アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話5

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 勢いを増す過剰適応

 大学に入ると、僕の過剰適応の範囲は広がっていきました。とにかく僕は、それまでの人生において人と適切な関係性を築くということができておらず、そのことが自分の深い孤独感の原因になっていました。具体的には、これまでの記事でも述べたように、まず、人の気持ちがくみ取れない。その結果、意図せず相手を怒らせてしまう。または、相手に他意がないにも関わらず、相手の一挙手一投足について(実際には存在しない)悪意を感じ取ってしまい、他人からすると理解できないポイントで激高してしまう。といったようなことが、頻繁にありました。結果として、人から距離を置かれたり、相手にされなくなったりということが頻発し、二次障害である、「人と話すのが怖い」という症状や、「自分には価値がない」という自己否定の感情にさいなまれていたのです。


 そのレベル感がどれほどだったかというと、日々続く激しい感情を抑えきれず、夜全く眠れないくらいでした。そんなときは、大学ノートにひたすら自分の気持ちを書き殴ったりして、感情を鎮静化させてから眠りについたり、日々そんな形でなんとかやっていました。かといってそんな状況に陥った自分の感情を共有できるような人もおらず、両親でさえも僕のSOSを全く意に介さないような形でした。しかしこの両親の無関心は、ある意味、早い段階での親からの自立(親への諦め)を促したという意味で、悪いことばかりだったとも言えないと思いますが。


 以上のような状況を踏まえると、僕の人生にとって「人と適切な関係性を築く」というタスクは非常に困難であるが、喫緊の課題でもありました。大げさにいうと、存在上の意味を掴む、という感じでしょうか。そのため、大学ではこのタスクの達成を大きな目的の一つに位置付け、全力で取り組もうと思いました。そこで、僕が何をしたかというと、中学・高校と入っていた運動部の部活に取り組むサークルに入り、コミュニティの形成を図ったのです。


 

 中学・高校のときと違ったのは、誤解を恐れずにいえば「まじめな話ができる友人がいる」ということでした。それまでの環境では、「いかにふざけるか」「いかに面白くふるまうか」が至上命題であった関係性が主でしたが、大学では「どのように生きていくべきか」とか、「人として適切なふるまい方は何か」とか、レベルはさておき、テーマとしてまじめな話ができる人がたくさんいたのです。そのことが僕にはいい意味で衝撃的でした。その意味では、相対的に接しやすい人が多くいたのは事実です。つまり、自分はアスペルガー症候群という自閉的な傾向があるので、多人数でのコミュニケーションや、一般的な雑談がとても苦手であったため、中学・高校では無理にそのペースに合わせる適応を行っていた関係で、とても「コミュニケーションそのものが負担であった」のです。一方で、大学のコミュニティにおいては、「雑談に比べれば負担ではない話題」もそれなりにあったため、それまで所属していたコミュニティに比べればコミュニケーションが円滑になったというのはあったと思います。また、授業の話など、論理的な話も多かったので、その意味で自分が理解しやすい文脈に即した会話を実現しやすい環境でした。自分なんかより勉強ができたり、地頭がとても良かったり、弁論大会の全国優勝者といった何かの面で秀でていたり、という、単純に「すごいな」と思える友人が多かったので、自分の狭い世界を一気に押し広げてくれた4年間であったと思います。


 とはいえ、日本の大学生などは、半分以上遊びのことしか考えていないので、僕も御多分に洩れず、サークル活動と飲み会のことしか考えていませんでした。ましてや、僕の大学における優先度の高い活動は上述の通り「人と適切な関係性を築く」ということであったため、一人暮らしを始めたということも手伝って、どんどんそういった活動にのめり込んでいきました。


 しかしながら、社会性も乏しく、親から適切なしつけも施されていない僕にとって、一定であってもリア充な集団でやっていくのはとても困難でした。そこで色々四六時中悩んだ結果、ついに大学2年生のとき、自分なりのコミュニケ―ション手法におけるイノベーションを実現させたのです。


せみ太郎

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