アリゾナの空は青かった(3)まだ、North 2nd Ave.927

前話: アリゾナの空は青かった(3)「North 2nd Avenue 927」

「927 North 2nd Ave.」は実は知る人ぞ知る家であった。

アメリカで「デリンジャー」と言えば、「石川五右衛門知ってますか?」と外国人に聞かれて日本人が苦笑するのと同じくらいの、知らずもがなの人物である。

アメリカの大恐慌時代、「プリティ・ボーイ」「ベイビー・フェイス」の、映画でもお馴染みの名だたる手下を従えて、各地の銀行を荒らしまわり、捕まっては脱獄してFBIに「Public enemy No.1」と指定され、多額の懸賞金がかけられた。シカゴでFBIと銃撃戦を交え、31歳で最後を終えた銀行ギャングだ。

ジョニ・デップが映画「パブリック・エネミ-ズ」でデリンジャーを演じている。

デリンジャーは逃亡中の一時期、この「927番地」の家を隠れ家にしており、1934年1月にここで逮捕されている。もちろん、その後再び脱獄を図るのだが、なんともはや、あまり名誉な歴史を持つ家ではないのだが、ロブはかなりご自慢の様子であった。

「どこがデリンジャーの部屋だったのよ?」なんてわたしは訊ねない。デリンジャーの怨霊に取り付かれでもしたら、わたしのアメリカ生活の夢は悲惨なものになってしまうではないか。

参考がてら、下は1930年代の927 North 2nd Ave。 敷地の周りに囲いがある。

 

こちらは1978年にわたしがハウスシェアリングした当時。囲いが取り払われているが、



ネットで見つけた現在の927番地は再び囲いが作られている。
わたしの部屋は玄関ドアのすぐ左、表通りの庭に面した大きな窓のある広い部屋である。
アーリー・アメリカン調の古い家具とその家具の上にかけられてある大きな長方形の鏡、そして木製のベッドが備え付けれれていた。

この部屋をデリンジャーが使用したとは考え難い。通り向きの部屋で窓も大きいし、通行人人に見られることもあるからだ。

窓を開けると、手がかけられたことがないと分かる大きなグレープ・フルーツの木があり、手を伸ばすとたわわに実った果実をそのままつんで食べることができた。

住人は、友人のロブ、アメリカ人でアリゾナ大学男子学生A、そしてツーソンの小さなカレッジで歴史の講師をしているジョン、それに新参のわたしと4人である。

玄関口のドアを開けるとすぐにある、暖炉付きの大きなリビング、それに続くダイニング・ホール、その右横に台所、左横にバスルーム。電話電気水道は、使おうと使うまいと全て共有で月末に均等負担。

夜ともなると、時折4人が暖炉を焚いたリビングに集まり、ギターを爪弾いたり本を読んだり、テレビを見たりと、それぞれ思い思いのことをした。ツーソンでは、冬でも気温が20度近く上がるとは言っても、夜は結構冷えるのである。だからセントラル・ヒーティングが入っていても暖炉を炊くことがある。

わたしの記憶に残るツーソンの屋内の灯りは、柔らかくやさしい。見知らぬもの同士でも一つ屋根の下で生活し、週末の午後や夕方に申し合わせることもなく自然にリビングに集まり、それぞれ好きなことをしながら流れる時間を共有する。

FBIをして、「パブリック・エネミー・ナンバー・ワン」と呼ばれたデリンジャーの隠れ家であったとしても、わたしが住んだ1978年の「Tucson North 2nd Ave.927番地」は少なくとも平和だった。 

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