2「お金がないじょ・・・」
さてはて困ったもんです。
日本へ帰るったって、日本の大学へ行くったって、娘よ、あぁたの親の
生活基盤はポ国であるぞ。
物価が安く、それまで日本のほぼ半分の生活費で暮らしができるお国である。
日本からポ国へ来るのならいざ知らず、その逆コースであるから、これはあぁた、
経済面で並大抵なことではございません。
我が家ではその頃、六つ歳が離れた息子は、リスボンで大学生活です。
リスボンと言えば、住居賃貸料の高さでは、なぜかヨーロッパでも1、2を争うという、
どうでもいいようなことで有名な都市なのです。
法外な家賃を5年間も払って(ポルトガルの大学は5年制)ドブに捨てるよりも、
中古でいいからリスボンにアパートの一室を買った方が得だ、と夫は判断。
ポルトでもとびきり授業料が高いと言われるBritish Schoolを息子が先に、そして娘が卒業し、
ようやくその授業料から開放され、やっと夫婦の終の棲家なるつつましいフラットを買い、
ローンを組んだばかりの頃です。ポルトの自宅とリスボンのアパートと・・・・・・
もう、娘よ、日本の大学受験は無理だってば^^;
娘が父親に面と向かって宣言できなかった理由は、ここにあるのでしたw
夢です。夢ならば見ることは自由だ、娘よ。
しかし、かえるの子はかえる。
「いつかアメリカで」と高校時代からの夢を見続け、卒業後都会で一人暮らしをしながら、
オフィス、歌姫のバイトと数年間働いて、ついに夢を叶えた、そのおっかさんこと、
わたくしの、さすが娘(笑)もっともわたしがその夢を実現できたのは、三十路を過ぎてでしたが。
つまり、我が子もその血を引き、事をそう簡単には諦めず、頑固に色々計画をコネ、そして、ごね回したのでありまし た。
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