【本当に疲れたビザ取得@コンゴ大使館】4

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どうにかコンゴ行きのビザ取得。これで現地で仕事はできる。仕事の合間に今度は

コンゴ-ルブンバシ市にある【ザンビア大使館】で帰りのビザを申請することになったのですが。。


これでやっとコンゴに行ける。。。今度こそ。行きはこれで何とかなった。 でも,そう,今度は帰りにコンゴにある「ザンビア大使館」でコンゴからザンビアへの 入国申請をしないといけない。な~んか嫌な予感がしつつも今はコンゴへ入国出来ることで頭がいっぱいでそこまで考える余裕はなかったけど、

今はコンゴでの仕事に集中することにした。

顧客であるKKと2泊3日でルブンバシ市(コンゴ民主共和国で首都キンシャサに次いで2番目に大きい都市)に滞在、KKのつてでアンゴラ大使館の役人や、現地での車屋を紹介してもらい色々な情報を聞いた。恐らく未だにであろうと思われるが基本この国の人は国銀行というものを過去に起きた内戦や、虐殺、国家事変等によって自らが預けた預金が返ってこない経験から信用しなくなっていて、預け先のほとんどが外資であるTRUST MERCHANT BANKか、自らのタンス預金をしている。それがゆえに

紹介で挨拶して商談をするものの尋ねられることはほぼ同じで「いきなり来て信用してお金を送ってから車を船積みするなんて、保証がどこにもないじゃないか。だったら自分で飛行機でドバイに向かってドバイで金を払い、車をタンザニアの港-ダルエスサラーム港 かケニア-モンバサ港まで送ってもらうほうが早いし安心じゃないか。」「ダメダメ、話に乗れないね。」と言われたのがほとんどだった。

さて、紹介、それなりの商談も終わりいよいよザンビアへ帰る日の朝、KKが「朝一でザンビア大使館に

寄ってビザの手配をしてから残りのお客さん回りしよう。」ということで大使館へ向かった。

コンゴ大使館のような見るからにやる気のない雰囲気とは違い、いわゆる普通の役所と言う

雰囲気の印象だった。これなら何も問題はないだろうと思い申請を始める。出てきたのは40代~50代のおばさん。

「は~い、こことここに記入してアナタのサインをして。」と本当に普通にスムーズに問題なく

申請は終了した。KK曰く、スワヒリ語で「じゃあ、今は9時だから11時にまた来て。その時にビザを彼に渡すから。」と伝えたそうだ。私自身も「11時ですね?」と確認を取りながら

パスポートを渡し大使館を後にした。

商談を終わらせ食事の前に大使館に行っておこうと話をして11時過ぎに到着。

尋ねると、「今まだ申請中だから、1時に来て、あ、それとビザ代はUS$50よ。今払ってくださいな。」11時にビザだったのでは?まあコンゴだし、もう行きで散々な目にあったからもういいや。なんとかなる。と思い直し、「じゃあ、よろしくお願いします。」とお金を払い再び後にした。

昼食を済ませまた一件商談して13時30過ぎにもう一度大使館へ。「今度は問題ないだろう、

いくらなんでも。」願うような気持ちで大使館へ入ると。「まだ出来てないの。14時半頃に

来てくれる?」と返事。もうしょうがない気持ちでいると、隣にいたKKが怒り出し、「ふざけるな!

9時に来てパスポートを渡しビザの申請をしたのが9時なのに他に人がたくさんいたわけでも無し

何でこんなに時間がかかっているんだ!怠慢じゃないか!!」と大声で対応しているおばさんへ

声を荒げた。おばさんも負けてはいない、「ここではアンタが知らない仕事がいっぱいあって私は今日ずっと忙しいのよ!!彼が来たから私の仕事を差し置いて今一生懸命早くできるようにして

あげてるんじゃないの!!」と互いにヒートアップ。とにかく2時半にはできているからまた来るようにときつめに言われ再々度後にした。

「この国はこれだから腐ってる。。。」そうKKがつぶやいた。とにかくホテルへ行って

コーヒーでも飲んで時間を潰そうと伝え14時半まで待った。再々再度大使館へ向かうと

おばさんが既に受付で待っていて「はい、出来たわよ。」と仏頂面でパスポートを渡してきた。

微妙な顔をしてたと思いながら受け取り、帰ろうとすると「彼はどこへ行ったの、いるなら

呼んできて。」まあ、何を言うのかわからないけどとりあえず呼んどくか。玄関前で待っていた

KKを呼んで再々再々度館内へ。おばさんはいきなり「私は今日朝からずっと彼の為だけに

仕事してたの、おかげで本来の仕事は全然手が付けれてないわ。US$25.-私にちょうだいな。」

は?いやいや、大使館でビザを発行するのも普通に業務の仕事ですが??というか

「その仕事をしてもらうためにU$50.-ビザ発行代渡したけど?」尋ね返すと

「それは政府に入るお金でしょ!私がアナタの為に働いた時間はどうなるの!?」と理解に苦しむ

発言を聞いた。これ以上ここで揉めるわけにもいかないし、「何でも金でどうとでもなる、この国は」

と理解してkkがコンゴフランで少しプラスしたUS$25.-を手渡しやっとビザ発行印のついた

パスポートを手に入れた。かくして帰りの道中に向かい始め様々なことを考えた。隣国でこれだけ国民性の差があるのか。日本と比べたらここは全く180度正反対の生活の成り立ち。そして、金。「言ったもん勝ち」。「生きる」ということに対して凄まじくハングリーな国を色々回ってきたけどここまでのは

想定外だった。KKの言う「お前はここで強くならなければいけない、でないと生き残れない。」

とホテルで言われたことを思い出していた。道中、大破した事故車、抜いていった大型トラックがバスと接触して側道に倒れ中の粉末が飛び出ている惨状、コンゴへの行きしなに4輪駆動のピックアップトラック私たちを抜いた10分後にこれまた小川の淵にひっくり返った状態で転がっていて運転手ともども他のトラックでモノでも積むかのように乗せられていた惨状。頭が重たくなってきた。そのうち体も冷えてきて「う``~ん、考えすぎて身体が冷えて来たかな?」と感じだしてからしばらく経つT全身が震えて頭がフラフラしてきた。3時にルブンバシを出て国境を越え、ザンビア首都ルサカから2時間ぐらいの町カブウェにまで来た。時間は渋滞も有りもう8時を越えている。出国時までに宿泊していたホテルに戻りチェックイン、どうも高熱がでたようで身体も立っているのがやっと。クラクラしながら床についた。この後2日間寝込んで心配したKKに中国人の経営するクリニックへ連れていかれ、マラリアにかかっていることが判明した。


続きはまた書きます。ちょっと更新が遅れるかもしれません。


KEN

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