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17/1/10

友達家族~親が子供になる~ 第八夜

Image by Olia Gozha

ただただ繰り返し生きる毎日


腰痛も良くなって、母の手を借りなくても3人で生活できるようになってきました。
この頃はただただ必死で生活するだけの毎日…家と保育園と会社を行き来するだけで、楽しかった思い出が思いだせない程、ただただ生きていたんでしょう。


必死で生活をする為に働いて、子供たちを食べさせなくっちゃ、ひとりでも頑張らなくっちゃ!と、躍起になってやっぱり片意地貼って無理していた気がします。


だから何もその時の感情が思いだせない…楽しい事は?悲しい事は?辛い事は?
人として生きてはいたけど、感情も何もない、無機質な日常
そんな日々が当然の事と受け容れてただただ生きていただけの毎日でした。


そんな中、唯一楽しみにしていたことがありました、それはクリスマスシーズン
この頃になると町の中が色づきだして、賑やかになっていくのが子供の頃から好きでした。
本来楽しい事が大好きな私はこの時期になると子供たちを連れ回して電車に乗って遠くまでイルミネーションを観に行くのを毎年恒例の行事にしていました。


今はもう神戸のルミナリエとされていますが、神戸にお披露目する前に東京の丸の内で飾られたミレナリオの時に子供たちと行った時の事は忘れられません。


とても絢爛豪華で光輝くその中を通りながら私は悲しくなりました。
余りにも美しく綺麗なその光が私には眩しすぎて、自分の生活をみじめに感じたのかもしれませんね。


何か楽しい事をしたいと思ってても時間がない、お金が無い、子供が小さい…なんていろんな理由を付けて、出来ないのが当たり前そんな日常を受け容れて、疑う事を知らなかった。


クリスマスは私の子供の頃の記憶の中でもきっと幸せの象徴だったのかもしれません。
だからこそ子供たちにいつもは作らない様な手間暇かけた料理を作ったり、一生懸命に彼らの望むプレゼントを見つからない様に用意したり…それなりに大変だったけど、楽しいその時期は唯一私の心を躍らせる季節だったのでしょう。


せめて私の両親が子供に頃にしてくれたことを子供たちにもしてあげよう…そう思ってたのかもしれません。


一年…また一年と子供たちはすくすくと成長していき、小学生になってくると男の子2人なのでどんどん活発になっていきます。


相変わらず変わらぬ生活をしましたが、そんな中でいろんなトラブルを起こします。
それも今では良い思いですが、ある時、お兄ちゃんと私は喧嘩をしました。

きっと些細な事だったのでしょう…
今では理由をすっかり忘れてますから(笑)
だけどその当時は頭にきて…


「もう夕食作らない!」


そう言って私は隣の部屋にこもってしまいました。


小学生相手に本気で怒ってたんでしょうね…大人げないのかもしれませんが、その時は心の余裕もなく、きっと子供たちの事を思って話したのに…受け容れてもらえなかったか何かで拗ねたのかもしれませんね。


小一時間程たった時にドアのノックが聞こえました。

「お母さん、夕食できたよ!」

そうお兄ちゃんが私の代わりに夕食を作ってくれました。
テーブルには炊きたてのご飯とみそ汁…中身はハムとコーン。
みそ汁の具材を見て衝撃を受けましたが、作ってくれたので飲んでみたら味が無い。

そう彼はみそ汁に出汁が入ってる事を知らなかったんです。
なので私がそのみそ汁に出しを入れて、卵焼きを作って仲良く食べました。
この事も今となっては良い思い出です(*´▽`*)


子供たちと一緒に暮らす中、ただただ生活するために必死だった私に、少しずつ心に色を取り戻していきました。

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Image by Jukka Aalho

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