【失敗中古車輸出出張体験談】5
なかなか眠れないのでまた書いています。
イキケの飛行場でフライトアテンダントをあきれさせた手書き非常ビザ。
果たしてこれで入国審査を無事通れるのか?行ってみましょう!
ひぃひぃと喉が乾いて痛いのを我慢しながらイミグレーションカウンターに向かっていく。
カルロスは「KEN,お前が先に行け、何かあれば俺が出て行くから。」と
言われはしたものの初めて来て全く言葉の通じないところへいきなり先に行けと
言われても無理がある。「いや、俺は言葉わからんし、お前が先に行って話してくれよ。」と、
再度交渉したがやはり私が前に行くことになった。
不安と緊張でいっぱいになった状態でいよいよ私の順番となった。
カチコチした足取りでカウンターにドキドキしながらパスポートを渡す。
担当官はパラパラ、パラパラ、パララララ、と私のパスポートをめくり、
「入国ビザが見当たらないけど??」と尋ねてきた。私がカルロスの書いた
``VISA EMERGENSIA``のページを見せて``HE DONE IT``と腕と指のジェスチャーで
カルロスの方向に向けた。担当官は二言、三言苦笑いを潰したような顔つきで
私の顔を見た後、「行っていいよ」と言ってくれたので
「おおおっ!!カルロスすげーっ!!アリカの件では大概やったけど、これで全部帳消しやわ。」と、
1~2秒位歓喜に浸り、カウンターを抜けた。
そして抜けたことに喜びを感じていっぱいになり荷物置き場へ向かおうとする私に
後ろから「ノー、ノー。」とさっきの担当官が腕と指でどちらの方向に行くか
教えてくれた。「え?」直進が荷物置き場、でも担当官の指差した方向は残念ながらというか、 予定されていたように左側、そこには「入国管理局事務所」の表示が。
「だよなあ。」と「はいはい、そんな簡単にいけるわけないわな。」とさっきの歓喜はどこえやら、 私はすごすごカルロスの方を恨めしげに見つめながら管理局事務所へと歩を進めた。
「パスポートを返してもらったから行けたと思ったが、南米貧国とは言え 手書きの非常ビザを通してはくれるわけないわな。」
そんなことを考えながら事務所で待っていた。
「私はこれで強制送還か。こうなることを選んだ自分が悪いんだししょーがない。」なんて考えていた。
その後5~10分しただろうか。カルロスも同じように「入国管理事務所」にやってきた。「今から事情を聞かれる、面倒だな。」「ああ、俺のことでやろ。そら勝手に非常ビザとか
書いたら止められるのも当たり前やわ。時間かかると思うで。もうしゃーないで。伝えると
カルロスから意外な返事が返ってきた。
「いや、俺も引っかかった。」私は、「は?なんで?」
「娘がオーストラリアに住んでて娘のパスポートはオーストラリアで問題ないけど、俺はボリビアと
オーストラリアのパスポートを持ってる、2つあるのはおかしいだろ。ってな。」
それとお前のパスポートに「非常ビザ」って書いたから。
深く考える余裕はなかった。
「はあ。。。」と私は深いため息をついた。わかっていたこととはいえカルロスの計画と正反対に 事態は進んでいる。結局このあと3~4時間この事務所で筆記、サイン、説明をカルロスが
担当官に話し、48時間の出国不可、パスポートは大使館に保管という事に
なった。
うなだれる私をよそにカルロスは「ボリビアに入国できて良かったな。いいところやぞ。大丈夫、
何とかなる。」とまあ、全く根拠の無い励ましを受けながらラパスの街を目指しタクシーは下っていった。
この根拠のない励ましとか考え方は時と場合かもだけど考え方としてはいいのかな、と感じます。
今回も読んでくださりありがとうございました。その当時の写真も近々UPします。
KEN
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