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16/1/28

あの頃、ビアハウス:思い出のグリーングラス(1)

Image by Olia Gozha

汽車からおりたら  ちいさな駅に
 迎えてくれるママとパパ
 手をふりながら呼ぶのは 彼の姿なの
 思い出の Grren Grass of Home
  
 まぶたを閉じれば 聴こえてくるわ
 懐かしい古里の歌が 
 子どもの頃、遊んだ山や川 そして
 思い出の Green Grass of Home 

もとはカントリーソングだが、トム・ジョーンズが歌ってヒットした。明るいメロディーで故郷に降り立つ主人公が家族や恋人に迎えられる、と始まるのだが、英語の歌詞を聴くと最後の方には、こんな語りが入る。

そして俺は目が覚めた。四方を灰色の壁に囲まれた部屋で
俺は故郷の夢をみていたんだ
看守と神父さんに両腕を引かれ、
夜明けに俺はグリーンマイルを歩いていく
      (註:グリーンマイル:アメリカの死刑囚が歩く緑色の
         絨毯が敷かれた死刑台に続く道。

俺はもう一度、故郷のグリーングラスに触れるんだ
そうさ、みんな俺に会いに来る。
古い樫の木の下で
故郷のグリーングラスの下に埋められるとき
                          ー袖林優子翻訳ー
         
こんな明るい曲にはまったく似つかわしくない、故郷を出たまま帰らなかった死刑囚の最後の夢を歌ったのが「思い出のグリーングラス」なのです。            

外国の歌はできれば日本語訳しないで、原語で歌うのが個人的には好きなのだが、この歌は本語歌詞がとても気に入ってアサヒで歌い始めました。

わたしがラジオで日本語版を耳にして覚えることができたのは一番目の歌詞だけで、残りの部分は今のようにパソコンがまだ出始めていない時代でしたから、分からず。アサヒビアハウスで自分が歌うために歌詞を自作したのであるから、いい加減なものだ。

わたしは度々こういうことをやっている。わからない歌詞は自分で作るのである。誰に遠慮がいるものか、「作詞:袖林優子」やもんね。

わたしの故郷は弘前である。もう15年ほども前になろうか、アメリカへ移住して今ではカリフォルニアに
居を構えてすっかりそこの住民として腰をおろしてしまっている、大阪時代の友人と彼の娘、そしてわたしと娘の4人で東北を回ったことがある。

その折に、彼が気を利かしてか、四半世紀以上も帰っていないわたしの故郷、弘前に立ち寄ろうと言い出し、一晩宿に泊まったことがある。
   
ホームから駅舎を出て駅前に降り立った時には度肝を抜かれてしまった。駅舎も駅前も、なにもかもが新しく計画建築され、様子はすっかり変わってしまい、まるで見知らぬ町に足を踏み入れた気がしたものだ。

それもそのはずであろう、わたしが故郷を出たのは札幌放浪の19の春以来盆正月も両親に顔を見せることもせず、帰郷したのはポ国に来るまでに、たった2度ほどで、30年近く帰郷していなかったのだから・・・

しかし、故郷を思うとき、わたしは今でもこの歌にあるように、心の中の東北の田舎の小さな駅に降り立って入っていくのだ。父も母もとうに鬼籍に入り、もう迎えてくれるわけではないが、この歌を歌うとき、わたしは思わずセンチメンタルになり、二番目の歌詞で自ら書いたように、「まぶたを閉じれば浮かんでくるわ」なのである。

とある年の10月、その2年ほど前に亡くなった母の法要代わりに、弘前に住む親戚へのあいさつ回りで、東京に住む妹夫婦と車で帰郷した。たまたま2泊3日のその一夜が、高校の「一期会」との知らせを京都に住む同窓生から聞き、わたしは「舞踏会の手帖」をほどくごとく、やおら出席を決したのである。

参照:「舞踏会の手帳」(1938年の映画) 
 
夫に先立たれた女主人、クリスティーヌが古い荷物の中から出てきた一冊の手帖を見つける。
それは彼女が初めて社交界にデビューした夜の、舞踏の相手の名を記しておく手帖だった。
思い出が泉のように心に染み広がり、ふとこの舞踏会の相手を一人一人訪ねてみようとする。今その人たちはどうしているだろう・・・(猪俣勝人著:世界映画名作全史から引用)
   
その「舞踏会の手帖」を頼りにかつての相手を訪ねて行く、と言うようなお話なのですが・・・
        
次回は「思い出のグリーン・グラス」弘前編です。

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