息子が20万人に一人と言われる難病と闘った話。たった9か月間の3人家族だった。
こんなに突然別れが来るなんて思わなかった、
信じる者は救われるなんて嘘だよ。
その日は突然やってきた。
なんでもない日。いつもみたいに夜中も鼻チューブでミルクあげてた。
でも、相変わらず苦しそうに息して寝てて、10秒に一回起きてるのはこの1か月くらい変わってなかった。
最近そんな日が多かったから私も寝てなかった。その時に限ってすごい睡魔が来て、
「また鼻チューブが終わる30分後にアラームつけてねよっかな。」
って普通に思って寝てしまった。これがすべての間違いだった。
いつもならすぐに起きるのにその時だけはアラームにも気づかないくらい深く寝てしまった。
ふと気が付くと息子は眠っていた。
「やっと苦しくなく眠れてるんだ。よかった。」
ミルクが終わりいつも通りベッドへ運ぼうと持ち上げると
「ん?怒らないの?」
いつもなら寝てるときに持ち上げると「せっかく寝てるのに!」みたいに一瞬怒るのに今日は怒らない。
「え?〇〇?」
つんつんしても叩いてもくすぐっても反応がない。
「お母さん!〇〇が息してない!」
手が震える。
「〇〇!やだよ!まだ早いよ!やだやだ!起きてよ!」
ゆすっても起きない。ここからは断片的にしか覚えてない。
たまたまこの日は実家に泊まってて、親がいた。
誰が救急車を呼んだかも覚えてない。取り乱してた。父が息子に心臓マッサージしてたのは覚えてる。
救急車の音が聞こえると父が
「おい、今救急車きたぞ。もう少しだ、頑張れ」
って言ってた。私はその時何をしてたんだろう。
次に覚えてるのは病院でパパが来たとき。
2時間くらい経って、パパと病室に呼ばれた。
私は「やだ、行きたくない。」ってだだこねたけど、パパに連れられて行った。
そこには医師と看護師が勢ぞろいしてその前に心臓マッサージを受けている息子の姿だった。
小さい体で大人のめいっぱいの力で心臓マッサージを受けている息子がかわいそうで、心臓マッサージをやめてもらった。
息子はパパとママに見守られながら空へと旅立った。
死因は直接メンケスとは関係なかったけど、メンケスの影響で心臓に穴が開いていたり、肺が腫れていたりなどいくつものものが一気にきた影響だろうっていわれた。
最後の本当のお別れのときまで息子は本当に眠ってるみたいだった。
ぷにぷにほっぺも唇の色も生きてる時のまま。それが私にとってせめてもの救いだった。
「多分息子さんは眠るように亡くなったんだと思います。」
その言葉が納得できるくらい。少し笑っているように見えた。
辛いけどここ数か月の中で一番気持ちよさそうに眠っていた。
携帯の中には笑う愛しい息子がいるのに、目の前にはどこ探してもいない。
普段はわかっていることなのに、私の中の私が「あれ?〇〇はどこ?」って探してる。
「あぁ。もう会えないんだ。会いたい。会いたい。またかわいい笑い声が聞きたい」
とぽっかりと心に穴が開く。しばらくすると「そんなこと言ったって、いずれはお別れするってわかってて産んだんだ、やっと息子は苦しい思いをせずに過ごせるんだ」ってもう一人の私がぽっかり空いた穴をゆっくりと埋めていく。そんな日が続いて苦しかった。
パパの親に、「本当に眠っているように見えた。一緒にいる時間が長くなると、看ている時間も長くなる。パパとママに負担をかけないように自分の人生を自分から終えたんだよ。親孝行な子どもだね」って言われた。その言葉を今なら心から聞ける気がする。
何よりお別れのとき、パパが息子のほほをさわりながら流した涙が忘れられない。私はパパの大事なものまで失わせてしまったって思った。
月日がたち、2年後。これから妊娠するときは性別診断をすることを決めた。申し訳ないけどもうメンケスの子を育てる自信がなくなってしまったから。これにはパパもオーケーしてくれた。それを主治医に相談したら大きい病院を紹介された。
そして話に行くと本当に科学的な話が多くて難しかった印象しかない。
そんなとき、妊娠した。
「どうする?羊水検査する?」
選択肢は羊水検査。特例で私のように産める子が限られている場合のみ、羊水検査で性別を見てくれる。
私は羊水検査をすることに決めた。羊水検査をするのは都内の病院。
「また男の子だったら・・・」
今回の妊娠は不安しかなった。「また男の子だったらお別れをしなくてはいけない」
ネットでいろいろ見てた。死産した人の話。「産声が聞こえない出産ほど悲しいものはない」
その通りだと思った。不安で仕方なかった。
そして羊水検査を2日後に控えた妊婦健診。何もなくいつも通りエコーをして帰ろうとしたとき、
主治医の先生、周りの看護師が一列に並び私に言った。
「〇〇君は本当に残念だった。でも、それでも産んだあなたは立派です。
今回の妊娠がいい結果であることを心から願っています」
そう言ってくれた。涙が出た。
いい結果を望んでいるのは私だけではないんだ。先生も思ってくれてる。
心強かった。
そして羊水検査、想像以上の痛みで涙が出た。でも、これでもいい結果が出るって信じて頑張った。
それから結果までの2週間は毎日寝ているときはうなされた。辛かった。
結果の日が近づくにつれて心臓がおかしくなりそうだった。
そして結果の日。都内の病院に行く。
呼ばれるまでも気が気じゃなくて心が苦しかった。
名前が呼ばれた。
コンコン・・・。部屋に入る。
入った途端。「おめでとう!女の子!」
私が椅子に座る前に言われた。本当に涙が止まらなかった。毎日空に向かって息子にお願いしていたのが叶った。息子が叶えてくれた。
女の子でよかったという安心感より、もうおろすことを考えなくていいんだっていう安堵感のほうが強かった。
でも、この子もメンケス病の保因者かもしれない。それはこの子が大きくなって自分の意志でメンケスの保因者の検査をしたいとなったら検査をする。それまでは検査はできないって言われた。
そして生まれた。元気な女の子。息子に妹を作ってあげられたのが嬉しかった。
そして翌年次女が生まれた。息子は3人兄妹になった。
娘たちは風邪もめったにひかない、とても健康で元気に成長している。
気づいたら息子の亡くなったときの体重を優に超えてた。
笑顔だって。首だって。歯だって。ハイハイだって。
全部息子ができなかったこと、簡単にできる。息子にもさせてあげたかった。
でも、姉に「〇〇がいてくれたから娘たちが首すわったり、ハイハイとかできるようになるのが泣けてくるほどうれしいしありがたいでしょ?」って言われた。
本当にその通り。息子がいなかったら首がすわるのも、ハイハイするのも笑うのも当たり前に感じて何にも思わないだろう。
でも、そんな元気な娘たちだけど。寝ているときは本当に不安になる。
「ちゃんと息してるかな?」
手を当ててみたり、お腹の動きを確認してみたり、寝息を聞いたみたり。
私が早く気付いてあげられたら息子は死なずに済んだという思いがあるから、娘たちが寝ているときはとても過保護になってしまう。
だから電気を真っ暗にするのは怖い。子どもが見えなくなるから。
息をしているのかわからなくなるから。
一度娘が亡くなる夢を見た。夢の中の私は涙も流さず「あーぁ。また私の目の前から消えちゃった」って言ってた。
ぼんやり眼を開けると目の前にスヤスヤ気持ちよさそうに眠る娘がいた。
そこで、「今のは夢だったんだ」ってわかった瞬間一気に涙があふれて声出して泣いた。
もう子どもを失いたくない。本当に改めて感じた。
たまに涙が出て息子に会いたくなる。
前にもこういうことがあったとき、母が、
「〇〇はママが元気かな?って思ってママに会いに来てくれたんだね。で、ママが元気なのが分かったから安心してまた遊びに行ったんだよ。だからあんたは泣かなくて大丈夫!」
って言われた、この言葉本当に私の心を救ってくれてる、
同じ状況下で兄の場合は亡くなるまで病院生活。実家に帰ったのなんて外泊しかなかった。
そんな息子を亡くした母は私たちには考えられないくらい苦労して苦しんだと思う。
だからこそ。そんな母の言葉だからこそ本当に心に響き、今でも私を励ましてくれてる言葉。
元気で毎日あわただしく過ぎていく中で、優しく笑う息子の写真が部屋を見渡せる場所にある。
最近長女が「にーに」って写真に話しかけるようになった。
ちょっとふざけ半分で長女に「にーにとお話したことある?」って聞いたら
「にーにとね、シャボン玉した」って言ってた。うそかほんとかわかんないけど、
なんか嬉しかった。
子どもたち三人が夢に出てきたことがあった。長女と次女が遊んでる姿を息子がにこにこしながら見てた。それを私とパパはにこにこしながら見てる。幸せな時間だった。
一生叶わない夢だけど、夢の中なら息子と話せる。5人家族でいられる。
私が息子を妊娠したのは22歳。出産、子育てに対する考えがあまりにも未熟すぎて、息子をたくさん苦しめたかもしれない。
そしていつか、娘たちにメンケスのことを話さなければいけない日が来る。それは母である私の使命。
苦しむと思う、辛いと思う。でも、産めないわけではない。希望はいくらでもある。
私はあなたたちを産んで希望は沢山残っているって実感できた。と。
それを子どもたちがどうとらえるかはわからないけど、ちゃんと話す。息子のことも。
今私が22歳の当時の私と話ができるとしたら、結婚や子どもを産むということを甘く考えすぎだと叱りたい。
でも、いろいろメンケスのことを知りすぎてからの男児の妊娠が分かってたら、息子との出会いもなかったかもしれないと思うと、あの時妊娠してよかった。
また空で息子に会ったら沢山の話をしよう。一緒に遊べなかった分、沢山遊ぼう。
息子へ。
あなたの可愛い笑顔、とても愛しいです。
辛いとき、あなたの写真に写る笑顔、可愛い泣き声を聴いて励まされています。
あなたを見るたび、妹たちに起きていることすべて奇跡の連続なんだと感じます。
妹たちのふとした仕草、表情が時折あなたに見えて嬉しく思います。
あなたの妹たちを一生かけて守り、毎日に感謝し生きていきます。
だから、もうちょっと時間がかかるかもしれないけど、ママがお空に行くまで待っててね。
会えたら今まで我慢させてしまった分、沢山ハグしよう。沢山遊ぼう、ケンカもしよう。
また会おうね。あなたのことが宇宙一大好きなママより。
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