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15/11/26

ズッコケ親子の受験戦記(1):めざせ夢、日本の大学

Image by Olia Gozha

2004年夏に東京の大学(東京大学ではない!)に合格するまでの、ポルトガル生まれ、ポルトガル育ち、金欠病親子の帰国子女受験奮闘記です。

1「ギョッ!の中学卒業式」


卒業式の季節が来ると、毎年のように今ではもう11年も前になってしまった、ギョッとした 卒業式を思い出す。

ポルトガルには卒業式というものはないのだが、我が子二人は、月曜日から金曜日まで British Schoolに通学し、毎週土曜日は、日本語補習校なるところに9年間通い、日本の義務教育課程をとりあえず終えたのである。週に一度の3時間授業で、国語数学 2教科の日本の1年間の教育カリキュラムをこなすのだからこれは大変な進度具合なのだ。

しかし、おかげで二人とも小中学部では日本式の厳かな卒業式なるものを 経験することができた。 小規模の補習校であるから、卒業生は一人か二人が通常であるので、どの子も いっちょ前に日本ではなかなか仰せつかうことのない、「卒業生代表の答辞」とやらを することになる。

その年、卒業生は中学3年の我が娘がひとりで、答辞を詠むことになりました。


「わたしは今から3年後、ポルトガルで高校を終えた後、日本へ行くつもりです。
いえ、行くのではありません、わたしは日本へ帰るのです。」

さざめく笑い声とともに、「おおおお~~」との声があちこちから響き、
横にいた大阪出身の友人は、ひじでわたしを突っつきながら、
「あんた、今の娘の言葉を聞いた?行くんじゃなくて帰るんだってよ!覚悟しときや。」

ポ国で生まれ育ち、日本には3年に一度の割で行き、夏休みの一ヶ月ほどを
過ごしただけの日本。
しかし、その日本へ、彼女は「行く」のではなくて、「帰る」と言うのだ。
その日わたしは、頭から水をぶっかけられでもしたように、意外な娘の言葉に
ハッとさせられたのである。

これは彼女の、面と向かってはなかなか言い出せなかった、父親への、実は
メッセージだったのでした。
そして、その父親はと言えば、肝心の卒業式には出席できなかったのでありました。わたしたち母子の、日本の大学受験奮闘はこうして始まった。











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