大学3年生の男が、小学4年生の男の子から教わったこと
3月。
凍てつくように寒い。
感覚がなくなっている。
時刻は深夜の12時。
雨がしんしんと降って、月が遮られたせいで地面は全く見えない。
僕は、キャンプ場にいた。真っ暗のけものみちをひたすら歩いている。
荷物を抱えて。子どもたちと一緒に。
僕は、そのキャンプのボランティアリーダーだった。参加者の子供は15人ほど。それを何人かのリーダーが、サポートする。僕らは、雨がふってきたので、荷物を傘のあるステージまで運んでいたのだった。
僕は激しく後悔していた。
自分がここにいることも、このキャンプにボランティアで参加したことも。
僕の靴は、底がぺらぺらのスニーカーだった。お金がなかったのと、元登山部だったせいもあって、定地キャンプをなめていた。
道は舗装なんかしていない、道かどうかもわからないようなジュクジュクのぬかるみだった。
当然足が滑る。3歩進むごとに滑る。それで、尻餅をつく。ズッデーン。
何歩か歩いて、また滑る。ズッデーン。
レインコートを着ているので、冷たさは伝わらない。でも、痛い。ズッデーン。
いつしか、滑ることさえ防ぐこともやめてしまった。
尻餅の痛みさえ、もうどうでもよくなった。ズッデーン。
頭の中には、僕の下宿の暖かい布団が浮かんでいた。暖かい布団にくるまって、ゆっくり落ち着いて眠りに落ちてしまいたい。
僕は疲れていた。
子供相手に、夜の日が変わるまで、もう延々前日の朝から山の中で活動している。こんな経験は初めてだし、同じキャンプリーダーにも親しい人がいなかった。孤独で、つらくて、投げ出したくなった。
僕はこのボランティアで、教育についてとか人についてとか、崇高な何かがつかめるかもしれないと夢想していた。でも、そんな夢想は3月の雨のキャンプ場に簡単に崩された。子供に笑顔を作る余裕もなくなって、リーダーなんて無理、もう限界です、帰りますといいたかった。言い訳の言葉が次々に心に浮かんできた。
そんな中、僕は真っ暗のけものみちを荷物を抱えて歩いていた。ズッデーン。最悪。
…ふと、腰に感触を感じた。
ん?と振り返ると、子供が僕の腰を持っている。小学4年生の男の子。僕と同じくらいの荷物を持っていた。
どうして、この子は僕の腰を持っているのだろう。
はっとした。
この子は僕を支えているのだ。
この子は僕を支えている。
テントの袋だったり、旅行用のカバンだったり、僕とさほど大差ない荷物をその子は抱えている。それに、背格好は僕の腰より少し上ぐらい。僕がもう一度滑ってこけたら、支えるどころか一緒にこけてしまうだろう。
それでも、その子は僕を支えている。僕があんまり滑るので、見るに見かねて、支えてくれたのだ。自分も慣れないキャンプで夜中までやって疲れているだろうに、手を貸してくれたのだ。何も言わないで。
その時、
僕の腰が急に暖かくなった。
不思議とほっこりと暖かくなったのだ。
そして、僕に力が生まれた。滑ってもどうでもいいような歩きをやめて、一歩一歩足を踏みしめた。限界近く疲れているので、その子に声をかけることも出来なかった。ただ、しっかり何とか歩こうと前を見た。
ステージに着いた。気がつくと、もう腰の感触は消えていた。その子は、荷物を片づけていた。近づくと、その子は僕に笑った。僕も笑った。
僕は、その手のぬくもりを一生忘れない。その子は、それまでの僕が本当に欲しかったものを与えてくれたのだ。小学4年生の、僕の腰の上ぐらいの背の男の子が。
僕は大げさに言うなら、それから全てが変わった。
子供の接し方が変わり、教育について考えることが変わった。人との接し方が変わり、幸せの見方も変わった。生き方も変わった。
全て、その子が教えてくれた。
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