終(つい)のすみか
一人で電車に乗って東京へ行った。半年ぶりだろうか。
六本木で地下鉄を降り、三十分ほど歩いて母校の同窓会館へ着いた。六十年前はこんなに遠いと思わなかったのに、足が思うように動いてくれない。右足の付け根がギュッと痛む。クラス会の会場に入り、やっと腰をかける。もう、てこでも動きたくない。
全員、八十歳近いおばあさんたち、でもすぐ十代の少女に返って、おしゃべりはつきない。
一人が付けていた集音器に話題が集まる。補聴器よりずっと使い勝手がいいと聞いて、どこで手に入るのかと質問し、メモをとる。
驚いたことに、近況報告の中で、三人もが、救急車で運ばれた経験を語った。しかも三人とも、礼拝中、賛美歌を歌おうとして立ち上がったとたん、意識を失って倒れ、気がついたら大勢周りに集まっていて、救急車が手配されていたというのだ。
全員の反省は、
「もう若くないのだから、格好付けてサッと立ち上がったりしないこと。いち、にい、さんと、ゆっくり数え、ヨッコラショっと立つこと」
であった。
そんなこんなで四時間近くを過ごし、満ち足りた気持ちで帰路についた。
また足が痛くなったら……と、あまり回り道をしないで帰ったが、少し歩くと痛みだし、電車に乗って腰掛けていれば収まり、乗り換えで少し歩くとまた痛くなるの、繰り返しで、ようやく自宅へたどり着いた。
日頃の運動不足の罰が当たった、もう少し歩かなきゃと、自分に言い聞かせたのだが、足の状態は悪くなる一方で、スーパーへ行って、ワゴンを押しながら一回りすることすら難しくなってきた。
股関節なのだろうか、付け根が痛み出すと、足が前へ出なくなる。脂汗を流しながら、そおっと引きずるように足を前へ動かす。スーパーの売り場の真ん中に座り込んで泣き叫びたいくらいだった。それなのに、買い物をすませて夫の車に乗り、うちまで帰る間に、痛みは収まってしまう。
そのうち、立つのも腰掛けるのも、うつむくのも寝返りを打つのも、靴を履くのも、車の助手席に足をかけることも出来なくなった。
とうとう、夫の車に引きずり込んでもらい近所のクリニックへ。
レントゲンを何枚も撮ったが、骨は何ともない。
大きな病院へ行ってMRIを撮ることになった。やはり骨は異常なし。股関節の手術にでもなって、一月も入院ということになったらどうしようかと心配したがそっちの方はオーケー。
神経根ブロックというものを生まれて初めてした。太い針がお尻にグサッと刺さり、神経に当たると、足の先までビビッっと強烈な痛みが走る。思わず悲鳴を上げると、ドクターが、「やっぱり神経だった。これで治療法が確認されたから大丈夫」と。
処置台に上がるときは、抱えられ痛さでうめきながら上がったのに、降りるときは嘘のように一人ですいすいと。看護師さんが「どうですか」と聞くから、「サッカーでも出来そう」と、答えたら「サッカーなんかやらないだください!」だって。
しかしこれで治ったわけではないので、痛みは二日もすればまた同じようにやってきて私を苦しめた。
治療は、ひたすらリハビリで筋肉を鍛えて、ゆるんだ骨が神経にさわらないようにするだけだということで、十日間の入院から解放され、家に帰り、また近所のクリニックへ出戻りとなった。
さいわい、クリニックは歩いて十分のところにあり、はじめは夫の車で送り迎えされ、そのうち片道だけ乗せて貰い、帰りは脂汗を流しながらでも頑張れるようになった。
アクアフェアリーというウオーターベッドのような物に十分間横たわる。
名前はロマンチックだが、まるで数人からのジャブを受けたように背中や腰やお尻をボコボコ殴られたり、足の先までびりびり刺激を受けたりする。それでも四ヶ月経った頃は、往復自分の足で歩けるようになった。
家事は何とか出来るのだが、痛みのせいでじっくり物事が考えられないし、自他共に認める食いしん坊が、食欲もなくご飯ごとが億劫になり、味付けまでおかしくなってきた。いつどこで歩けなくなるか心配で、一人では外出もままならない。
この頃から、夫は口には出さなかったが「われわれの限界」を感じ始めたようだ。
介護ヘルパーを頼むにはどうしたらいいのか。この近辺に、我々のような者が入るような施設はあるのだろうか。
豪華なことで有名な老人ホームがあるにはあるのだが、あまりにも高すぎる。夫婦で四千万なんて言われては、とても選択肢には入れられない。
ちょうど同じ頃から息子たちが心配し始めていた。
特に末っ子がわいわいとうるさい。
この家は年寄り二人が住むには広すぎる。二階が寝室なのは危険だ。
風呂場が広過ぎて冬は寒い。これも年寄りの体にはよくない。
一段下がった隣の敷地を買い足して建て増ししたので、廊下の途中に二段の階段がある。バリヤフリーどころじゃない。いつ転ぶか心配でしょうがない。
掃除も行き届かないので清潔じゃない。
これだけ子供たちに心配をかけていると言うことを、ちゃんと考えてください……。子供たちに心配かけないのも、親の義務である……。云々。
これだけ言われては、こちらとしても知らん顔しているわけにはいかない。
一昨年、入居している友人を訪ねてケアハウスへ行ったことがある。ご夫婦の部屋も見学させていただいた。昼食も皆さんと同じ食堂でいただいた。見学者かと思って、いろいろ質問を浴びせられたりした。そのときの印象がよかったので、さっそく、資料を取り寄せ費用その他詳しいことを調べてみた。末っ子の三男も、ネットを見てパンフレットを集めたりしてくれた。彼の場合は、自分が家を建てた栃木周辺の施設も候補に入れてくれた。
選択肢はいくつかあって、施設入居とは限らない。
まずは住み慣れた土地で何とかする。この場合は近所に住んでいる長男に世話をかけることになる。次男が、「ちょうど隣が売りに出てるし、区画をつなげて高齢者専用住宅を建てたらどうか」とまで言い出した。
次の選択肢は、東京の下町にある親の残してくれたマンションに住むというもの。夫の住み慣れた場所であるし、買い物、病院すべて便利なことは言うまでもない。ここには次男が住んでいるから、彼に何かと世話になることになるだろう。
三番目は栃木の三男と一緒に住むというもの。今のままでも住めるが、一部屋増築してもいいと言ってくれた。ありがたいことだが、二人の孫と一緒の生活は楽しいだろうが命が縮まりそうでもある。奥さんがまず何と言うかが問題なのに、彼女の最初の心配は、「オーブン買わなきゃ」であった。お菓子作りの好きな私を思ってのことだったろう。
一緒に住むのはさすがに遠慮して、近くにアパートでも探すのはどうだろう? 考える余地がありそうだった。
送ってもらった資料を見ても「帯に短したすきに長し」とはよく言ったもので、部屋にキッチンがなかったり、無くてもいいのにお風呂がちゃんとあったり(大風呂の方がありがたいのに)、科学研究所の建物みたいに殺風景だったり、回りが花壇やプランターで花一杯だったり、食堂一つ見ても、白いテーブルクロスがかかっている清潔なのから、学校の教室で食べてるみたいなのまでいろいろだ。
二人部屋の作りも様々。
もともと一人部屋なのを、間にドアを付け行き来できるようにした物。これはそれぞれにトイレ洗面所、風呂まであるからはなはだ不経済になる。
居室も、広いのは三十六平米前後で、六畳か八畳の和室と同じ広さの洋間、ミニキッチンにサニタリー、一間の押し入れと半間のクローゼットがたいていついていてずいぶん贅沢だ。
少なくとも三カ所は見学するようにとアドバイスを受け、まずこの二月には、三男の家の近くのケアハウスをみんなで一緒に見学した。狭くて暗くて、いまいちだったので、候補から外した。
三月には夫と二人で千葉市の老人ホームと、続けて長南町の「びおとーぷ」を見に行った。
千葉市のは食堂に百人もの人がぎゅうぎゅう詰めだったのでパス。
次のびおとーぷは、田舎道を心細くなるくらい行った先の、周りに何もない山林の中にあった。
土地が安いせいもあるのだろう。広い敷地にゆったりと建てられ、エントランス、通路、浴室、食堂、すべてが広々としている。
説明を受け、早速二人部屋を見せて貰う。
畳の部屋は無いが、二十畳の洋間に驚く。入ると、左に車椅子対応の洗面所とトイレ。右は下駄箱と一間ほどの流しとIHのキッチン台。
部屋には一間のクローゼットがあるだけでなんにもないから、ますます広く感じる。
「みなさん、ここにベッド、ここにテレビ、ここにタンスなんかを置かれます」 と、案内の職員が説明してくれる。
私たちの場合は、夫の本箱、パソコンの机などが必要だろう。パソコンでネットが可能かを確かめる。今は使っている人はないが、自分で契約して使うことは出来ると言うので一安心。
東側に天井から床までの二間のガラスの掃き出しドアがあって、ベランダに出られるようになっていてとても明るい。
オルガンも置けそうな気がしてきて、防音の点で大丈夫か確かめる。
二人ともすぐその気になってしまった。リハビリルームも整っているし、具合が悪ければ車で病院へ連れて行って貰えるし、不満な点など思いつかない。 今後の手続きの方法など詳しく教えて貰い、子供たちとも相談して改めて申し込むことにして帰ってきた。
寸法の入った見取り図も作ったので、持って行くつもりの家具の寸法を測り、部屋と同じ縮尺にしたものを切り抜いて、見取り図の中へ置いてみる。
寝ながら見るにはベッドのそば、いや、ソファーの前と、テレビの置き場一つ決めるにも大変だが、パズルゲームでもしているようでなかなか楽しい。
一週間分の献立表ももらった。一日のカロリーが千四百と老人向きに設定されている。食事は三食食堂へ行って食べればいいのだが、長年、朝はパン食だったから、朝は部屋でと決めてもいい。お菓子を作るのが好きだから、その楽しみも続けたい。そうなると、ゼリー型、クッキー型、泡立て器、オーブン付きのレンジも……。器具や材料を入れるのに食器棚が要りそうになってきた。小さい冷蔵庫がついているが、あれで足りるかしら。
新婚生活を始めるみたいで、なんだかわくわくしてくる。
ところが持って行く物を決めるばかりが仕事ではない。もっと大変なことがある。
最近は「断遮離」というのだそうだが、捨てる作業がまず先だ。
夫の書斎の、壁に作り付けの本棚の本。北側は一面、化学関係。自分の論文が載っているのもあって、愛着があるらしい。東は私の文学全集や暮らしの手帖、料理の本、手芸の本、編みたいセーターの載っている古いミセスや、子供の本。南側は宗教関係。どうするか考えるだけでくたびれてしまう。
次男が知恵を貸してくれた。段ボールに入れて送ると査定してくれて、売れたらその分の金額を送ってくれるというサービスがあるという。
さっそく申し込んで書類を貰い、どんどん箱に放り込んだ。しかし本棚からおろすのが一仕事だった。次男にほとんどやってもらった。
売れそうもないのは新聞を出すとき一緒にひもでくくって門の前に出す。これで百冊くらい始末できたが、門まで出すのも相当の労力が必要で、二人とも腰が痛くなった。
段ボールの方は宅配便が取りに来てくれ大分すっきりした。
次は子供の本と、おもちゃをどうするかだ。幼児教室を十年やっていたのでブロック、紙芝居、ままごと、色紙。それと捨てるに忍びない、お母さんたちと作った指人形が箱一杯。子ヤギが七匹、豚が三匹、オオカミ、赤いずきんの女の子、おじいさんとおばあさん、などなど。演目まで思い出される。よく見たら脚本まで入っている。
どこかにほしい人がきっといるに違いない。
そこで思いついたのが、文章教室の友人である。絵本の読み聞かせや、学童保育、幅広い人脈を利用して、役に立つ使い道を探してくださるかもしれない。 電話すると早速、お友達を誘って六人で来てくださった。
口の悪い夫は、「はいえな」みたいだったねと、言いつつも、持って帰った本を見ると、好きな傾向がはっきり分かるし、読み聞かせのためにふさわしい物をちゃんと選んでいるし、決して無駄な使い方をする人たちじゃないのがよく分かって安心した…… と喜んでくれた。
ところが、すっきりした戸棚の奥から、また別の段ボールが何個も顔を出した。
出てくるわ出てくるわ、三人の子供たちの小学校の成績表、幼稚園のお絵かき帳、日記、展覧会に出品したときの賞状、長島ファンだった長男の新聞や雑誌の切り抜きファイル。
誰かの?高校生時代の女の子からのラブレターまで。これなんか奥さんの前で「これどうかして!」と、ぶん撒いてやろうかしらと、意地の悪い考えが頭をよぎる。
友人に、近々ケアハウスに入居を決めた夫婦がいる。3LDKのマンションからの引っ越しだが、三分の二は捨てなければならないという。荷物の山を前にして「これはおまえのだぞ」「これはあなたの責任よ」と、毎日喧嘩をしていると嘆いている。
こちらは、本だけでも半分もまだなのに、もうばて気味である。捨てる決心のつかない料理の本がまだいっぱいある。ネットで調べればどんな料理の作り方でもすぐ出てくるから心配しなくても大丈夫だよと言うけれど、作り慣れた写真の載った本はどうしても手放せない。もうこんな料理を作れないのだと思っただけで涙が出てくる。
先の友人なんかは、もう食事の支度をしなくてもいいと思うとそれだけでも幸せだという。
今年の正月だってこれが最後だとは思っていなかったのに…… そうならそうでもっとご馳走しておくんだったのに…… お嫁さんたちにももっと真剣に覚えて貰いたかったのに……。
あれだけ、早く安心できるところへ移ってくれとわいわい追い立てていた三男まで、今頃になって、
「正月はどこへ集まるんだ? 」
と、矛盾したことを言い出した。
足の痛みもほとんど収まった。痛み止めを飲まなくなったからか、食欲も戻ってきた。
食事の支度にも気合いが入ってきた。味の感覚も元に戻った。
『これじゃあ大丈夫かな。こんな美味いもん、あそこじゃ食えるわけないしなあ……』(夫の独り言)
『私が死ぬのは何にも私が心配すること無いから平気だけどな……あなたが死んだら、わたしあそこで一人で暮らしていけないよ……あなたが認知症になったら、どうしたらいいの』(これは私の独り言)
理由はこればかりではないが、ちょっと考え直すことにした。
「土地が値下がりして、今売るのは損です。もう少し待たれた方がいいです」と、不動産屋に言われたのもその一つ。
うちの斜め後ろも、隣も、もう二年以上も売れないままになっている。
這ってでも自分で動けるうちは、ここにいようかなと、夫婦二人とも、そういう心境の今日この頃なのである。
今日も三男からメールが来た。
「今は暑くもなく寒くもないから自宅でもいいかなと思いがちですが、冬は寒い自宅にいることで、子供たちに心配をかけていることを覚えておいてください」
ああ、ああ、「終のすみか」はまだ当分決められない。
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