誰もが持ってる身近な○○で月収400万稼いでいたのに、何もかもをゼロにして○○屋さんになった話。
おもいもよらない環境になりました。
【ここで皆さんに伝えたい事】
・辞める事には勇気がいるし、
先が見えなくて不安しかなかった。
・辞めると決心したら、辞めるまでの道筋が出せる。
【この頃自分がやっていた大切だったこと】
・新しい環境に足を踏み出せた。
・今に満足するわけではなく新しい収入を考えた。
広告会社Aとの出会い
仕事を辞めたあと、学校に入学するまでに時間があり
時間に余裕があった私は、
よく東京に行くようになり、
仕事で付き合いのあった、
当時広告会社で働いている
Aと会うようになった。
その時の何気ない流れで話した会話が
自分の心を動かす会話になったのだった。
仕事の打ち合わせをした後、ご飯を食べに行った時の会話です。
広告会社で働いていたHは、
私と同い年で毎日頑張っている
友達のように話しが出来る相手でした。
その方と話を聞いたことが
自分にとって衝撃的な話でした。
このような会話の流れで当時の地震での被害の事や、
その時Aの心境などを教えてもらったのだった。
Aは、その時上京中だったため、
被害にはあっていないが
Aの家族が津波の被害にあったのだった。
それはテレビなどでは話さないような、
話ばかりでした…。
それまで家族が生きているかも、死んでいるかもわからない状態で1カ月ずっと泣きながら暮らしていたんだ。
そんな話を聞いていた時に、
相手が自分と同い年
これが自分の【今】と重なり合って
このような気持ちに変わっていき、
自然と涙が出て来たのを今でも覚えています。
皆さんも想像ができますか?
・自分の家族が1カ月以上生きているかわからない
・連絡も取れない。
・探しに行くこともできず、待つしかない。
このような事を自分のことに置き換えながら
話を聞いているうちに、心が動かされていきました。
仕事の会話をするためにあっていた広告会社A
仕事の話で打ち合わせしていたのだったのだが、
当時の地震の会話を聞くようになり、
自分のやりたいことが変わった私は
アフィリエイトの収入も十分あったし、
このまま続けていたら新しいことも沢山できたし
自分のやりたいことも沢山出来たはず…。
でも、自分がたどり着いた答えは、まったく違った
答えだったのだ。
※岐阜の町おこしのイベントにて
・人と対面で、できる仕事がしたい
・会話して喜んでもらいたい
それが自分の中での答えだったのだ。
こんなにも身近な人が、1カ月以上も悩んでいたり
している中、
自分は会ったことのない人にしか、
商品を売っていなくて、身近な人との交流を
忘れていた。。。
色々と忘れていたことを気づかされ、
それから自分の中でアフィリエイトを行う時間が
大幅に減っていき、自分が本当にやりたいことが
どんどん変わっていくのだった。
人と対面でできる仕事。
会話をしながらできる仕事。
この2つのことができる仕事を考えたのだった。
収入が減ることも、先が見えない
恐怖もやはりあったがそれよりも、
自分が納得できる仕事を選んだのだった。
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