アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話4

前編: アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話3
後編: アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話5

 パターン化と過集中による受験対策

 大学受験の準備を本格的にしはじめたのは高校3年生の夏でした。というのは、それまで運動部の部活があったため、週6で活動した後は身体が疲れすぎていて何もする気がおきなかったからです。というか、高3で本格的に受験勉強を始めるまで、そもそもどんな大学が日本にあるのかも全然知りませんでした。また、特に進学校というわけでもない都立の高校なので、受験に関する情報が色々入ってくるわけでもなく、受験対策も特段目立った形で行われることはありませんでした。僕もまわりの生徒が受験モードに入るのを見て、何となく自分も勉強した方がいいかな、という形で模試だったり問題集だったりに取り組み始めたのです。


 とはいえ、中学・高校と部活一色だった僕にとって、放課後がフリーであるという魅力には抗い難く、何となく勉強に身が入らないまましたいことをして、だらだらと12月くらいになってしまいました。しかしあるとき、ふと「このままじゃまずいな」と思い、本格的に受験勉強をしよう!と思い至ったのです。といっても、受験対策を自分で適切に立てられるほど情報も得ていなかったし、自分の頭も受動的だったので、ともかく当時皆が買っていたような一般的な問題集や、過去問をひたすらやるという形でした。


 年末年始から年度末の受験本番にかけては、かなり勉強に力を入れてやっていたと思います。しかしいかんせん非効率な部分も多い勉強方法だったので、とにかく時間をかけてカバーするという方針でやっていました。そうはいっても、本格的に勉強を始めた時期が遅すぎたこともあって、結局満足行く形で受験本番に臨むことは難しい状況でした。確かセンター試験は8割くらいの正答率だったと記憶しています。


 どの大学にするか、という志望校に関しては、なんとなく「海外にいきたい」という気持ちがあったので、東京外国語大学を第一志望にしていました。名前だけですw 私立についてはMARCHあたりを受けていたと思います。しかしながら、結局どの大学も合格することはできませんでした。唯一都内の中堅校の外国語学部にぎりぎり受かり、手続き締切の前日まで迷っていたのですが、結局行かず、浪人することに決めました。(しかし、その中堅校のパンフレットに掲載されている生徒たちの表情は、人間ってこんなにいい笑顔できるんだというくらいの笑顔であふれており、相当迷いました。今思えば、パンフレットなので当然ですが。。)


 とかく自分はあきらめが悪く、再度一から網羅的に受験勉強をやって、それでだめなら諦めよう、という思考だったと思います。そこで御茶ノ水の予備校に通うことにして、国立大学を目指すコースで再出発という形でした。ここでそのわがままを許してくれた両親には本当に感謝しております。


 最初のうちは、新たなクラスメイトというか、一緒のコースの生徒と話すようになって、一緒にフットサルを近くのコートでやったり、カラオケにいくようになったりしてぐだぐだやっていました。しかし6月くらいにふと、「あれ、こんなことでよかったんだっけ!?」という気持ちがふつふつと湧いてきたのです。そこですべてのクラスメイトとの関係を断って、100%勉強に集中しようと突如切り替えを行ったのです。


 そこからは、本当にほぼ100%勉強づけの日々でした。完全に1日をパターン化して、朝ごはんは10分、通学時間に英単語を100個やる、最寄り駅から予備校までの時間は英語のリスニングをする、授業を受け、空き時間は予習復習、昼ごはんは必ず近くの吉野家で牛丼並で紅ショウガを2杯載せて20分とする、夜は9時までは自習室でごりごり勉強して家で夜ご飯を食べながらまた単語をやる、といった風にしました。一度パターン化すると、それを継続するのはとても自分にとって快適でした。同じことの完全な繰り返しが苦ではないのです。それから受験本番までの間、本当に人と事務的なこと以外の話をした記憶はほぼありません。僕はそれを当たり前だと思っていましたが、妻にその話をすると、それは普通ではない、と言います。このあたりは皆様にも意見を伺いたいですが、どうなのでしょうか。


 結局、1日睡眠時間以外はずっと勉強していたので、16時間の勉強を8か月間くらいずっと続けたことになります。そのかいあって、第一志望であった東京外国語大学をはじめとして、慶応大学SFC、早稲田大学、立教大学、明治大学、青山学院大学、などなど、受験したところはすべて合格しました。(しかし、浪人で後がないと思っていたので、結局11校くらい受験しました)色々悩みましたが、結局色々面白そうな慶応大学SFCに入学することに決めました。


 ここまでの人生で、自分は人とうまく信頼関係を築くことが難しく、生きづらい日々を送っていました。両親にその話をして、精神科にかかりたいといっても、「そんなみっともないことを言うんじゃない」ととりあってくれず、もちろん友人にそんな話をしても「え?意味わかんないんだけど」と言われて終わりでした。そんな中で何とか適応するために自分なりに皆の会話を研究して、面白い人間と言われるようにふるまったり、所属していた運動部の部活で試合に出るべく頑張って練習したり、と努力していました。しかし、結局空回りして痛い人間で終わってしまったり、部活でもレギュラーに選ばれることはなかったり、何の成果もえられていない状況でした。そのような状況下で、二次障害は深刻化し、「自分は価値がない」といった観念に押しつぶされそうになっていたと思います。しかし、受験勉強という、恐らく相対的に自分に向いている領域において一定の成果を出すことができたことにより、最低限のベースとなる自信の萌芽のようなものが芽生えた気がします。ここで成果を出すことができていなかったら、自分は社会に適応することは不可能だったと思います。何とか、自分にとって未知の政界である一般社会に適応するにあたっての最低限の手がかりというか、一筋の光、みたいなものになったのだと思います。


 実際、勉強しているときも、「自分には価値がない」という観念に押しつぶされそうになり、集中力が劇的に下がってしまったり、というのは日常茶飯事でした。しかし、目の前のテスト問題に過集中することによって何とかその観念を押しのけながら無理やり進んでいた、という感じでした。


 一般的な人にとっては、たかが受験勉強かもしれないし、大した成果とみなすこともないのかもしれませんが、そのような存在上の窮地に追い詰められていた自分にとっては、浪人時の受験結果はとても大きな救いになりました。この記事をご覧になっている方のうち、当時の僕と同じような境遇に陥っている方がいる可能性は全く大きくないと思いますが、もし多少なりとも共感できる状況である場合には、ぜひ希望を捨てることなく、ひたすらに目の前の課題に集中することによって、余計な負の観念を自分の中から排斥し、社会に適応する上での端緒をつかんでいただきたいと思います。誰にも苦しみを理解されず、辛いかもしれませんが、それは今だけだと断言できます。大丈夫です。ぜひ、少なくとも、自分で自分を信じてあげてください。


 大学にはいってから、僕の過剰適応は次の段階に進むこととなりました。


せみ太郎

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アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話5

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