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16/1/11

早稲田で人生を変える 第三回

Image by Olia Gozha

プロボクサーを目指していた高校時代、大学行きながらボクサーとしてやっていこうと考えていた。ボクシンングを始めたきっかけが


「かっこいいから」


というくらいだから、大学もある程度知られてるほうがかっこいいなと漠然と思っていた。


3回プロテストに落ちた高校三年の夏、当時、始まった「オープンキャンパス」に参加した。当時の学力からすると、日東駒専あたりにでも行って、モラトリアムの4年間をボクサーとして過ごし、あんまり芽が出なければボクシンング辞めて働こうと漠然と考えていた。高校3年でプロボクサーになれなかった私は、「とりあえず大学行くか。そのためにオープンキャンパス行って、少しでも楽しそうな大学行くか」と考えていた。東洋大学、専修大学、明治大学、法政大学、中央大学と、日東駒専狙い、行ければ、明治、法政、中央と、オープンキャンパスに行った。

大学って、こんな感じか。と漠然と思い、


有名であればいい。


としか考えていなかった。忘れもしない、


高校3年秋。早稲田大学の「キャンパスツアー」に参加した。


事前予約制だった。現役学生が20人程度を1グループにキャンパス内を案内するツアーだ。当時はまだ珍しく、始まったばかりのイベントである。私の中では最も有名な大学の一つであったのと、そんなに家から遠くはなかったので、「早稲田って有名だから、記念に見とくか。どうせ行けないけど」という気持ちで参加した。もちろん、


当時の偏差値は30台だから、


早稲田なんて行けるわけもなく、日東駒専でも怪しいレベルだ。


「有名だし、なんかかっこいいな。でも、勉強しかしてないようなガリ勉タイプのヤツが行くんだろ」


とちょっと見下した気持ちだった。東京メトロ東西線の早稲田駅で下車し、早稲田大学方面にあるいた。メルシーの前を通り、早稲田鶴巻町西の交差点についた。まだ、インターネットがない時代だ、受験雑誌で見る大隈重信像が大隈講堂を見ている後姿の写真程度しか見たことがなかったので、早稲田大学がどこなのか、交差点からではわからなかった。地図も持ってない。ただ、大学は近いんだろうなとは感じた。学生らしい人も歩いている。平日だった。私は高校の授業が終わり、学生服のまま行った。交差点で近くにいる大人に



「早稲田大学ってどこですか?」


と聞いた。不思議そうに、「そこだよ」と正門付近を指さした。早稲田大学の早稲田キャンパスに一度でも行ったことがあれば、私が聞いた場所はほぼ大学と言ってもいいような場所だった。左には、今は大隈タワーになっているが、第二学生会館があった。第二学生会館の前を通り、正門前に行った。集合場所は正門付近。キャンパスツアーの案内をする現役学生と、参加者がすでにいた。正門に行くと、目の前には雑誌で見たことがある大隈講堂があった。正面からみるとこう見えるが、横からだとわからなかった。私はさっき、大隈講堂の横にいたのに。街の中に大学があるようだった。今まで見に行った大学と雰囲気が違った。


圧倒的に違った。



参加者の名前を確認し、ツアーに参加した。大隈講堂、大隈ガーデンハウス、図書館、演劇博物館など、中も見せてくれた。大隈講堂の時計台の中も入った。大隈重信像の後ろから大隈講堂を見た。「ああ、これが雑誌で見た景色か。」と思うとともに、とてもいい景色だった。演劇博物館を案内され、「学校の中に博物館があるのか。すげーな」と思った。坪内逍遥の像があった。名前くらいは知っていた。有名な人だ。何をしたかは知らないけど、この有名な人も早稲田大学関係者なのかと思った。すべての校舎、建物が今まで見たことのないような、建物だった。「大学っていうのは、こうゆう場所か。早稲田大学って有名なだけあるな。食堂もきれいだし。」大隈講堂の前では、

革ジャンを着た男数人がロカビリーのようなものを踊っていた。


私が想像していたようなガリ勉連中ではなかった。
楽しそうだった。自由そうだった。


エリートなのに、ガリ勉じゃなく、大学生活を楽しんでいた。悔しかった。私は、ボクシンングのプロテストに3回不合格となり、プロボクサーとなる道が断たれ、「一応大学でも行っておくか」程度の日東駒専も行けるかわからないような状況の中、早稲田大学で充実した学生生活を送る早大生を見て、自分が置かれた立場と彼らを比較して、負け犬のような気持になった。

プロボクサーもダメ、大学受験もダメ。


私は、いったい何で勝てるのか。すでに、彼らとは差がついてしまっている。このままあきらめて日東駒専にでも行って、うだつの上がらない学生生活を送りながら、プロボクサーになって、どうするんだ?早稲田大学には、無限の可能性があるように感じた。演劇博物の前でオープンンキャンパスは解散となった。博物館の前にあるベンチに座り、「俺は、早稲田大学に通いたい。どうすればいいんだ。」家に帰って、親に言った。「早稲田大学に行ってきた、記念に見てきたよ」。


翌日、ショックのあまり熱を出し、高校を休んだ。


あまりの早稲田大学の魅力にショックを受け、かつ、


行きたくてもいけない自分が悔しく、
どうすればいいのかわからなかった。



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