早稲田で仮面浪人してみたら、最低点+0.44点で京大に合格した話
この先の人生ずっと後悔しそうな状況にいたら、みなさんはどのような選択をしますか?
みなさん、はじめまして。山中 基弘といいます。
三重生まれ茨城育ち、旅が大好きな大学生です。
私は現役で大学受験に失敗し、浪人してから京都大学を志望するようになったのですがまたしても失敗し、進学した早稲田大学で再受験を決意して仮面浪人を成功させ京大に合格しました。
才能なんでしょ?と言われてしまうとそれまでなのですが、
私は才能ではなくて努力で京大に合格したと思っています。
この高校卒業から京大合格までの2年間でなにものにも代え難い素晴らしい経験をしたのでそのときの思い出を中心に自分のSTORYをシェアしたいと思います。
今回は以下のよう流れでお話したいと思います。
1.現役失敗
2.一浪失敗
3.仮面浪人決意
4.京大合格
5.まとめ
長文になってしまいますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
1.現役失敗
振り返ってみると小学校のときから勉強は得意な方だったと思います。
小学5年生のときに親に中学受験のための塾に入れられ分けもわからず初めての受験生活をスタートさせました。塾には周りの小学校から頭の良い子が集まってきていたので刺激的な環境だったと思います。そして小学6年生のときに人生で初めて「受験」という勝負の世界を体験しました。そして無事に県内の私立中高一貫校に合格し、6年の学生生活が始まります。
中高の6年間は周りの友人に本当に恵まれ充実していましたが、学校のことがどうしても好きになれませんでした。私立だったこともあり校則が厳しく、また中1のときから同じ目標を押しつけ生徒に掲げさせようとする学校の方針がどうしても気にいらなかった。そのような学校に反発するように、いかに校則ギリギリを生き抜くかを必死に考え学校生活を送っていました(笑)
また部活動をやっていたので毎日くたくたになりながら学校から帰っていて、授業も寝てしまうことが多くお世辞にも真面目な生徒とは言えませんでした。
昔から特技や好きなこともなく、将来なりたいものもなく、だだなんとなく日々を過ごしていましたが、高校1年のときに転機が訪れます。担任の先生との出会いでした。
その先生は化学の教科担当でもあったのですが、先生の化学の授業がとても魅力的でした。そしてあるとき先生が私の何でもなかった化学の才能を褒めてくれたのです。もともと化学は好きだったのですが、先生のおかげで化学が大好きになりました。
この頃から将来は化学で研究で有名なって世界で活躍し、最終的にはノーベル化学賞を取りたいと思うようになりました。
3年生になる前に志望校を東京工業大学に定め、6月に部活を引退してから勉強に本腰を入れて受験を迎えましたが結果は不合格。
成績開示したら最低点-2点差で不合格。
印象に残っているのが卒業式。式では各クラスで有名大学に受かった人が壇上にあがって表彰されていました。
そんな悔しい想いとともに、私の中高6年間の学校生活が終了しましました。
2.一浪失敗
一浪のときはお茶の水で浪人生活を過ごすことになりましました。
初めの頃は今年こそは!と意気込んでいたものの卒業式の悔しさを勉強に向けることはできず、志望校もはっきり定まらずただ家と予備校を往復する日々を繰り返していました。たぶん現役で失敗したという事実をまだ受け入れられていなかったのだと思います。
そんなこんなで夏休みに突入して転機が訪れます。
高3のときにクラスが同じで仲良しだった友達(以下Pくん)が京大をめざして京都で一人暮らしをしていたので、息抜きも兼ねてPくんに会いに京都へ行くことになりました。
彼はいつも素直で真っすぐ、僕に足りていなかったものを持っていました。
当初は彼の家に籠って勉強合宿をする予定だったのですが、日中はひたすら京都観光して家に帰ってきてからは夜遅くまで自分たちの将来について語り合うというかけがえのない時間を過ごしました。
そして京都で数日生活していくうちに自然と京都という街に惹かれていきました。
そこで浮かんだの京大合格という四文字。
調べてみたら化学の分野では京大は日本一で、志望学科の出身者にノーベル化学賞受賞者が二人、そして高校同期は誰も受かってないし何より受かったら京都に住める。
もうここしかないと思いました。
そして京都を去るときに、Pくんにたどたどしい日本語でこう言われましました。
親友に言われたこのたったひとつの言葉で僕の人生は変わることになります。
京都から帰ってきて目標が定まってからは以前より勉強に身が入るようになりました。
そして迎えた受験本番。終わったあとの感触も悪くない。
2011年3月10日、合格発表。ネットで確認したら不合格。
成績開示したら今度は最低点-5点で不合格。
2011年3月11日、東日本大震災。
不合格という事実を受け入れられずベットで寝たきりになっていたところを震度6弱の地震が襲う。
揺れで机の上にあった予備校のテキストたちが吹き飛び、部屋がめちゃくちゃになった。
勉強が嫌いになった。この世の全てが嫌になった。
3.仮面浪人決意
その後進路はというと、親と今年は大学に進学するという約束をしていたので早稲田大学に進学することになりました。
地震の影響で大学が始まるが5月になったのでそれまで時間がたくさんあってずっと家に引きこもっていたのですが、いつまでも落ち込んでいてもしょうがないと思い少しずつ外に目を向けるようにしました。
そんなとき目に入ったのが新聞に挟まってた一枚の広告。中学受験時代にお世話になった塾が最寄り駅の校舎で個別指導の塾講師のアルバイト募集ものでした。
親からも時間あるんだったらバイトでもしたら?と言われていたのですぐに応募し、面接ではお世話になった先生の話で盛り上がってすぐ採用になりました。
人生初めてのアルバイト。最初は上手く教えられるか不安だったけど社員さんや他の先生たち、そして何より塾に通ってくる生徒さんたちに支えられて楽しく仕事ができました。
生徒さんが必死に勉強する姿をみて、失いかけてた学ぶ姿勢を取り戻せたような気がしました。
そして5月になり大学がスタートしました。
私立だったし東京での一人暮らしはお金がかかるので片道二時間かけて大学まで通う日々。
最初はここで頑張ろうと思っていたけど時間が経つにつれて
【京都で一人暮らしをする】
という自分の思い描いていた大学生活とのギャップを感じられずにはいられませんでした。
そして自分に問いかけましました。
そして自然と出てきてた答えが仮面浪人という選択肢。
仮面浪人とぐぐってみても
などネガティブな情報しかでてこない。
でも自分は自分。他人は他人。やるしかないと思いました。
そんなこんなで大学が始まって早々に再受験を決意し、仮面浪人生活をスタートさせました。
サークルには入らず、大学の授業とバイト以外の時間を受験勉強にあてるという大学生活。
しかし実際は大学に慣れるまでにも時間がかかりまた大学の授業も多く思うように受験勉強のために時間を割けない。じわじわ焦りを感じつつ前期は単位をそこそこ取って夏休みに突入しました。
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