スズランの話3 最終章
お花を納めとりあえず花屋の仕事を終えた、あとはパリからのお客様喜んでくれる事を祈りつつ、床についた。
次の日の朝、パリジェンヌからメールが入っていた。
「お花ありがとう彼女喜んでいたわ、大久保さん(僕)のことも話したの、感激していたわ。」
よかったぁ、普通の花屋の仕事はこれで終了。
でも、もっと喜ばしたろうそんな気持になり、僕もサプライズをしかけようと考えた。
次の日、花屋は9時に開店する、従業員の女の子がきたので店番を頼み、花の配達で有家町に向かった。
10時になると、パリジェンヌから電話がはいった。
「ねぇどこにいるの、私達今お店に来ているのよ、会えないかしら。」
「僕は有家町にいます、パリからのお客様に食べてもらおうと、今、僕の中では一番のイチ押しスイーツを買ったところです。」
「そうなの、帰ってくるのにどれ位かかる?」
「そうですね、30分ぐらいかかると思います。」と、僕が答えると
「分かった、じゃあ30分後にお店で会いましょう。」と、パリジェンヌはどこかで時間をつぶし、また二人でお店にくるらしい。
僕は急いで店に戻ると、イチ押しスイーツを赤のギンガムチェックの袋に入れリボンを付けた。
しばらくすると、二人のパリジェンヌはやってきた、いつものモノトーンな感じの姿のパリジェンヌと、イメージ通りのナチュラルな感じのパリからのお客様が
「ありがとう、お花よかったわ。」と、喜んでくれた。
すかさず、例のギンガムチェックの包みを渡して。
「これは、今、僕の中で一番のイチ押しスイーツです食べてみてください、これは僕でもあります、味わってください。」と言い、少し言葉を交わし、別れた。
その日の夜、パリジェンヌからのメール
「ありがとう、私もご相伴にあずかったの、美味しかったぁ〜。」
僕としては「オシャレなスイーツかなぁ〜と思って包みを開けたら、なんかヘンテコな饅頭じゃないの、ガッカリだわ。」とかの、返事を期待していた。
正確に言うと、中身はいきなりダゴ、饅頭みたいにふわふわしてなく、少々かたく形もいびつ、ところどころ、中身のあんこや芋がはみ出している、そう、まるで自分の顔の様、ところどころから血が出て、でこぼこしている、でも、食べてみると美味しいでしょうという、僕なりのメッセージを込めたつもりだったけど、不発に終わった。
でも、最後のチャンスは最高のサプライズを考え、
4月29日12時チェックアウト、二人のパリジェンヌに仕掛けた。
5月1日、フランスではスズランの日、日本でいえば母の日のカーネーションみたいなもので、好きな人や、お世話になった人にスズランを贈る、もらった人は、幸せになるといういわれがあり、中世の頃より伝わる国民的行事になっているというのを、5〜6年前に知り、4月末頃になると、スズランを仕入れて、1人スズラン祭りを開催している、その日店には、200〜300本のスズランで溢れていた。
ちなみに、スズランを買いにくる人は、1人もいないが、ロマンチストの僕は満足していた。
スズランの花言葉は、幸せの再来、ひとりぼっちなったパリのお客様には、ピッタリハマる。
その日、朝9時にはホテルに向かい、フロントの人に、
「二人のパリジェンヌに、チェックアウトギリギリに、渡してください。」と言い、
スズランのブーケを、二つ預けて店に帰り仕事をしていた、11時頃になると、ドキドキしてきた、まだ渡してないだろうか、喜んでくれるだろうか。
僕としては、いきなりダゴと言う庶民の食べ物を渡して、田舎のオヤジキャラを出している、まさか、フランスのスズランの風習を知っているとは思っていないだろう、そんな洒落たまねが出来るはずがないと思っているだろう。
そこを、意外性、ギャップというテクニックをつかった、シビれるはず、絶対の自信があった、しかし、11時半になってもなんの連絡もない、今までは、お礼のメールが届いたり、わざわざ店まで来て、礼を言うなりあった、何らかのリアクションがあるはず、少し不安になった、忘れてないか?フロントマン、頼むよ渾身のサプライズだ。
11時40分になっても連絡無し、失敗かぁ〜。
一台の車が店の前にとまり、二人のパリジェンヌが降りてきた、店に入ってきた二人は、
満面の笑みを浮かべていた、47年間で一番の溢れんばかりの笑顔、ぼくの頭の中にドーパミンが湧き出し、サプライズ成功の喜びと、充実感でいっぱいになった「ありがとう、嬉しい。」二人は喜んで他にも何か言っていたけど、頭に入ってこない、僕も嬉しい。
すると、パリジェンヌが、
「この人は、貴方に何かお礼の品を差し上げたいと言うの、でも私は止めときなさいって言ったの、いいかしら?」と、問いかけた。
ここで僕は、リチャードギアばりの、名ゼリフを吐く。
「お礼なんて必要ありません、もうすでにいただきました。」
「えっ、私達は何も差し上げてないわ」パリジェンヌ二人で顔を見合わせていた。
「お二人の笑顔、充分いただきました、もう何もいりません、僕も最高に嬉しいです。」
二人はさらに、お礼を言い去っていった。
その夜、パリジェンヌからメール。
「彼女は、いま発ちました。」空港からメールだった、すかさずメールを返す。
「今僕は1人、ニヤニヤしています、これから2〜3日は、ニヤニヤしていることでしょう。」
すると、パリジェンヌは、
「どうぞどうぞ、ずう〜と、ニヤニヤしといてください。」と、返してきた。
それから、ひと月ぐらい経って、パリジェンヌからのメール、
「彼女は、パリで日常の生活に戻ったみたい、島原のことが大変お気に召したようですよ、それも大久保さんのおかげ、ありがとう。」と、書いてあった。
僕はまた、充実感でいっぱいになった。
花屋として、120点の仕事をしたことと、島原代表として(自称)、金も何も無い僕が、パリからのお客様に土産話をもたしせたこと、僕は想像した。
モンマルトルの丘で、シャンゼリゼの通りで、エッフェル塔で、凱旋門で、島原の話、田舎者のオッサンの話が話題にのぼるんではないかと、僕は、一句ひねり出し、パリジェンヌにメールを送った。
「スズランの香り未だにとどまりて、会えぬ想いも、いとおかし。」
「スズランの香り未だにとどまりて、会えぬ想いも、チョットおかしい。」
どっちがいいですか?
すると、パリジェンヌから。
「両者とも素晴らしい。」との返事がきた。
見上げると、雲が流れて、明るくなってきた。
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