早稲田で人生を変える 第四回
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どうすれば偏差値30台から早稲田大学に合格できるのか。
それを考えた。
一番偏差値の低い学部はどこかと。
第二文学部だ。当時の河合塾の偏差値で57.5。人間科学部も57.5だったが、所沢キャンパスは行ったことがなかったが、所沢ではなく、早稲田に行きたかった。文学部は戸山キャンパスで、大隈講堂がある早稲田キャンパスと少し離れているが、徒歩で数分、早稲田キャンパスに行き来することができる。
「俺は、早稲田大学に行く」
そう決心した、高校生3年の秋だった。
学校のテストは赤点を取らないように無難にこなしていた私だが、大学受験勉強はほぼゼロの状況だったた。一浪は覚悟したが、受験勉強に取り組んだ。
早稲田の対策だけを行った。
英語、国語、日本史の三教科の早稲田対策だ。私は、独学が苦手だったので予備校に通うか考えたが、すでに冬。今から行ってももう、直前対策になってしまう。基礎ができていない私が行っても、訳が分からない。今思うと笑い話だが、英単語張と桐原書店の英文法を徹底的にやった。学校の試験勉強は決まった範囲をある程度無難にこなすことはできたが、大学入試の範囲を網羅する勉強法を知らなかったし、どうすればいいのかわからなかった。そう、大学受験の勉強方法を知らなかったのだ。
スキーの滑り方も、滑り方を教わると教わらないのでは上達が違う。
それと同じだ。それは、浪人して初めて知ったことだった。高校3年生時、早稲田に覚悟を決めた私は早稲田大学4学部。本命の第二文学部、そして、偏差値の低い順に社会科学部、教育学部、第一文学部。当然、全滅した。わかっていたので、「これからの浪人生活が勝負だ」とあまり気にしていなかった。しかし、自分が勉強方法を知らなかったことに気が付くのは浪人してからだった。
そして、結果的には2浪することになる。
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