息子が20万人に一人と言われる難病と闘った話。たった9か月間の3人家族だった。

1 / 2 ページ

あの時の私は幼すぎてすべて甘かった。息子にこんな思いをさせずに済んだかもしれない。

私が妊娠したのは22歳の時。

妊娠した時はどうしようと悩んだけど、相手も喜んでくれたし、親も喜んでくれた。

でも、そのとき親が改まった表情で「話がある」と言われた。

その話とは兄と甥っ子のこと。

兄は2歳になったとき亡くなった。姉の子どもの甥っ子も1歳過ぎて2歳手前で亡くなった。

そのとき、「もしかしたら病気が遺伝しているかもしれない、ご姉妹みなさん採血で病気の検査をしてみてください。」

採血をしたけど色々あって結果は聞きに行かなかった。

兄と甥っ子の病気。「メンケス病」

もしかしたら私たちも保因者かもしれない。そう思いながら妊娠検査に病院に行き、主治医に話すと、

「急いで結果を聞きに行ってください。それによっておなかの赤ちゃんの今後が決まります」

この時の私はまだこの病気のことを詳しく知らなくて、ただ「結果危機に行くの面倒くさいな」としか感じてなかった。



結果は「メンケス病保因者」だった。「そもそもメンケス病って?」って疑問がわいた。

そのまま気になったし調べてみた。私はこんな重大な病気の保因者だったなんて知らなかった。

女性の場合は保因者だったとしても発症はせず、保因者の子がいずれ妊娠し、男児を生むと発症する確率はある、親から子へ病気が遺伝する確率は1/2。

子どもが男児だったとしても保因者になる確率は1/2。保因者で発症する確率は70%。

体内で銅が作れない病気。首もすわらず笑顔が見られず成長が著しく遅い。現段階では病気は治ることがなく銅を定期的に皮下注射で体内に一生入れ続けることによって症状を軽くできる可能性がある。

色素が薄く、肌が白い。髪の毛も茶色く縮れている。なので縮れ毛病。

この病気は珍しすぎて知らない医師もいる。」

そして何より、この病気について私が調べていた中では成人を超えているメンケス病患者はいなかった。

それはもし子供が男児だったとして、メンケス病を患っていたとしたら私たちよりも命が短く、なくなる場面を見てしまうということだった。

軽くまとめるとこんな感じだがその時の私は事の重大さにやっと気づいた。

母は「遺伝移しちゃってごめんね。あなたたちに苦しい思いをさせてごめんなさい」って謝ってた。

医師は「決してお母様のせいではありません。ご自分を責めないでください。」って言ってくれた。


次の妊婦健診の日、母も一緒に行った。保因者だって伝えた。

「そっか。じゃあ、今後は3つの選択肢がある、

一、もしもの時を考え、中絶が認められる今、すぐ羊水検査をする

二、何も検査はせず、生まれたら考える

三、もしおろす気がないなら母子共に負担が少ない35週以降に臍帯血検査(へその緒から採血)をして、結果によって治療の準備をする」

私は即答で答えた。

「おろす気は全くないので、臍帯血検査をさせてください」

そう私が言うと母は後ろで涙を流していた。

それからは普通の妊婦さんと一緒。普通に生活して胎動を感じて嬉しくて。

まさか、ほんとに自分の子どもがメンケスになるなんて考えてなかったから。


そして35週になってすぐ、入院した。6人部屋にたった一人私。

不安でいっぱいだったけど、姉が気がまぎれるようにくだらない本とか名づけ本とかくれた。本当にうれしかった。


そして結果の日。旦那も仕事を休んで付き添った。検査してから毎日不安でうなされてもしものこと考えて涙を流してたのにこの日はもう覚悟が決まっていた。「どんな結果でも受け入れる」

私の名前が呼ばれ部屋に入る。いつもニコニコの先生なのに明らかに表情が硬く、「こちらで少々お待ちください」って居なくなった。

その日は主治医のサポートしてる先生だったのに、わざわざ主治医を呼びに行った。

私たちは目を合わせ悟った。そして主治医が席に着くなり。


「うーん、お子さんねメンケス病の保因者でした。でも、結果が分かった日から早速小児科と話を進めて治療に向けて話し合っています、今は出産をがんばりましょう。こちらは徹底的にサポートします」


私たちはよろしくお願いしますと頭を下げ部屋を出た。

旦那は過呼吸もちの私が結果を聞いて取り乱して過呼吸になるんじゃないかって思ってたらしく、私のあまりの冷静さに驚いたらしい。

逆に何か吹っ切れちゃってそれからは赤ちゃんが愛しくて早く会いたくてたまらなかった。病気のことなんてまだ考えないで無事に産めるように頑張ろうって思いながら過ごした。


そして元気な男の子が生まれた。3210gのほかの赤ちゃんより2回りくらい大きく、元気に泣く男の子。嬉しかった。産めた。やっと会えた。これから一緒に頑張ろう。この時はそう思っていた。

かけがえのない息子、愛しい息子。でも、この瞬間からたった9か月間の3人家族の始まり。


初めて子どもに会いに行ったとき、子どもにはいくつもの管が出てる機械と体をつなげられていた。

「そっか・・・うちのこ病気だった」このとき改めて思った。

生後四日目から銅を皮下注射する治療が開始された。淡々とこなされる作業の中で泣きわめく息子。

それがあまりにも流れ作業で悲しかった。病院からしたら注射なんて当たり前にこなってることだからそんなに重く感じないんだろうけど、泣いてる息子を見るのは悲しかった。

でも、ミルクもよく飲むし、よく寝る。抱っこの感触が暖かくて愛おしい。

私にも守るものができた。守らなきゃ。

入院は1か月だった。私が皮下注射を覚えてからの退院。

頑張った。早く一緒に暮らしたくて。そして退院できた。

それからは2週間に1回のペースで通院していた。

確かに首のすわりが遅い。

ミルクなんだけど日に日に飲める量が減っていった。だから体重もすごく軽かった。

先生は「一度入院して検査してみましょう」って言ってた。

また離れるんだ。また寂しい思いをさせてしまう。でも、1週間くらいで退院できるって言われたし少しの辛抱。

でも明らかにのみが悪く体重が増えず2週間がたった。

そして主治医に呼ばれ

「お子さんはメンケス病に見られる筋力低下の影響で口の筋肉が弱くなってきていてうまくミルクを飲むことができない。筋力が戻ってくるまで鼻にチューブを入れて胃に直接ミルクを入れたほうが体重も増えるのではないか」と言われた。

悲しかった、どんどんどんどん子どもが不自由になってきている。

次の日、子供に会いに行くと鼻にチューブがつながれてた。

気になるみたいで取ろうとして私に止められて。かわいそうだった。

「健康に産んであげればこんなことしなくて済んだのにごめんね。ほんとにごめんね。」

こんな言葉しかでてこなくなってた。

でも、私の気持ちとは裏腹に順調に体重は増えていった。やっぱり口の筋力低下が原因だったようだった。

医師に言われた。

「このまま口から食べる練習をしながら、しばらくは鼻チューブでお家でも過ごせませんか?」

正直戸惑った。外に出かける時もこの鼻チューブはつけていないといけない。本当に悩んだ。

でも、この子のため。この子が生きていくために今、必要なもの。

元気になるまで。体重が標準になるまで。

すぐそんな日が来るだろうと思ったから「わかりました」って答えた。

家に帰って一定の時間になったらミルクをチューブから定期的に点滴のように流す。

いろんな注意事項があったけど、これも子どものため、一生懸命覚えた。

一日に一回、銅を皮下注射。 鼻チューブでのミルク。

でも、一緒にいられる時間は本当に愛おしかった。

早期からの治療の甲斐あってか、首はすわらないけどとても笑顔が見られた。

愛しく可愛いわが子の笑顔。本当に愛おしい。

私が子供のもとから離れると、持ち上がらない首を一生懸命持ち上げようとしながら必死で目で追ってくる。見えないところに行くと泣きわめく。

嫌なことがあってギャーギャー泣いてる時も、自分の気持ちを表せるんだって嬉しくて全然イライラしなかった。一日一日が愛しく奇跡の連続のように感じた。


息子が7か月になったころ。

季節は寒い冬になっていた。そのせいか子供の体調がすぐれず、鼻水が出ていた。

そのときは口の筋力も付き始めていたので、まずはじめにミルクを口からあげて、残った分を鼻チューブであげていた。表情も豊かで自我も出始めていた。

ただの風邪だと思ってたし、実際病院にかかっても風邪だって言われたから、とりあえず薬をもらって飲ませてた。

でもその状態が2か月、どんどん悪化していって、鼻からの呼吸が苦しくて、寝てても10秒に一回くらい息苦しくて起きてる状態が続いてみていてもかわいそうだった。

でも、医者からは風邪だって言われてとくに治療もなかった、実際体重もとても順調に伸びてたし、

その時は風邪っぽい症状がある以外はとても元気だった。

そんな時に息子へ作った言葉がある。

「〇〇へ。

あなたへずっと前から聞きたかったことがあります。

あなたは私の子供に生まれて後悔はしていませんか。

よく、子供は親を選んで生まれてくると聞きますが、

あなたは私の何を選んで生まれてきてくれたのでしょうか。

辛い思いしかさせてないのに・・・

もし、あなたが私の子に生まれ後悔をしているのだとしたら、

私は謝ることしかできません。

でも、そう思わせてしまった分、

200%の愛情をパパと注ぎます。

私はあなたを産んでから一度も後悔をしたことはありません。

あなたの仕草に癒され、励まされながら毎日を送っています。

あなたは私にたくさんのことを教えてくれているのに、

私があなたにしてあげられるものはなんなのでしょうか。

あなたの心が満たされることはなんですか?

あなたが大きくなり、パパに肩車されて一緒に笑いあえる、楽しい日々が来ることを心から願います。

本当に本当に私たちの子どもに生まれてきてくれてありがとう。

あなたを一生掛けて守ります。

〇〇のことが大好きなママより。」

でも、「一生かけて」が守れなくなっちゃった、

著者の石郷 碧さんに人生相談を申込む

著者の石郷 碧さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。