「イナベの塾講ストーリー」

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「イナベの塾講ストーリー」

  私が小中学生時代を過ごしたのは昭和40年代の高度経済成長期の真っ只中にある三重県の片田舎だった。私の父親は小さな靴屋を営んでいて、けっこう繁盛していた。だから、私は小さい頃は靴の紐を通したり、値段のスタンプ押しをしたり、大売出しの時は帳簿を付けたりして手伝いをしていた。

 どこに行っても

「大事なアトトリだね」

 と言われていた。父は私が自分の後を継いでくれると期待していたと思う。

 子供の頃から、ライバルの店が繁盛すると自分が潰れる。そういう競争関係は生活実感でよく分かった。だから、中学校に行った時に「愛」だ「絆」だと教師が唱えて、机を強制的に5個ずつくっつけて「班」を作らせ教えあい、助け合いを強行したのに違和感があった。

 受験の只中にある現役中学生の実感としては

「ライバルに負けたら自分が落ちる」

 であった。ライバルに教えあい助け合いなどと綺麗ごとの偽善にしか聞こえなかった。中学3年生の夏休みには学年主任に電話をして

「このテキストやりたくないので、自分で選んだテキストで勉強します」

と言って宿題は提出しなかった。だから、北勢中学校を卒業して四日市高校に行けて嬉しかった。清々したのだ。

 

 

  四日市高校は180度反対の教育方針。順位付け、偏差値輪切り、合格実績づくりが全てのような学校だった。クラス分けも、当時は「国立理系」「国立文系」「私立理系」「私立文系」の4つだったが、これは事実上学力順位で決まるようなものだった。

 この頃、ある女子に履歴書に張るような写真を郵送してつき返された。自分は女子とうまくやっていけない予感がした。それは、後年現実になった。

 名古屋大学に進んだときは

「旧帝の教授くらいなら尊敬できる人たちだろう」

 と大いに期待した。それなのに、教育学部で学校の授業を面白くする工夫を講義している先生の授業はおそろしくつまらず学生たちは寝ていた。学歴など下らないと言っている教授がコンパで酔っ払うと

「オレ様は東大卒だ」

 と叫び、大学院生の中には教授の娘と結婚して出世しようとする人もいた。理論には実験的な裏づけなどなく、教授という肩書きだけが理論の裏づけだった。

 ただ、学問の世界を飛び出しても負け犬の遠吠えで生きていけない。途方に暮れた。これが、私が英語の資格を取り、数学も勉強した理由の原動力の一つになった。

 私は父の期待に応えられないのが心苦しかったが、客商売はできないと思っていた。

 考えてみたら、学校を全く信用せずいつも自分で勝手に勉強してきたので大学を卒業しても当たり前のように自分で計画し、テキストを探し、場所を探して勉強し続けられた。

 この頃、三角関係で修羅場となり女性と関わることはもう御免だと思っていた。

 

 

 1982年の1年間のユタ州ローガン中学校での指導経験で多くのことを学んだ。日本では

「クラスの一致団結だ!」

 と言っていたが、ローガン中学校はクラスなど存在していなかった。大学のように

「次はフランス語だから」

 とフランス語の教師の待っている教室に移動していくだけだった。

 日本では

「クラブと勉強の両立だ!」

と言っていたが、ローガン中学校ではクラブは存在していなかった。午後の2時半になると消灯。学校にいるのは掃除係の男の人だけだった。教師も帰宅した。

 では、日本人の教師が主張するようにクラスやクラブがないと偏った人格が形成されるのだろうか。もし、そうならばアメリカの中学生は全員偏った人格になってしまうが、現実はそうではない。

 学校の先生の言うことは、ことごとく嘘だった。だから、私は塾講師・予備校講師を始める時に

「私はウソはつかない」

 と決めた。

 

 

ところが、多くの人は本当のことが嫌いなのだ。私の出会う塾生とその保護者は大別して2グループいるように思う。よく世間で言われる保守派と革新派。あるいは、右翼と左翼。

私は妄想派と現実派と言いたい。前者は受験で生徒たちが競争で必死に戦っているのに「人間は助け合いと絆だよ」と言う。根拠もないのに「大丈夫」とウソを言う。後者は「合格しないと何も始まらないだろう」と言う。私は塾講師だから、基本的に後者のスタンスだ。

 三重県では文科省が舵を切ったのに「ゆとり教育」の雰囲気のままだ。テストの校内順位は隠蔽されたままだし、偏差値や業者テスト追放が行き過ぎて今年(2015年)県内で最大規模だった業者テスト「三進連」が廃業になった。関係者は失業して、もしかしたらその家族は進学を諦めたり悲惨なことになっているかもしれない。教師の方たちはこれで「勝利」と満足なのだろう。

 塾生の子たちは、校内順位は分からない。業者テストも存在しない。このまま自分の受験校を決めなくてはならない。データが何もないまま本番に臨まなければならない。この状況に対して先生方の言い分は(生徒情報では)

「人生は受験がすべてではないんだよ」 

 という建前論だけだそうだ。もちろん、学力の高い優秀な生徒たちは現実を見つめているので、とっくに教師離れを起こしている。私の塾で過去問の正解率や私の意見を求めてくる。父は塾の支持者がいることで安心していた。

  アメリカの中学校が理想だとは思わない。しかし、日本の学校も相当にヒドイ。私のこういうウソを言わない姿勢は女性ウケが悪い。バツイチになってしまった。これは自業自得だが、子供たちには申し訳ないことをした。

「ごめんね」

 

 英語は英検1級、数学は京大二次7割、卒業生は京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部などに合格。そういう仕事をしながら、子供たちとできるだけ一緒にいてやろうと頑張ってみた。それでもダメなら自分でできることはもうなかった。

 念のために書いておきますが、威張りたいのではない。英検1級の受験会場では明らかに大学生らしい子もいた。20歳くらい。私は当時30歳だった。また、英文タイプの受験のため四日市の商工会館に行ったらセントヨゼフ女子高の生徒ばかりだった。実際、私が入って行ったら

「すみません。ちょっと照明が暗いのですけど」

 と言われたので、

「すみません。私も受験生です」

 と言ったら、その女子学生は

「エッ!?」

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