余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記

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10年以上前に他界した父は「末期すい臓ガン・余命2ヶ月」と宣告され、あっというまに逝ってしまいました。当時は、家族みんなが本当に辛かったのですが、それと同時に父が人生の最期を頑張っていた様子や、私自身の思いを忘れない為に書き記したいと思い、日記に記録していました。その内容をこちらに公開します。



1.衝撃の事実











2月21日

これからどうすべきか…まだまだ わからない…

今は気力をきちんと持つ事だけを考えよう…

私が しっかりしなければ。

<2月22日>

担当医のM先生から、電話があった。

「ご本人にお話する前に、まず・・・
ご家族の方と先にお話したいのですが・・・
ご都合は、いかがでしょうか?」

結局、父との面談を行う30分前に病院に行く約束をした。


「後ほど 改めてご本人(父)から、ご連絡があると思いますので・・・」

その直後、病院の父から電話。

「今日、検査結果の報告があるみたいなんだけど
20:00頃、来れるかい?」

さっき、医師から直接 電話があった事は 当然父には内緒・・・。

もう、すでに今日行く事は決まっているのに・・・

父よりも前に、その結果を聞く事になっているのに・・・

素知らぬ顔で
「解った。じゃあ20時に行くね」

そう言わなければならない母の気持ちを思うと
心がすごく苦しかった・・・。

でも、その後、また同じような事が何度となく繰り返され
父の知らない間に何度も医師と密会する事になろうとは
この時は思いもしなかった。




19時過ぎ、母、弟と共に病院に向かう。

皆、どことなく足取りが重い・・・


偶然、病院内で父に遭遇しないとも限らないので
別階の外来で待ち合わせとの事だった。

「医師はそういう事にまで配慮するものなんだなぁ・・・」
などと ちょっと感心しつつ、外来へ向かう。


日中は多くの患者が溢れている大病院の外来も
夜になると、全く人通りが無い。

日常とは相反する外来待合室の静けさが ものすごく不気味である。

大いに不安を抱える中、待つ、この時間の重苦しさと言えば・・・

これから起こるであろう出来事を想像し得るには
容易な環境であり・・・

これまで感じた事はない異様な空気だった。

たかが5分ほど?の短い時間なのに、長い長い時間に思えた。


暗闇の中から、コツコツと早足で歩く足音が聞こえ
担当医師がやってきた。

「こちらです」と、静粛な診察室に通される。

TVのワンシーンに よくでてくるように
患部のCT画像を見せられ、医師が説明をはじめた。

「この画像の、ここの部分とここの部分に大きな腫瘍があり・・・

膵臓が原発で他にも飛んで(転移して)いるようです・・・

極めてマレな扁平上皮癌で・・・

腫瘍マーカーの値が6万以上・・・」


初めて聞く難しい専門用語に戸惑いを感じながらも
その内容を自分なりに理解しようとすればするほど
事の重大さを痛感せざるを得ない。


結局のところ、医師は
父が「末期癌であり、余命はそう長くはないであろう」という事・・・

そして、その事実を本人(父)に ありのまま伝えるべきか否か?
という選択肢を私たち家族に問いかけたいのだと解釈した。

医師の立場としては、抗ガン剤の治療を始めるにあたって
「その事実」は、患者本人に伝える義務があるらしい。

ただ、100%事実を伝えるのが、全てではなく
本人の治療の意思を最大限に活かせるよう配慮はしてくれるらしい・・・。

父の場合、今回、様々な検査を行った結果
癌の他に かなり重症な「心臓疾患」を抱えていることも解った。

それは、いつ心臓発作が起きてもおかしくない・・・

つまり・・・
あまり激しい運動をしたり、強く動揺させてしまうような事があると、
急に心停止するというような事も起こりうる程の
かなり危険な状態であるのだという・・・。


北国の日常業務の一つである
「雪はね」さえ、禁じられてしまったと聞けば
その重大さは、たぶん理解してもらえるだろう。



父の立場や気持ちを みんなで考えてみた・・・。


常日頃 強そうに見える 父のような人間ほど
このような状態に直面した時、弱さが出てくるという可能性も決して否めない・・・。

でも、これからガンの治療を前向きにやっていかなければならない・・・



あえて、その事を伝えるのは、「決して得策ではない」と 意見は一致・・・

結局、心臓疾患の事実(重大さ)は、父に伏せる事になった。




隣にいた 母の頬に 涙がホロリと、つたうのが見えた・・・。

気づけば、私も涙が溢れそうになっていた・・・。


でも、この後 父に会うのだ。

父に、泣いた事がばれたら、おかしく思うだろう・・・。

あれでいて 案外 勘が良い人だから・・・。


私は今、ここで 絶対に泣いてはいけないと思った。

でも母に「泣くな」とは言えなかった・・・。

何とも言えない気持だった・・・。





医師との密会を終え、父の病室に向かう途中・・・

みな、しばらく無言だった・・・。


少し経って「大丈夫?」母に声をかけた。

ちょっと目を赤くした母がコクリとうなづいた。


一度、気合いを入れ直し、病室に入った。


再度、医師との面談。

今度は 父も居る。


さっき 聞いた話をもう一度 聞かなければならない。

今度は 事実の全てではないけど・・・。


医師の話を一生懸命、聞く父の姿を見ていると
ちょっと前の重苦しかった あの空気を思い出してしまい
また、何かがこみ上げてきそうになったけど、必死でこらえた。





「お父さん、頑張らないとね。」

面談を終えて、明るく そう言った父の顔が今でも忘れられない。


病院から家へ帰る途中の車の中は、まるでお葬式のようだった。

母のそばに居てあげたかったけど・・・
私自身もう イッパイ イッパイだった。

弟にその努めを託して、自宅に帰った。


夫に今日あった出来事、ありのままを話し・・・

一人で部屋にこもって、今度はこらえる事なく、わんわん泣いた・・・。




ちょっと落ち着いてきた頃、
2ヶ月後、遊びに行こうと、手配をしたばかりだった
飛行機をキャンセルするべきか、悩んでいた・・・。






<当日の日記より>

長い長い一日が終わりました…

さすがに 凹んでます…
 
これからどう過ごすべきなのか…

東京行きも どうすべきなのか…?
今のままの気持ちでは 参加できそうにない・・・

どうしたらいいんだろう…


神様 たすけて・・・・・






「ガン告知」は、今でも賛否両論 いろいろな意見があり
患者本人の性格、家族の生活環境によっても 千差万別。

TV番組などでも、問題になっているのを見たことがあったけど。
まさか、こうして 自分の身近に起こるとは、思っていなかった・・・。


余談だけど・・・ちょうど、その頃
「白い巨塔」という、癌がテーマの一つであるドラマをやっていた。

はじめの方は、他人事のように?見ていたけど・・・

父の病気が解ってからというもの
専門用語一つとってみても、自らの耳で聞いたばかりの語句であり、
病状の進化する様子・・・
役者のセりフ 一言、一言・・・
すべてが父と かぶってしまい、後半は まともに見れなかった。

・・・毎週、毎週、泣きながら見ていた・・・。

それなら 見なければいいのに・・・と自分自身、思いながら
やはり、それでも「癌」が気になって見てしまうのだ。


あれは、私にとって 単なるドラマではなく
一つの試練だった。

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