アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話6

前編: アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話5
後編: アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話7

 自分なりのコミュニケーション上のルールを設定

 前の記事でイノベーションなどと書きましたが、別に大したことではありません。。僕は人とのコミュニケーションにおいてどうしても相手の気持ちを汲むのが苦手だったり、相手の意図を理解するのに困難が生じていたため、自分なりのルールを設定して、それを毎回人とのコミュニケーションを行う際に意識するようにしたのです。


 そのルールは、年を追うごとに複雑化していきました。高校3年生のときにはまだ単純なもので、「相手が自分の意に沿わないことを言ってきたとしても、怒りの感情を抑えよう」というものでした。これは、相手に他意がないにも関わらず、自分が(本当は実在しない)悪意を感じ取ってしまう、ということから、その悪事を感じたとしても、それに惑わされることなく適切にふるまおう、という意識から設定したルールです。ただし、重要なのは、この時点で「自分の認知が偏っている」という認識は自分にはこれっぽっちもなかったため、単純に「相手が悪意をもって接してきたとしても、こちらは悪意を返すのではなく、善意でもって返してあげよう」という、ストイックな人間性向上という努力の中にこのような工夫を見出したということです。要は、この時点で僕は「社会には悪意のある人間ばかりだ」と思っていました。実際はそうではないことに、後々になって気づくのですが。いずれにせよ、偏った認知の上に気づかれた脆弱な工夫であったと思います。


 大学1年生くらいのときには、より能動的に、「できる限り、道徳的な行動をとろう」というルールを自分に課していました。これだけ聞くと素晴らしい人格者のように思えますが、実際にはそんなにうまくいくはずはありませんでした。第一、相手の気持ちや意図をくみ取るのが苦手なだけに、いくら道徳的であろうとしても、それは独りよがりの道徳になりがちであったということです。たとえば、AさんがBさんのことをあまりよく思っていなかったとして、Bさんがいない場所で僕に向かって陰口をたたいていたことがありました。一般的には、その場を適当に流したり、同調する雰囲気を醸し出したり、いくらでもコミュニケーション上の落としどころはあると思いますが、当時の僕は、Aさんを厳しくとがめたのです。僕の「Aさんをとがめる」という選択がまずかったのか、言い方がまずかったのか、タイミングがまずかったのか、分かりませんが、いずれにせよAさんはその後僕から距離を置くようになりました。


 あるいは、これはまた別の問題かもしれませんが、僕は人とどのような会話(特に雑談)をすればよいか分からないため、相手に悪いな、自分といてもつまらないだろうな、という気持ちを強く感じがちでした。そこで、自分なりの「道徳的であろう」というルールに照らしたとき、「できる限り自分から話題をふる」という行動をとるという判断を下すようになったのです。しかし、相手からしてみれば、空気を読まない、絡みづらい発言をいくらされたところで、逆に会話を進めにくくなってしまい、気まずい感じになってしまっていたと思います。例えば脈絡なく天気の話をされたり、いきなりクイズを出されたり、物理学の発見の話をされたり、全然キャッチボールにならないので、相手も辟易してしまうというわけです。


 とはいえ、徐々に一言一言レベルでの試行錯誤を繰り返すことで、遅々として進まない感じは拭い去れないものの、少しずつ適応を進めていった時期が、この大学1年生のときかもしれません。そして、それが一気に進んだのが、大学2年生の夏以降でした。


 僕の通っていた大学では、クラスというものが形骸化しており(クラスによると思いますが)、自ら積極的にコミュニティを選んで所属する必要がありました。僕の場合、1つはサークルだったわけですが、もう1つメインのコミュニティが、語学のクラスでした。語学のクラスはとても厳しく(言語によりますが)、1日当たり180分、週4日も授業があり、かつ10人くらいの少人数なので、否が応でもコミュニケーション量は増え、コミュニティ化する感じになるのです。僕にとって重要だったのは、この語学のクラスの友人たちは、相対的に話しやすい人たちであったということです。具体的には「まじめな話ができる」といったことや、まあ単純に言ってしまえばいい人たちでした。これまでないくらい、この友人たちとは話が合い、日々を共にする中で、はじめて多少なりとも適切な人との関係性が気づける端緒が生まれてきました。


 そこで僕が編み出したのは、この語学のクラスの友人たちを自分の価値のエビデンスとして認識する、というものでした。つまり、これまで二次障害も手伝って、人に嫌われたりすることに過剰に臆病になっていた僕の認知を、「嫌われてもいいや」という気持ちに変換する触媒として、この語学クラスの友人たちの存在を活用するということです。一言で言ってしまえば、「語学クラスの友人がいるのだから、目の前のこの人に嫌われてもどうってことない」という解釈を、自分がコミュニケーションを人と行う度に自己認知させていたのです。


 この効果は絶大でした。目の前の人に嫌われたくないという気持ちが強すぎて自分を出せなかった部分も多くあった僕にとって、「嫌われてもいい」という解釈を自分自身に納得させることができたのはある種の偉業でした。結果、それまで窓際族的な扱いだったサークルでは一気に目立つ存在になりました。奇抜な服装をしてみたり、おしゃれ風に装ってみたり、飲み会では積極的に前にでて一発芸をやったり、とにかく「したかったけれど人の目が怖くてできなかったこと」を片っ端から行いました。当然、これまでの僕をする友人たちからの非難も多かったですが、僕はもはや全く意に介しませんでした。それくらい、自分にとって「人から嫌われる恐怖」を一定程度なかったことにできたのは、大きなことでした。


 それまでは本当に、人と適切な関係を築けない孤独感に常にさいなまれ、嫌われたらどうしようという恐怖感と戦っていた僕ですが、この手法を確立してからは、コミュニケーションにおけるトライアンドエラーを大胆かつ高速にこなせるようになりました。つまり、もはや人に嫌われることを(あまり)意に介さなくなったので、自分が思ったことを発言できるようになったし、それは前の自分に比べれば自然で、裏表のないコミュニケーションだったのだと思います。その結果、相手の気分を害してしまったときには、次からそれをしないようにしよう、と決めればよかったので、前に比べれば本当に楽でした。大学3年生ごろには、相当数のトライアンドエラーを繰り返したことで、一般的に適切とされる大学生の会話手法については、ある程度こなせるようになっていました。彼女もできたりできなかったりして、外から見れば一般的な大学生ライフを謳歌している普通の大学生に見えたと思います。


 しかしその結果、今度は別の方面に極端に振れてしまうことになります。以上のような手法によってずっと懸案事項であった人との適切な関係性を(少なくとも表面上は)築けるようになりつつあった僕ですが、依然として僕にとって人とのコミュニケーションは(本来)苦手以外の何者でもなかったため、まわりの友人たちが理解する僕の人間像と、本来の僕との間の乖離がどんどん大きくなっていたのです。つまり、過剰適応の結果にさいなまれることになります。


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アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話7

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