早稲田で人生を変える 第五回

前編: 早稲田で人生を変える 第四回
後編: 早稲田で人生を変える 第六回

私の家庭は裕福ではないが、浪人するくらいの余裕はあった。親は、私の決定に文句を言わなかったし、口出しもしなかった。幼いころから、勉強に関してはあまり口出しをされたことがなかった。自立を重んじるというか、そういった家庭だった。兄がいた。兄はMARCHの付属校からそのまま大学に行った。デキる兄だった。早大学院と早稲田実業も高校受験したが、試験日にインフルエンザになり落ちた。昔から勉強は兄のほうができた。

弟は、勉強もだめ、親の金は盗むで、

あまり良い弟ではなかったと思う。


高校3年次のクラスに下平君という男がいた。

私の高校は現役で早稲田大学に3人くらい合格者が出る高校だ。

浪人を含めると10名程度。一学年500人程度いる高校だ。

東大は10年に一人くらい。

こんなレベルの学校だった。今は随分進学率が上がったようだが。

下平君は早稲田に現役合格した。

私は彼に、私も早稲田に行きたい。

浪人して早稲田に行く。どうすれば早稲田に行けるのか、どのような勉強をしたのか聞いた。下平君はイイやつで、私とそんなに仲良くなかったにもかかわらず、彼がどう勉強したのか教えてくれた。

代々木ゼミナールに通っていたのだと。



私も浪人して、代ゼミに行くことにした。彼が薦めてくれた講師の授業がある、本科生となって代ゼミに入校した。代ゼミは今、時代の流れで校舎を閉鎖したが、私が予備校生の頃はまだまだ生徒が多かった。私は都心の代ゼミ校舎に通学するか、多摩地区の代ゼミ校舎に通学にするか悩んだ末、多摩地区の代ゼミにした。都心だと、遊んでしまうかもしれなかったし、友人も通っていそうで、一緒に楽なほうに逃避する可能性があったからだ。ボクシングをやっていただけに、ストイックに目標に向かうことができる性格なのかもしれない。ちなみに、

私が通った代ゼミ校舎は今、閉鎖となっている。

英語の講師は下平君お薦めの講師、代々木先生の授業を中心に勉強した。今でも活躍している講師だ。この先生は、文型と文法に重きを置く先生だった。大変論理的であり、ひたすら英単語と英文法のテキストを暗記してきた私にとってはすべてが新鮮だった。

しかし、そこで分かったことは、私は英語の文型と文法についてまったく理解していなかったということだ。

ただ、単語を覚え、その通りに訳し、英文法のテキストに載っている熟語、イディオムを意識する勉強とは全く内容が違った。特に、私は学校の英語授業で教わる、五文型を全く理解していなかったのだ。英語だけでなく、日本語の文法も理解していなかった。主語、述語、形容詞、動詞、修飾語。。。

英語だけでなく。日本語にも共通する文法を理解することから始まった私の浪人生活。

こんな状態でよく私大最難関の早稲田大学を目指したものだ。

逆に言うと、早稲田大学に合格する学生は当然このような文型や英文法を理解し、受験していたわけだ。後に知り合う早稲田大学の学生が言っていた言葉だ。


「ずっと小学生のころから勉強してきた。君が遊んでいたり、運動している最中も。だから勉強で差がつくのは当たり前だ。そのころからの勉強の積み重ねを、たった浪人一年間で取り戻せると考えるのは甘い。」



厳しい現実だ。


浪人すれば難関校に合格できる錯覚をしていたが、一般的には幼いころからの勉強の積み重ねが大切ということだ。これは、勉強だけではなく、スポーツや芸術もそうだろう。

メジャーリーガー、イチロー選手の卒業文集が有名だが、小学生のころから具体的な目標を掲げ、同級生が遊んでいるときも必死に野球に打ち込んできた。

その結果が、あのイチローなのである。私も浪人すれば早稲田大学に合格できるだろうと安易に考えていた。



それに気が付くのは、もっと後になってからだが。



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早稲田で人生を変える 第六回

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