「イナベの塾講ストーリー」
学校では習わなかった「数学3」も独学で勉強している。そうこうしているうちに30年も過ぎてしまった。まさに、
「少年老い易く学成り難し」だ。
ただ、分かったことがある。私は自分の指導させてもらっている理系女子のような才能はないのだけれど、人の何倍も苦労して数学を身につけたために「生徒はどこでつまづきやすいのか」がよく分かるようになった。これは、数学講師としてはスゴイ武器になるのだ。
ひっくり返って、病院送りになったり、受験会場で不審者扱いを受けて入場拒否をされたり、みっともないことが多かった。お世話になったホテルの人も最初は送迎バスは父兄は乗れないと勘違いしてみえた。
しかし、それもこれも必要なことだった。
「とても頭に入らない」が「わかる!」に変わる瞬間を知った。
こうして、今は英語と数学の両方が指導できる講師として重宝されている。
考えてみると、高校生の時に吐きそうな思いで数式を見ていた時から30年が経過した。高校生の方は私もそうであったように2年後、3年後しか見えていないはず。そりゃ、そうだ。私もまさか自分がアメリカで生活したり、数学Ⅲを勉強するハメになるなんて予想ができるはずがなかった。
父は亡くなる前に自分が大学入試に落ちた話をしていた。戦争で中国に行ったとも言っていた。大学に行って戦争に行くのを避けようとしたのだろうか。今となっては分からない。
私の進学に強い関心を示していたのは、自分の原体験があったのかもしれない。もっと優しく接していたらよかったが、もう遅い。
そして、自分の塾を始めることになったが印象に残る生徒が何人もいる。
もう10年以上経ったから書いても人物が特定できないだろう。長く受験指導をしていると忘れられない生徒がいるものだ。A子ちゃんも、その一人だ。
私の塾に来てくれたのは彼女が小学6年生の時のことだった。最初に面接した時に、一目見て
「この子は賢い子だ」
と分かった。学力を確認しようとプリントを渡したら、いつまで経っても提出しようとしない。完全に仕上げるまで粘る子だった。
彼女は小学校の時から
「私は医者になりたい」
と言っていた。私の塾はそういう子が多い。しかし、家庭は金持ちではないので何がなんでも国立大でないといけないと覚悟していた。私の小学校時代とはえらい違いだ。
中学校では猛勉強して常に学年でトップクラスだった。そして、
「自治医大だと無医村に行けば学費が浮くとか聞いた」
とお金がなくても医者になれる情報を集めだした。私もできるだけ協力して情報を収集した。
そう思わせてくれる塾生だった。
灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業も彼女から始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。
その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく
「家庭学習中に出た質問はなんでも送れ」
と塾生に檄を飛ばした。私は中学生は5科目、高校生は英語と数学に対応できるのだ。ところが、そんなサービスも怠け者には何の意味もない。
しかし、A子ちゃんはほとんど毎日ファイルを送ってきた。その質問の内容も勉強していないと出来ない質問ばかりで感心することが多かった。私は、A子ちゃんからどれほどの力をもらったことだろう。実は、白状するが高校の数学を指導しようと決めたのは彼女の影響が大きい。まさか、塾生に背中を押されるとは。
英語に関しては、高校の時に英検の準1級に合格した。だから、英検1級の先生が必要になった。私は彼女の書いてくる英文の日記を読みながら添削をし始めた。これが、後にネットによる通信生の募集につながった。まことに、A子ちゃんが私に与えた影響は大きい。
1級レベルのアドバイスをすると、たいていの生徒の方は
「何を言っているのか分からない」
という反応だったけれど、A子ちゃんは私の意図することを即座に理解するため、授業も楽しかった。語彙や文法が正しければ良い英作文が書けるわけではない。
当たり前だが、マナーやエチケット、採点官に対する思いやりが欠ける英作文は高く評価されない。学力だけではなく、そういう人間的な深みがないと見込みがない。浅い理解では京大などの難関大は合格できるものではない。
実は、私に京大を7回も受けさせたのも直接的にはA子ちゃんの影響が大きい。
「この子は日本の宝だ。何としても志望校に合格させなければ」
と思った。出来ることは何でもやる。娘以外の人間で、私にそんな思いをさせたのはA子ちゃんが初めての生徒だった。
A子ちゃんは、あるクラブに所属して大会で入賞する成績をおさめていることは耳にしていた。ところが、高校2年のある時、自主的にそのクラブを引退した。理由は分からなかったけれど、成績が伸び悩んでいたのが理由だということは推測できた。
私は、彼女の覚悟というか気魄に驚いた。
「先生はバツイチでも、1回結婚できたからいいですよ」
と笑っていた。言葉の端々にクラブばかりか、彼氏も結婚も何もかも犠牲にしても医者になるんだという決意が満ちていた。彼女のクラスがある時は、楽しかったけれど緊張した。
「この仕事を始めてよかった」
私にそう思わせてくれた塾生の子は多いが、彼女はダントツの存在だった。
A子ちゃんは家庭環境にも、経済的にも恵まれていなかった。多くの生徒は、過酷な環境に置かれるとグレるか性格が歪む。しかし、彼女は厳しい環境を自分を育てる肥やしにできる稀な子だった。
「政策金融公庫と奨学金と私のバイトで何とかする」
そういうA子ちゃんだった。そして、ある時ボソっと
「お母さんが生命保険を解約するって・・・」
と小さな声でつぶやいた。しかし、その目には絶対に合格するという覚悟が見えた。
そんな貴重なお金を塾に提供してくれるのだから、リキを入れないわけにはいかない。損得勘定などなかった。何としても合格してもらわなければならなかった。彼女が多くの患者さんを救うことは間違いない。待っている人がいっぱいいる。
私は中学・高校時代を通じて、A子ちゃんと言えばジャージと思っていた。たまに制服で来てくれたけれど、女子度はゼロ。可愛い髪飾りを付けるでもなく、フリフリの洋服を着るでもない。もちろん、髪振り乱して勉強ということはなく、清潔にしていたけれどファッションに時間も金もかけるヒマはなかった。
女子に「質実剛健」という言葉はおかしいのだけれど、A子ちゃんにはピッタリの言葉。私は戦前の教育は知らないけれど、両親を見ていて想像はついた。歴史小説に出てくる一昔前の大和撫子。
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