「離婚は大変、疲弊する」をぶち壊した離婚
「離婚は大変、疲弊する」をぶち壊した離婚。
そういう離婚をしたかった。
パンを買うように日常感覚で、
旅行に行くようにわくわくして離婚したかった。
誰だって、疲弊するにきまってるざます!!
みんなさ、いろんなこと、決めすぎだよ。
固定観念で、決めすぎ。
もっとやわらかく、考えようよ。
もっとやわらかく、感じようよ。
なんで、離婚は大変なの? なんで、離婚は疲弊するの?
それに、離婚は失敗って、みんな悪いイメージを持ちすぎ。
考えてみて。
20歳の時と、50歳の時と、人って同じだと思う?
思うのだとしたら、想像力がなさすぎる。
人は、いろんなことを経験して、いろんなことを学んで、いろんなことを感じて、
成長していく。
その成長の度合いは、人によって違う。
大変なことって、人はいやがるけど、大変な状況は、人を成長させる。
元夫は、実家から出たことがない。実家で元姑の言うとおりに家業を継いで、
元姑の言うとおりに家業を行ってきた。
学習塾は、なくなった父親がやり始めたのを、元夫は学生の時からバイトで手伝い、
卒業してからそのまま続けた。
時にバブルで、市に大手学習塾は1つしかなかった。
何もしなくても、収入があった。
私は、結婚によって、私の性質にまったく合わない環境にいきなり入った。
ひどいうつ状態になってかなり危険な状態をうろうろしたけれど、
そこをなんとか自力でぬけた時には、肝がすわっていた。
8年半前に、子供たちの手もかからなくなってきたので、学習塾の経営面をかってでた。
ふと気がついてみると、経営はどん底になっていたのだ。
それまで、家計のやりくりは元夫がやっていて、私はただ、
「これ欲しい」と言っていただけだったので、気がつかなかった。
まあ、どれだけのんきなのかってことだけれど、基本、お金にあまり興味がない。
それよりも、物語を読むこと、ドラマや映画を見ること、物語を書くことに集中していた。
子育てもあったから、興味がないことにまで気が回らなかった。
子供も育ってきて、ひまができてふと気がついてみると、「あら、これは大変」な状況に
なっていた。
笑ってる場合じゃなかった。
いざ引き受けてみると、まあ、びっくりなくらい、いいかげんだった。
いや、教えるのはめちゃくちゃうまかったけれど。
合格率1パーセントの生徒を何人も合格させちゃうくらい。
でも、大人の仕事として、「こりゃあかんでしょ」ってことがたくさんあった。
て感じ。
よくある、「わかる人がくればいい」タイプだった。
いやいや、
あまりにも、短期間で点数をあげすぎてしまうので、お母さんも子供も勘違いしてしまう。
で、
ってことになってた。
残るのは、あがっても、学校の授業にやっとついていける生徒ばかり。
最初は、わからないから、いろんなことをやった。
22歳で開いた学習塾の時と、時代も違う~大手学習塾が山ほど進出してきて無料の争いをしている戦国時代、実家暮らしで自分だけ生活できればいいのとわけが違う。
セミナーやコンサルも受けなかった。
成功している個人学習塾、中堅学習塾の塾長、経営者、学習塾向けコンサルタントが書いているブログ、動画を毎日、山のように読んだ、見まくった。
彼らがやっている、提唱していることをやっては結果を検証し、やっては結果を検証した。
自分がやったことの結果が、家族の生活費に直結する。
1つ1つの自分の決定が、家族の生活にもろに影響するのだ。
責任感じながら、失敗を1つ1つ受け入れて、へこむ気持ちを1つ1つ受け入れて、8年間やってきた。
そりゃ、成長するよ。
マインドも鍛えられるよ。
その間、経営を私に全部まかせて、
「自分はすごいって思ってる」と私に文句を言っていた元夫と、
私の心が離れていくのは、しかたがなかったろう。
元夫の文句というのは、
ってことだとわかるのだけれど、
って、私が思ってしまったのだから、しかたがない。
私は、私が1番大事だ。
そんなふうに思う自分を、悪いとは思わない。
友人関係が、それぞれの成長度合いで変わっていくように、
夫婦という密接な関わり合いが、そのままで長く長く続くことはまれだろう。
努力して共に生きよう。
そう思えなくなったら、離婚すればいいと思う。
経済的な理由や子供の関係で、離婚できないと判断するのはいいけれど、
「夫婦はどんな状態でも努力して一緒にいるべき」
とか、
「結婚する時に覚悟を決めたのだから、添い遂げるべき」
とか、
べきで、正当化するのはやめたほうがいい。
そういう人は、
自分だけならいいのに、人に「べき」を押し付けてくるから。
自分に自信がない人ほど、この「べき」を押しつけてくる。
人は、人でしょ。あなたじゃないよ。
それにね、今の結婚制度が、絶対的に正しいものじゃない。
国によって変わるし、日本だって、時代によって変わってきた。
何が正しいかなんて、国によって、時代によって、属するコミュニティによって、
まったく変わってくるんだよ。
大事なのは、自分。
自分がどう感じるのか。
自分に聞いて、自分で答えを出せばいい。
で、私は、51歳の終りにすべてを捨てて、
新たな冒険の旅に出たのだった。
怖さと、わくわくを抱えて。
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