなばらを目前に大小の岩をよけて作った天然の露天風呂に男二人、すっ裸で浸かる。小学生の頃なら人目も気にせずにはしゃいだであろう息子は、他の入浴客が来るとちょっと恥ずかしそうにして早く出ようと急かした。

メインイベントの縄文杉ツアーの申し込みは済ませていたが、近ずいてくる台風の影響が心配だ。


ツアー当日は朝4時半にホテルロビー集合。心配した雨は幸い傘をさす必要もない程度だ。3日後に台風が直撃するとの予報のためか、多くの観光客がツアーをキャンセルして島を去ったのだろう。団体ツアーにも拘らず親子二人の貸切状態だ。早々登山者駐車場まで車で移動し、そこから専用の登山バスで登山口まで移動する。道すがらガイドさん曰く、前日と前々日は天候良好の予報で登山者が多く、縄文杉渋滞で500人待ち状態だったが、今日は天候が危ぶまれる反面人は少なそうだとのこと。


登山バスを降りてトロッコ道を歩き始めると、時折雨雲の隙間から朝日も差し込みはじめ、小雨混じりの晴れ間がとても気持ち良い。次第に小雨も上がり駐車場で着込んだカッパを脱ぐ。縄文杉までの11kmの道中8kmはこのトロッコ道で、歩幅と微妙にリスムの合わない枕木の間隔に慣れることなく先を急ぐ。

中一の息子は下山のことも考えず、足元も軽やかにガイドさんを質問攻めにしている。永遠に続くかと思えた川沿いのトロッコ道の終点まで順調に行程をこなし、いよいよ本格的な山道に突入する。ここまでは川沿いで左右どちらか一方が明るくひらけていたが、ここからは、数百年から数千年の大木が頭上を覆い、大木の根元の岩々を苔が覆い尽くす正にもののけの森だ。


雨上がりで湿度が高いためか屋久杉の森の中を霧のような水滴が舞い落ちる、そこに差し込む緑色のこぼれ日と、足元を覆うシダと苔の絨毯で、視界が緑の柔らかな光に覆われる。なんとも神秘的でこれまで味わったことのないようなやすらぎを感る。もののけ姫やアバターで、森が傷ついた者を癒してくれるあの感じだ。


本格的な山道を3km登り、いよいよ縄文杉とのご対面だ。うっそうとした森の中にありながら縄文杉の周辺はだけは木々が少なく、直射日光が縄文杉の樹皮を銀色に輝かせている。神々しく堂々とした縄文杉は何千年も変わらずここに居続け、圧倒的な存在感で訪れるものを魅了している。



屋久島を訪れようと決めた頃はダメだと思っていた。大病院で治ることはないと宣告されてネットで調べ、ウィルヒョーリンパ節転移のステージ4からの生還率が天文学的に低いことが判り、誰にも言えなかったがダメだと思っていた。心配してくれる周りの人間にそんなそぶりは見せられない。だから口では大丈夫と言い続けた。せいぜい元気なうちに沢山旅行して、楽しい思い出の中に入り込もうと考えていた。だから、屋久島のパワーに期待はしたものの、家族と楽しい思い出を作り精神的な安らぎが得られれば良いかなという程度のものだった。


しかし、実際にこの森の中を歩き縄文杉を見て感じた。身体の毒をこの森が吸い取ってくれている。ここに居たら癌も治してもらえるのではないかと感じた。


癌は、「疒(やまいだれ)」に「品」が「山」と書く。字のとおり、身体の中で余分な品(物)が山の様に溢れてなる病だそうだ。余分な品とは「怒り」や「ストレス」、「化学物質」や「糖」らしい。癌の治療法にはホリスティック医療という現在主流の西洋医療(手術、抗癌剤、放射線)とは全く異なった考え方の治療法がある。アーユルベーダや漢方、鍼灸などの東洋医療もこれに入るのだと思うが、屋久島の森はホリスティック医療的な見方をすれば真の癒しの森と言えるのではないか。

癌発覚から余命宣告の12ヶ月を超えた今だからはっきり分かる。

この時の屋久島の太古の森が与えてくれた癒しの力は本物だ。




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