【肝っ玉お母さん】病気もケガも「今しておけば将来しない」と前向きに向き合ってくれた母の話

1 / 2 ページ

小さいころの私はとても病弱でした。

両親にたくさん心配をかけましたが、私の母はいわゆる「肝っ玉母ちゃん」な人で、小さいころに病気しとけば、大きくなったとき病気しないから!と嫌な顔ひとつせず、育ててくれる人でした。


これは、そんな肝っ玉母ちゃんのお話です。





小学校2年生のときのこと。

しばらくずっと体調が悪く、お腹が痛いなぁと思っていたら実は盲腸だったというビックリ事件が起きました。

私は「ただの腹痛だから放っておけば治る」と思っていて、病院に運ばれて手術をした日も普通に学校に行っていました。

あまりに具合が悪く、保健室に行ってもしんどいばかりだったので、スーパーでパートをする母に早めに仕事を切り上げて迎えに来てもらい、学校を早退し病院に連れて行ってもらいました。


診断してもらうと、待合室に戻されることなく


「すぐに大きい病院に行ってください!盲腸だから!紹介状書くから!あと救急車呼んであげて!」


と、バタバタ動きまわる先生と看護師さんたち。


母と私はポカン( ゚Д゚)状態です。



初めての救急車にちょっとわくわくしていましたが、先生たちの焦り具合に「これはやばいんじゃないか」と不安になり、なんだか更にお腹が痛くなります。

病院につくなり嘔吐しながらレントゲンをとられ、麻酔を打たれ、目が覚めたら手術が終わっていました。(今は部分麻酔が多いと聞きますが、私は全身麻酔でぐっすり眠っていたみたい)


どうやら破裂寸前の危ない状態だったらしく、手術後、母は先生に「なんでこんなになるまで放っておいたのか」とこっぴどく叱られたらしいです。


1週間の入院生活が始まります

自宅から距離のある病院だったので、母はずっと病室に泊まり込んでくれました。

もちろん個室ではありません。カーテンで仕切られた狭い場所に寝袋で泊まり込んでくれていたのですが、あれ病院的にOKだったんでしょうか・・・。


それでも、当時は母を独り占めして申し訳ない反面、とてもウキウキしていたのを覚えています。

パートとはいえ共働き家庭で、兄弟も居ましたので、ワガママを言ったりすることができなかったんです。言えば聞いてくれたのだと思います。でも子供は大人が思うよりしっかりしています。迷惑をかけちゃいけない。子ども心にそう考えていました。


入院中は病院食なわけですが、盲腸だったので食べられるのは水みたいなお粥と柔らかく煮た薄味の野菜ばかり。ちなみにわたしが茄子を克服したのはこの病院食のおかげです。

弱った体に優しい味付けがとても美味しく感じれらました。

母はあまり料理が上手じゃなかったんですよね。

自分が大人になって料理をするようになって判明したんですが、なかなかに豪快な目分量をするおかげで、結構味が濃かった・・・。


ほとんど固形物を食べられない娘が余程可哀相だったのか、母はときどき食堂で買ったご飯をおすそ分けしてくれました。

あろうことかカツカレーを食べさせようとしてくれたことがあり、看護師さんにその現場を発見された母は、また説教をくらうはめに。ちなみにその日からおやつにプリンが出るようになりました。


みんなの読んで良かった!