余命3ヶ月の末期ガン。ガンは消えたけど◯◯は消えなかった話。
結婚と同時に単身赴任を始めて早三年。
そんな状況ゆえに何かとストレスを抱えたりしがちになる。そんな私を励まし元気つけてくれる妻。しかし時には厳しい事もズバッと言い、ハッとさせてくれるそんな一面もある。
今回シェアさせて頂く話の登場人物は先ほど紹介した妻と私、そして私の両親の4人である。
早速本題に入るが、ごくごく一般的な家庭の一家の主人(父)が、咳が止まらず3年間放置。
我慢しきれなくなり病院に行ったら緊急入院。そして余命宣告3ヶ月を宣告。残りの余命をどう生きるかを、もがき、悟り、奮闘した結果の話だ。
両親の事ゆえに公表するのは照れくさいものだが、身内を通じ「愛する人のため」人はここまでストイックになれるのかと、学ぶべきことの多い1年であった。
1.発覚までの経緯
時はさかのぼる事2014年の9月19日。Apple大好きな人間にとっての年に一度のセレモニー。あのiPhoneの発売日。私の心も静かに湧いていた。
しかし母親からの一通のメールが。
相変わらず方言丸出しな母親のメールだが、どこか不安を覚えて電話してみる。
金曜日だった為、会社を早退し急いで実家に向かう私。実家まで約2時間半。
なにやら昨晩、仕事中に胸の苦しさが耐えられなくなり祖父母の掛かりつけの診療所に行ったところ、すでに肺の3分の2が胸水で潰され、ドレンというパイプを入れて水を抜かなければ心不全を起こす可能性もあったとの事。即、市民病院へ転院だったらしい。
そうこうしているうちに私も地元に着く。
転院先の病院で検査も終わり、私と母が呼ばれ詳しい説明を受ける。その説明は衝撃的なものとなった。
2.ステージ4
それは聞くものの耳を疑った。しかし、元々体重が85キロほどあったがここ1年で10キロほど落ちていた父。
高齢になると血圧などのいろいろな心配もあるから痩せてよかったじゃない!と家族から賞賛を受けていた。
でもよくよく考えてみるとこれがマズかった。食が細ったようには見えなかった事を思い出す。
実はアレってガンの影響だった?と頭をよぎる。そして間髪入れずにさらに衝撃の言葉。
母親が驚くのも無理ない。胸水が溜まって息苦しかったとはいえ、昨日まで仕事をしていた人間が、ステージ1〜3をすっ飛ばして、いきなり末期のガン(ステージ4転移あり)。
あっさり残り約90日と言われた瞬間。
まさしく寝耳に水。青天の霹靂。冒険ゲームを始めてすぐ、町を出たらいきなりラスボスが出た感じである。
ちなみに母が私に連絡すると同時に、母が私よりも信頼を置いていると思われる「私の妻」にも同じように連絡していたらしい。私の妻も福岡より車を飛ばしてやってきた。
救急病院の看護師として勤務している彼女は父親はもとより我々家族に不安を与えないように「大丈夫ですよ」と言った雰囲気でにこやかに接してきたのであった。
ざっくりと今までの経緯を説明。すると彼女はすぐさま状況を飲み込んだ。
しかしここでもまだ冷静に、治療に関するいくつかの選択肢を考えているようだった。
それに引き換え母はちょっとしたパニック。父親に事実を告げるべきかということでさえ相当悩んでいた。そこで私の妻はこう切り出したのだった。
※言っかせっくれんかったと?=教えてくてなかったの?
これをきっかけに、本人にも事実を話すこととなった。唯一今の段階で判っている余命を除いては。
3.ダダ星人
普段から威厳もあり、自ら元気と信じ片肺を胸水で潰しながらも仕事に没頭していた父親ゆえに、現実を話しても「一切動じない」そんな人だと誰もが信じていた。しかし現実はそう簡単なモノではなかった。
薄々感づいてたとは言うが、末期の肺腺ガン。しかもステージ4とは父のイレギュラーに対するキャパを遥かに凌駕してしまったようだ。
なにそれ?全く意味わかんない。という感じで動揺が隠せない感じだったが、ようやく自体を飲み込んだ父は何かに怯えたようになり、普段から無口な人間だったが完全に口を閉ざしてしまった。目はうつろになりベットの上での放心状態が数日間つづくこととなった。
肺に溜まった水を機械で抜く日々。日に日に弱っていく父。そういった状況なので父が弱音を吐くのは致し方ない。そんな父の心の拠り所は、病院で寝泊まりしてくれる献身的な母だった。
だが、よくよく話を聞くと毎日寝泊まりさせているではないか。これはちょっと大変である。
しかし母も35年以上連れ添った旦那をほっとけなかったのか、
と言って過労を忠告しても一向に辞めようとはしない。とは言いながらも、昼間働いている母に数ヶ月もこんな激務を続けさせたら間違いなく過労で倒れる。
もしくは病院まで片道30分の道のりで事故を起こすのも時間の問題かと思った。
※母親がなにを言ってるか分からな方もいらっしゃると思いますので、字幕もおつけします。「優介よ。お父さんがかわいそう。せめて生きているうちは我が儘を叶えてあげたい。」
せめてかーちゃんと一緒におろごちゃい。お前は単身赴任やろが、とじんねねっか?
※再度字幕でございます。とじんねねっか?=寂しくないとね?となります。
つまりはこうだ。やっと今年いっぱいで還暦。それまでずっと働きづめだった。ようやく仕事をリタイヤし一緒に老後を歩もうとした矢先の余命宣言。あとどれくらい生きられるか分からないが、せめてもの間一緒にいたいと。
しごく真っ当かもしれないが、心配なのは母。父の我がままに振り回されているのにすら気付かなくなっている。
最初は頑張っていたが一週間も経つと明らかに疲れが目立ってきたようだった。こんな事なら、どこでもドアがあったらいいのにと悔やんだ。
冷静に考えて「どこでもドア」は売っていないものの、相手の見える「魔法の鏡」の代用品は携帯ショップに売ってるから素晴らしい。そうタブレットでのビデオ通話だ。
早速両親に提案。ものすごく食いついたものの、「よく考えたら治療費がかさむからもったいない」と二の足を踏んだのだ。この事をすぐさま私の妻に相談すると。
あっけなく快諾。思ったら即行動。決断の遅れを嫌う男気溢れる女性のなし得るワザ。
こうして回線付きタブレットをプレゼントすることになる。月5,500円で買える父親の笑顔と母親の身の安全だ。
4.病は気から?
日は改まり、私と妻が一緒に見舞いに行った時の事だ。
そこに気付いた私の妻が、お父さん胸水も抜けてきたんだし、恐らく病院に担ぎ込まれた時よりも苦しいって事はあり得ないでしょ?あとまだ治療してないなら副作用も・・・
つまり、もうちょい元気で良いはず。っとごもっともな意見を出してきた。さらに
っと我が妻。そこに何かビビっときたものがあったらしく。
こんな時だからこそ「明るく前向き」をモットーにというだけでも共感してくれたのかも知れない。
ただ、そこから妻の軽くぶっ飛んだ提案と、底抜けに明るい母親の行動が奇跡への架け橋の一つになろうとは、この時は誰も知る由は無かった。
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