命の窓。 帝王切開は命の窓から出てくると言われた話。そこに至るまで大爆笑されてしまう私の体験談。

前話: SMAP解散。カミングアウト。草彅剛くんファンになって私が得た幸せの話。

  陣痛15時間目・・・

深夜1時に破水してから、時刻はもう夕方4時になろうとしていました。




  つわりがひどくて、仕事をつわりの初期の段階で辞めており、点滴通院、実家に戻り、安定期を過ぎても唾液過多つわりで、泡のような唾液を、ペットボトルに吐き出しながらの毎日を過ごし、お腹は臨月で双子でもはいっているのか?というくらいに大きくなってました。


 逆子も治っていたのに、子宮口が1センチのまま陣痛は進み、15時間を過ぎても子宮口は1センチのままでした。

  おじいちゃん院長先生は、言いました。


 「旋回もしているが、子宮口が開かないし、心音も下がってきて危ない。帝王切開します!」


  私は生まれて32年間、入院もしたことがないし、ましてや手術をしたこともない。

 初めての出産で、里帰り出産をしたかったのですが、実家は某村で、東電爆発で放射能の強い場所。

  仮住まいのところから、産院へという方法も考えたけど主人が心配して、関東での出産になりました。


 そして、主人の実家も都心をまたいで隣。

 主人は、駆けつけてくれて、陣痛中、励ましてくれましたが、子宮がギューっって縮まる痛みは、臓器が縮むのはこんなに痛いものかと呼吸を忘れるくらい痛かったのです。


 そして、さがってきても、私の子宮口は全く開かないもので、赤ちゃんもとても苦しいのです。呼吸法も最初だけで、後半は痛くて悶えていたので酸素マスクをつけられ、体力がなくなったら点滴をつけられて

「さあ!頑張って!」という助産師さんに励まされて。


 どこまで頑張れば終わるんだ?!痛いんだよ!もう腹を切ってくれ!っと叫びまくって主人をひっぱたいてました。主人は、なにも悪く無かったけど・・・。


  帝王切開になってから、2分間隔の陣痛の中で

「手術の手続き、これ書いてね」と

バインダーに挟んだ紙を渡され

 「いだだだた!」陣痛の痛みの中、ミミズがはったような字で、サインをし、尿管カテーテルをいれ、そしてストレッチャー移動かと思いきや


 「はい、陣痛のやんだときに、歩いて!」と手術室まで歩かせられました。


 3歩歩いていだだだた!

また歩いていだだだた!

 やっと手術台へ寝たら素っ裸にされました。

衝撃でした。そして腰に麻酔を打つと

痛みがなくなりました。


  と、同時にオペ着というか、上に布がかぶさり、ライトがつき、手術が始まりました。

 全身麻酔ではないので、ハッキリと下半身の感覚があり、グニョグニョされていると気持ち悪くなって血の気がひいてしまいました。


 「すみません、誰か手を握ってて貰えませんか?」


そう言って看護師さんに手を握っていて貰いました。と、同時に院長先生の暴言が。





 「うわ!なんだこれは!脂肪ばかりじゃないか!ぶよぶよじゃないか!だから、太り過ぎるなとあれほど言ったのに!!」





 局所麻酔をしていて

全て聞こえました。

ブシュ!と音がしてライトに血が飛びました。

「何を切っているんだ!」という声もしました。

何を切ったのかはわかりませんでした。



しばらくして

 お腹から赤ちゃんが出て

「ミギャー」という声がして、同時にいままで湯たんぽがお腹にあったかのように、暖かったのに寒くて寒くて堪らなくなりました。羊水がぬけたのかなと思います。


 「胎盤、でか!!」という声もして

「なんだ、二倍くらいあるな。」



 後始末のときも

「ぶよぶよしていて、縫いずらいんだ!!」と怒っている声がして




 私の顔が見えるところまできた院長先生は

(帽子やマスクに血が飛び散ってました)

「○○さん、元気な男の子ですよ。もう、終わりましたからね。」

と笑顔で言われても、いままでの暴言はすべて聞こえてました。


 普通に産めなくてショック!以前に、そこまで太ったことを言わなくてもいいのにと思いました。私も体重制限守れなくて悪かったと思いますが。


 あとから、息子の首にへその緒が絡まっていて出てこれなかったことを知りました。


  食事が美味しい!ってだけで選んでしまった産院なのですが、帝王切開のため、1日目は食事なし、二日目は流動食でした。


 やっと入れると思ったシャワーの日は






私の順番が来たら壊れました。そのおかげで流し場で頭を洗おうと思ったら、シャワーのところと連動しており、水で頭を洗うハメになりました。息子が産まれたのは11月でした。


  それから2年。

私は帝王切開カフェなるものに、参加しました。帝王切開のママが集まって、出産のことを振り返る会でした。


 みんなが感動したり、泣いたりする話の中で

私の話は「ぶよぶよと言われました」というと大爆笑が起きました。私もみんなと笑ううちに、私だけじゃないんだな、帝王切開と、はじめて自信を持つことが出来ました。


  私は、帝王切開をして、家族や主人の家族からも酷いことは言われませんでしたが

 悪気ないママ友で、「帝王切開痛いよね~私なら無理!私は無痛分娩だったから。」となにげに言われてグサッときたことがありました。

 私も出来たら無痛分娩とか、したかったけど

それよりなにより、自然分娩したかったけど、出来なかったことを、気にしないようにしていたのに、私は帝王切開じゃないから!と言われてなんか、蔑まれたように感じてしまいました。

彼女は優しい人でしたが経験したことのない痛みに対して、鈍感で、言葉の配慮がありませんでした。

  それも、わざとじゃないから、責める事は出来ません。


そして何より、帝王切開は、何も悪いことじゃないのに、どうしてこう、自然分娩の人と話すと勝手に私自身が劣等感を感じるのかが不思議でした。


 その帝王切開カフェで、主催の人からシェアされた記事に

「帝王切開は、命の窓から出てきたんだよ。それがお母さんと自分にいいって赤ちゃんは判断して出てくれたいい子なんだ」というような記事が書いてありました。


  赤ちゃんをみたときに、泣いてから、私は育児で泣く時も1人で泣いて、他人に涙を見せないできたけど、ママたちと、一緒に涙ぐむ自分がいました。




  お母さんだって、人間です。

 帝王切開が増えてきたとはいっても、まだ自然分娩が当たり前の日本では、風当たりが強く、堂々と帝王切開で産んだとは言えない自分がいます。


 命の窓から出てきたんだよ、と 

息子が大きくなったら話すつもりでいます。



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