気にしすぎる性格のせいで過呼吸になり、人混みが怖くなった私がいくつかのことを意識的にやっていたことで楽観的な性格になれた話。

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私の家族は色々あった。

普通に生活していたら全く経験しなくて良いことばかりのことを小学生の時から経験してた。

そのおかげか、思春期に楽しかった思い出はすべてそれらの出来事で塗りつぶされ、楽しいことなんてひとつもなかった。

今でも思い出すのは辛かったことばっか。



小学生のころ。あることがきっかけで、気にしすぎる性格の私はますます周りの目を、相手の目の奥に感じる何かを察し、行動するを覚えるようになった。


とりあえず子どもらしく笑っておけば大人は喜ぶ。

今、ここでこんなことをやったらみんなはこんな反応をしてこう言うだろう。


そんなのことばかり考えてた。

周りの目を気にしすぎるせいで自分の意見を全く言わない子になってしまった。

とりあえず、大人の顔色を常に伺ってた。

そんな事ばかりやっててもまだ子ども。本当によく泣く子どもだった。

悲しくて泣くのも悔しくて泣くのも、ムカついて泣くのもよくあった。


ほんとに泣き虫だった。うざがられるくらい。

そんな性格のまま、中学、高校と進んでいった。

いじめもうけた。いじめられたきっかけもわかんないまま、無視が始まり、昨日まで仲良かったグループみんなが私を無視するようになった。

本当に辛かった。家も辛かったし、学校も辛くて居場所がどこにもなかった。

苦しかった。でも、そこでまた私は覚えた。

私は常にニコニコしてハキハキ話してフレンドリーに接していた。

でも、心は全く開いてない。

頑丈に鍵を何十にもして誰も受け入れなかった。

むしろ、失礼なことに鍵のついた心のなかで相手を蔑んだりもしてた。

そうしないと今まで生きていけなかったから。

そうしないと苦しくなって発狂したくなっちゃってたから。


そんな性格なまま、専門のとき母が大きな手術をした。

9時間に及ぶ大手術。オペ室に入る前、母はピースして入っていった。

そんな母が次を目にしたとき。

そこには沢山の管につながれてむくんでパンパンになって横たわってる母がいた。

私はそんな母を見てワンワン泣いた。

そんな時、ある人に言われた。

「お前は昔から泣きすぎだ。もう大人なんだし泣くのは一切やめなさい。」


だから泣くのをやめた。というか、やめなくてはいけなくなった。






私の通ってる専門から母の病院が近くて毎日学校が終わると母の所に行き、夜に自宅へ帰っていた。

母は手術の後遺症で目が悪くなり、足も不自由になった。

目が合わなくなって、今までの母の顔を忘れるくらい正直ショックだった。


どうしてかは忘れたけどある日母は担当医に何かの書類の署名を書いてくださいと言われていた。


一通り母が書き終わった後、「ごめんなさい、ちょっと見えにくくて。書けてますか?」


そこには署名の枠内に名前の一角目だけ。二画目からは名前かもわからない”文字”だった。

「…書けてますよ。大丈夫です。」

一瞬間があって担当医は返事をした。

私が小学生の頃、一緒に書道教室に通っていた母。そんな母の書く字が好きだった。

でも、今目の前にいる母は、

名前も書けなくなってしまった。



私は毎日何しに行っているんだろう。母の何にも役に立っていない。

自分の無力さが本当に情けなかった。





その日たまたま姉が実家の駅まで車で迎えに来てくれていた。

「お帰り。お疲れ様!」


笑顔で言ってくれた姉を見た瞬間緊張の糸がほぐれたように涙があふれた。


「何も疲れるようなことしてない!お母さんが文字も書けなくなっちゃってるのに。

私には何もできない!」


姉は困っていたと思う、でも優しく横にいてくれた。

「私の前ならいつでも泣いていいから。我慢するのはやめようね」

本当に姉には迷惑ばかりかけてしまった。


でも、それからは母の気持ちを前向きにできるように今まで以上ににこにこして話しかけていた。

一緒に屋上に行って歩く練習して。「今日は3歩歩けた!」

「今日は10歩も歩けるようになった!」

日に日に母は歩けるようになったけど、目は8年経った今でも治っていない。









無事母も退院して母も家にいられるようになった。

退院してから母のリクエスト食べに行った醤油ラーメンの味は一生忘れない。






それから私は社会人になった。

相変わらず家の中はいろいろあった。

家の雰囲気は本当に重かった。帰ってきて玄関を開けた途端、「これが空気が重いっていうのか」と言うくらい空気がどんよりしている日々だった。

そんな私はストレス発散は夜のドライブだった、姉と一緒に行って語り明かす日のあれば、一人で出かけて好きな音楽を流してドライブもしていた。


でも、あの日から家では約束通り泣かなくなった。泣けなくなった。

しかし、あるときふとした時に泣きたくなる衝動にかられた。

「泣いちゃダメ、泣いちゃダメ」そう思ってたらどんどん息が苦しくなって、息の仕方が分からなくって苦しくて苦しくて。

それが過呼吸だった。

ひどいときは我慢してないときも泣くと過呼吸になるようになった。

そしてちょうどこのころ、電車で前に立たれるのが苦しくなった。怖くなった。

満員電車が怖くなって途中から登下校は特急に乗っていた。

それでも特急を待つ駅のホームで並んでるのもつらかった。

街中の人混みが怖くて、肩がぶつかっただけで「私はこの世界の邪魔者なんだ。いない方がいいんだ」って考えるようになった。人が嫌いだった。


それくらい気持ちが追い込まれてた。

 相変わらず気持ちはマイナス思考。相手の顔色は常に伺う性格は変わってなかった。

「お前はもっと自分の言いたいことをいえ。言わないから泣くんだ」

そういわれた。

でも、私があの時。小学生の時。自分の言いたいことを言っていたら。

もっと家族の負担は増えただろう。言ったところで私の欲求は通らなかったと思う。

だから先に察して言うのをやめた。我慢を覚えた。気持ちを押し殺すのを覚えた。


私なりの家族へ気を使ってきた今までの10数年間を全否定された気がした。

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