5「1964夏・江東区の夕日」

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1964夏・江東区の夕日

現在の住居のフラットからすぐ目と鼻の先にわたし達一家の旧住まいがある。
当時でも既に築70年はたっているであろうと思われたボロボロの家であっ
た。あちこちガタが来ていて、雨季の冬には壁に結露が現れ、娘が赤ん坊の
ころは毎朝起きては、すぐ壁を拭き結露をとるのが日課であった。

隙間風もこれ見よがしに入って家中を駆け抜け、我が家を訪れる日本人客は
みな寒い寒いと、ストーブの前でお尻をあぶりそこから動くものではなかった。
しかし、家の裏にあたる台所からの眺めは絶景であった。

当時の我が家は借家で、「Moradia=モラディア」とポルトガルで呼ばれる3階
建ての一番上。勝手口からは一階にある庭に通ずる屋根のない石の階段が
続いており、その庭の後ろは、だだっ広いジョアキンおじさんの畑。そして畑の
向こうはフットボール場だ。試合のあるときなどは、階段の踊り場に椅子を持
ち出して観戦できるのであった。

そこでの16年間、わたしは、春にはジョアキンおじさんの一面真っ黄色になる
菜の花畑の世界に心和み、初秋にはとうもろこし畑のザワワと歌う音を楽しみ、
そして真冬の夜半には、小型の天体望遠鏡を持ち出して、月面のクレーター
やかろうじてキャッチできる木星の衛星を探ったものだ。

夕暮れ時には言葉を失うほどの一瞬の美を自然が目の前に描いてくれた。
勝手口から見える向こうの林と、そのまた向こうに見える町の陰に、大きな
真っ赤な夕日が膨らみながら沈んでいくさまに、わたしは夕日に抱きかか
えられるかのような感すら覚え、しばし夕げの支度を忘れ見入ってしまった
ものだ。

やがて群青色の空が少しずつ天空の端から暗くなり、天上に明るい星が
ポツリポツリと灯ってくる景色は、もはや、わたしの稚拙な文章力ではとて
も表現しきれない自然の織り成す美しさである。
  
わたしは素晴らしい夕日を見た日には、幾度もそうやって夕暮れ時の贈
り物を天からいただいていたのである。どんな写真でもどんな絵画でも
見ることのできない、空間をキャンバスにした素晴らしい芸術であった。

わたしには、忘れ得ぬもうひとつの夕日がある。

高校3年の夏休み前、親に先立つものがないのは分かっていても進学
を諦めきれず、就職の話に乗ろうとしないわたしの様子を見て取った英語教
師が不憫に思ってか、取り付けてくれた話に、朝日新聞奨学生夏季体験が
あった。

この制度の何と言っても魅力だったのは入学金を貸与してくれることである。
4年間新聞専売店に住み込みし、朝夕刊を配達しながら大学に通うことがで
きる。その間は少額ではあるが、月々給与も出、朝食夕食もついているのだ。
女子の奨学生体験は、当時、多分わたしが初めてだったと記憶している。

高校3年の夏、往復の旅費も支給され、うまれて初めてわたしは東京へと向
かった。東京の江東区、当時はゼロ地帯(海抜ゼロメートル)と言われた、と
ある下町の新聞専売店だ。

その専売店にはすでに数人の夜間大学生や昼間大学に通う者、また中学卒
業後、住み込んで働いている者など、男子が5、6名いた。二階の一つ部屋に
男子はみな雑魚寝である。隣にあるもう一部屋には、賄を切り回していた溌剌
な25,6歳の、おそらく専売店の親戚であろうと思われる女性がひとり、専用
としていた。わたしはそこに彼女と寝起きを共にすることになったのである。

新聞専売店の朝は早い。4時起きだ。新聞の間にチラシを挟みこむのも仕事
のひとつだ。それが終わったあと、配達に出る。夏の早朝の仕事はむしろ快
かった。部数は、なにしろ初体験のしかも女子である、かなり少なくしてくれた
はずだ。

いったい何部ほど担いだのか、今ではもう覚えていない。狭い路地奥の家に
配達する際には、決まった家で毎回イヌに吠えられ、つまづきそうになって走
り抜け、両脇の塀に腕を打って擦り傷を何度こしらえたことであろう。それで
も、大学に行けるという大きな可能性の前に、くじけるものではなかった。
 
しかし、実は、この仕事は配達だけではなかったのである。
集金、これはなんとかなる。拡張、つまり勧誘です、これが、わたしにはど
うにもできなかったのでした。

「こちらさんが新聞を取ってくれることによって、わたしは大学に行くことが
できます。どうかお願いします」という「苦学生」を売りにするのが常套句だ。
この売りが、わたしはできなかったのであります。

確かに自分は苦学生といえるのだろうけれども、それを売り物にするには、
わたしの中の小さなプライドが立ちはだかり、そうすることを許さなかった
のである。

頑として、勧誘先の玄関に入ろうとしないわたしを見て、中卒後そこで働い
ていてわたしの指導員をしていたHは、自分がそこに入り一件注文を取っ
て来た。「ほら、とってきた。とらないとお前の成績はあがらないぞ。成績が
あがらないと、金だってちゃんともらえないのだ。お前がとったことにする
から、いいな。」

助け船をだしてもらったわたしは、情けなさとやりきれない思いとで、18歳
のわたしは自分自身がつぶれてしまいそうな午後だった。

その日の夕刊配達時は、江東区の空を真っ赤に染める夕焼けであった。
おかしなもので、それまで気にもならなかったのに、、その日は、自分と行き
交う同年代の若者達がとても眩しく目に映り、肩に担ぐ新聞はズシリと重く
のしかかり、不意にこみ上げてくるやり場のない哀しみをわたしは噛み砕く
ことができなかった。

赤銅色の、焼き尽くせない孤独を湛えた江東区の夕日。
わたしは進学を断念したのだった。

次回は再び「ズッコケ親子の受験戦記:めざせ夢、日本の大学に」に戻ります。


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6 「運命の夏の出会い」

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