2冊のビジネス書が出版され、増刷されるまでの物語 vol.01「出会う」
「は…?転職、ですか…?」
「そうや。君のしていることは奴隷や。破滅や!」
今にして思えば、奴隷、破滅、転職は先生が学生を相手にする際に口にする三大文句なのだが、青年はそんなことを知る由も無かったので、このクソジジイはいきなり何を言い出したのかと反感すら抱いた。
「どうして奴隷なんですか?それって―」
「君は会社の言われることしかしてへんやないか。人形や。使い勝手は良くても、長持ちはせえへん消耗品や。奴隷と何が違うんや!」
表現はともかく、言われることしかしていないというのは真っ当な指摘だった。いきなり心臓を青竜刀で射抜かれたような気がして、青年は言葉を失った。
「言われたことしかできひん人間になる前に、さっさと環境を変えるべきやな。君のおる市場で、君はナンボの値段が付くんや?」
「―そ、それは、転職先で、どれくらいの給料が出るかかという……?」
「他にどういう意味があるんや!」
「えと、それは……内定者で、まだ社会人経験も無いんで、それは……何とも言えません」
「君とこの会社は、他の会社にも誘われへん人間を雇うほど資金が潤沢なんか!あぁ、恐ろし。そうやって一生、目の前の人参だけを追い続けて、馬のように働いていく生き方が君のような人間なんや」
「いや……」
「転職もできひんちゅうことは、君には能力が無いということや」
「そんなことは……」
「じゃあ、君は何ができるんや!いつまで学生という下駄を履いて生活してるんや!」
何かを言おうとしたけど、何も言い返せなかった。図星だったのだ。内定者であることを言い訳にしている。短期的なことしか考えられていない。輪っかの中で、クルクル回っているネズミのような状態だと言われれば、確かにそうだ。
仕事をするだけでは意味が無い。何かを変え、何かを止めなければ、何も新しいことなどできやしない。それを誰かのせい、何かのせいにしていると言われれば、そうですとしか返せなかった。
昨日の自分。明日の自分。両方とも同じ自分。先生にそう言われて、初めて、それこそが自分自身が抱いている不安の正体だと解った。
資格じゃない。成長というのは、日常に程良く波を起こし、日々変化し、昨日より良い明日を過ごそうと努力した、良い結果の果実こそが成長―。
急に自分という存在が小さく思えた。新卒採用人事担当という仕事をやり始めて、自分は何か凄いことをしていると勘違いをしていたのではないか。そんな風に青年は思った。
10人の大学生からの目線が刺さる。下を向くしか青年には選択肢は残されていなかった。
それにしても。なぜ解るのだ、この人は。
このオッサンはいったい何者なんだ!青年は、目の前に座る先生に畏れすら抱いた。
「君の仕事はマーケティングのセンスがゼロや。だから学生も集まらへんねんなぁ。マーケティングの効果を図るツールに携わる人間にあってはならんことや!」
「それは、どこを見て―」
「人生のマーケティングができてないのに、どうして事業のマーケティングができるんや!当たり前の話や!」
畳み掛けるように、先生が青年を攻め立てる。じゃあ、どうしたらいいんですか。青年はその言葉を飲み込んでしまった。何を言っても、この人には勝てないと思った。
「君は一生、人に使われたままの生涯や。岡田以蔵や!」
先生がトドメを指すかのように、僕の首元に青竜刀を振り降ろそうとした。あぁ、クビが千切れる…そう思った瞬間、僕の隣に座っていた、元世話役という学生側の代表を数年前に勤めていたという人が「でも先生、それって、彼のことを歴史に名前が残る、人に使われる人だと評したということですか?」と口にした。
「ん?ん……」
先生の何かのタイミングがズレた。その瞬間、元世話役が僕に向かって「色々言われてパニックやろうけど、まずはメモを取ってみたら。後になったら、また理解できる部分もあるやろうし」と言った。
いつの間にか、自分自身もまた後輩同様に、強制終了寸前だったわけだ。
「とにもかくにも、マーケティングが大事や。君のその新卒採用の活動は認知、態度変容、購買行動、どれに設定してるんや?」
「えっと……」
「それも解らんのに、なんで効果測定ツールが売れるんや!もうえぇ!はい、次行くで!」
何も答えられない僕に見切りをつけ、先生は話題を変えた。僕は慌てて、メモ帳に認知、態度変容、という言葉を書き残した。
ちなみに、このメモは6年後に青年が見つけ、まさか自分はそんな前からアトリビューション分析を理解していたのかと心躍らせて直ぐに、違う、これは先生が言った言葉だと思い出し、瞬間、自分の恩師の存在に恐怖すら抱くことになる。
これが青年の恩師―松谷先生との出会いであり、2冊のビジネス本が生まれるキッカケともなる。
加えて言えば、活動の焦点を態度変容に変えた青年は、広く知られることを大事にするのではなく、実際に説明会に来てくれた学生がいかに会社を気に行って貰えるかを大事にしようと考え方を変え、何とか8人もの内定者と出会うに至った。
―続く。
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