top of page

16/1/15

同年代の中ではトップクラスに頭を下げた回数が多いと思う私の話。3

Image by Olia Gozha

二十歳を超える囲えないかくらいの時の話。

失意の内に一人暮らしが始まった(当時は本当にそう思っていた。)。

親からはとりあえず4月と5月の生活費2万で暮らしなさいといわれた。自分に取っては大金で「余裕やわ!」とか思っていた。暮らし初めて3日で、どう考えても無理と言うことに気づいた。

アルバイトしようと思って、どうせやるなら何か自分の身につくことをしたいと思った。

最終的にある一流ホテルでお客様の荷物持ちとして働くことになった。

これが相当な数頭を下げることになった。ココでタイトルの謎が解けるのである。

ホテルマンというのはとにかく謝ることが多い。自分のミスでないことまで謝る。

怒っておられるお客様に謝ると、「おまえが謝ってるんじゃねぇ!」と怒られることもある。

謝らないと「おまえが謝りに来たんじゃねぇのか!」と怒られることもある。

専門学校を卒業してその地を離れることになってしまったので、約二年ホテルマンとして働いていたが、その二年間は週に15くらいで謝っていたと思う。

最初の頃は、右も左も分からなくて「すいません」と謝る。

仕事を覚えてくると、できるできるとおもってミスをして「すいません」と謝る。

ときどき清掃のおばさんがミスして私が「すいません」とあやまる。

働き始めて1年を過ぎた頃から、先輩からちょっと手が離せんから謝ってこいと言われて「すいません」と謝りに行く。

職場の人材が流動的すぎて、どうして起こったミスなのかを説明できる人が私しかいなくて、年上の後輩がしたミスを私が「すいません」と言いにいく。

仕事ってむつかしいんだなー、お金稼ぐのってキツいんだなー。と実感して、さらに親に対する後悔の念と申し訳なさがでてきて「おかあさんおとうさんごめんね」と言う。

このような感じで、鬼のような速さで、倒れる一歩手前のような忙しさで、二年間が過ぎていった。

でもこのときは楽しかったし、今思い返しても楽しい。

このときに鬼のように仕事ができる上司に「仕事とは…」のような格言を頂いた。


PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page