空白の学習(2)

前話: 空白の学習(1)
前回の記事では、
自分自身で考え行動をした結果、充実感を得た
という成功体験の中で記憶に残っている最初の経験をお伝えしました。
私はその後もその傾向が強くなり
誰かが何かを教えてくれるものを学ぶより
自分で考えたことをカタチにする過程で学ぶことの方が
100倍好きな人間になっていくのですが、
この傾向をますます強めた(学習心理学でいうと"正の強化")
恩師のお話をお伝えしたいと思います。
前回のお話でもお伝えしたのですが
私は小学校6年生から中学校2年生の間、親の仕事で
米国に滞在しており、この時ニュー・ヨーク日本人学校
で学んだことが、私の価値観を多く形成しています。
日本人学校で教えている先生方は
日本から赴任するにあたり激しい選抜をされてきている為か
人間的魅力にあふれていたり、
とても面白い授業をされていたりした覚えがあるのですが、
その中で一番印象深かったのは
理科教員の不足か何かの理由で急遽、1学期間だけ代理で教えて下さった
松木副校長先生の理科の授業でのお話です。
「君たちは、いまなんのために勉強しているだろうか?
君たちは、テストで100点を取るために勉強しているかもしれないが
私たちの時代は違った。
私たちの時代、大学のテストの表側で100点を取るのは当たり前だった。
勝負はテストの裏だった。
表は先生から教えられたことを書くことになっていた。
裏は生徒が自分で勉強したことを書くことになっていた。
先生は表裏それぞれを100点満点で採点し、
合計200点満点の世界で生徒は競っていた。
まだまだ君たちは小さな世界で生きている。
社会では常にテストの裏が求められる。
これから君たちはテストの裏に何を書いていくのだろうか。」
この教え方は負けず嫌いな私に十分な刺激を与えることに成功し、
それ以来、私はテストの表面が書き終わり時間が残ると
裏面を書く癖がつきました。
テスト前に1つ年上の兄の参考書を眺めたり、図鑑を眺めて身に着けた知識を
テストの裏いっぱいに紙が黒くなるまで書き続けました。
一部の先生はそれを採点してくれました。
※不平等になると色々文句をいう子どもや親もいるので
  テストの裏面の点数は成績には入れないよう、私は先生に頼み
  いつも成績は表面だけでつけてもらったことを申し添えておきます。
この癖は日本に帰国してからも続きましたが、
日本の先生も多くがテストの裏面を採点してくれました。
そういうわけで私は学校にいる間、自分で設定した
"他の人とはちょっと違うゴール"を目指して勉強することができました。
私は学校の成績を上げるという意味で言えば
もったいない時間の使い方をしていたと自覚していますが、
もう一つの見方で言えば、私はここでも大切な「空白の学習」を
していたのだと思っています。

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