会社員だった私が突然会社を辞めて、ただゴルフがしたい一心で渡米してプロゴルファーを目指した話 ④ 婚約破棄(笑)
実は2年間の予定だった
2013年1月の渡米当時、お付き合いしていた彼氏がいました。彼とは高校の同級生でしたが、私が社会人、彼が医学生5年生の頃に付き合い始めました。
もともとお互いの性格を知っていると思っていて、気兼ねのない付き合いを始めたつもりでした。
15歳で初めて会った時の私達と、23歳になって成長した私達では、付き合ってからこんなんだったっけ、と相違点に気づくことも沢山ありました。
それでもとまどいながらも、些細なことは笑って乗り越えられていました。
私が人生を変える決意をするまでは。
私が 会社を辞めてアメリカに行く、しかもプロゴルファーを目指すと宣言したのは、彼にとってまさに晴天の霹靂だったと思います。
自分にとっても唐突な変化だったので、彼が驚くのも当然です。
会社を辞めたいなーと思っていた所に、アメリカゴルフ留学の縁があって、もう人生変えるなら今しかない!と思ったのです。
でも同時に、私は彼と結婚して家庭を築きたいと思ってもいました。
でも、アメリカには今行きたい。
ゴルフの全力投球も今したい。
沢山の「でも」を積み重ねて考えあぐねた結果、フラれてもしょうがないな、という覚悟で私は彼に渡米決意の報告をしました。
そう、相談ではなく、報告でした。
彼はその時大変ショックだった様子。
どうしてもアメリカに行かないと行けないのか、日本でその挑戦はできないのか、と引き留められました。
でも私の意思は固まっていました。
彼もまた翌年の4月から二年間、地方の病院に研修医として行くことが決まっていたので、
「自分もやりたいことを優先して東京を離れる」という思いがあったようです。
彼はしぶしぶ、「では二年間遠距離恋愛をした後、結婚しよう」と言ってくれました。素直に嬉しかったです。この時は。オフコース。
かくして私は、アメリカでプロゴルファーになる!という大志を抱きながら、二年間限定の夢の武者修行をスタートしました。
勿論、プロのスポーツ選手になるということは、そんなに甘くはありませんでした。
言語の壁、文化の違い、異国の地で生活することの大変さ… そんなのに慣れるのに一年はあっという間に経ってしまいました。
練習、試合、トレーニングに集中したい一方で、学校、住居探し、自動車購入などの生活基盤を築くのにも数ヶ月かかったし、加えて肘と腰の故障、車の事故も2回やりました(笑)
思うように結果が出なくて、焦ってリズムを崩して、コーチからもよく叱られました。
勿論、楽しいことも沢山ありました。
日本でも学生の試合、アマチュアの試合には出ていましたが、プロとアマチュアが混ざった試合、というのは経験がありませんでした。
出場者の中で日本人が1人、という状況も、勿論初めてでした。
緊張と不安、けどそれを遥かに上回る興奮。
次第に試合仲間も増えて、友達もできてきました。
カリフォルニア内のローカル試合を一通り出た後、6時間ドライブしてアリゾナ州のミニツアーにも行ったし、カナダにも遠征しました。
全米マッドアマチュア選手権(出場資格が25歳以上のアマチュアに限る)に予選通過して、ノースカロライナ州へ行った時には、ツアープロになったらこんな旅を毎週するのか、と夢に胸躍りました。
そんな中、彼との関係は少しずつ変わり始めていきました。
研修医としての生活が始まってから彼は忙しく、時差がある中で連絡する頻度は次第に減っていきました。
お互い頑張ろうね、二年経ったら結婚するんだから。将来像が共有できているんだから、今ちょっとしんどくても大丈夫。
そんな感じで私は、彼が生涯私を好きでいてくれると、信じて疑いませんでした。
私は2人の関係が手遅れになるまで、彼の心境の変化とその危機的状況に全然気づかなかったのです。
結局、1年半経った2014年の6月、私達は婚約解消と共にお別れをしました。
婚約というとちょっと大げさですね。結納した訳でもなかったので。ただFBのステータスも「婚約中」に替えていたし、両親にもご挨拶をしていました。
(余談ですが、FBのステータスを「婚約中」にすると、広告が全部ウェディング系一色になります。さらに蛇足ですが、FBのステータスを「婚約」に変えるとフィードに流れて、友人からのおめでとうコメントがわんさかきますが、「独身」に戻す時はフィードに表示されないらしく、なんかむしろコメントほしいくらいなのに、さりげな〜く独り身に変更になっています。笑)
お互いに決定的に嫌いになったわけじゃなかっただけに、歯切れの悪い終わり方でした。
厳密に言うと、彼は「このまま戻ってすぐ一緒になるのは考え直したほういいのではないか」と言ったのでした。彼は地方の病院が気に入り、三年目以降もそこにに残りたいと思い始めたとのことでした。
しかし私は「あなたとの結婚の約束がないのなら日本には帰りたくない」と主張しました。
私はカリフォルニアでの生活が充実していて、東京に帰るならまだしも、日本の寒い地方では冬にゴルフができなくなってしまう、という理由で絶対行きたくありませんでした。
相手に好きな人ができたのか、またはもう付き合っている人がいたのか、真相はわかりません。
けどお互いに、将来のビジョンが大きくズレてしまっていました。
彼も彼なりに、苦悩したと思います。
夢を追ってほしいし、でも近くにいてほしいし、でも自分のせいでやりたいことができなくなるのは嫌だし…
私も当時は彼に「私のワガママな渡米を許してもらって、申し訳ない」という気持ちや
「彼を残して来て、私は自分のやりたいことをやっている。これは良いことなのだろうか?」
という後ろめたさはありました。
一般的に、待っている方はツライものです。
彼が愛想を尽かすのは無理もなかったと、今なら思います。こっちもツラかったんだけどね、あはは。
お互いにやりたいことがあって、一緒にやっていくのは難しそうだった。利害が一致しなかった。それだけのことです。と言いながらそれなりに応えましたけど。
しかしまぁそんな訳で、糸が切れた凧のように、私は日本に帰る意味を無くしました。
2年間の修行で来るだけのつもりだったアメリカ。
でも私は退路を絶って、こっちで食っていってやろうと再度奮起しました。
恋愛は女を強くする。
(もともと強めだったけど)
それが3年経った今も、アメリカにしがみついている一番の理由です。かね。
著者の稲葉 瞳さんに人生相談を申込む
著者の稲葉 瞳さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます