アリゾナの空は青かった【13】恐怖のグレイハウンド・バスPt.1
註】グレイハウンドバス:アメリカ全土を網羅する長距離バス。車体に走るグレイハウンド(痩せた快速の灰色の猟犬)の絵が描かれている。
粗忽ものが、長い人生で色々失敗をしでかしてきたが、が、これは我が人生でたった二つある真の「心臓バクバク」事件のひとつだ。
数ある失敗はしてきたが、まぁ、なんとか許されるものがほとんどであろうと勝手に決めて自己弁護である。 心底冷や汗が出るような事件というのには、普通の人間であればそうそうザラに出会うものではないと思う。しかし、これは、今思い出しても汗がタラーと流れてまいる。
謝肉祭、つまりカーニバルの短い休暇の時のことです。謝肉祭は移動祝日でその年によって変わるのだが、あの時は2月だったと記憶している。そろそろアメリカ人の友人も何人か出来てきた頃だ。
キャンパス内で声をかけられて知り合った大学生に、トム・カツコー君と言う20歳そこそこの若者がいた。ツーソンの大学に来る前は、フェニクスにある大学で学んでいたのが、興味のある教授がツーソンの方にいたので、こちらに学籍を移した、と聞いた。アメリカの大学制度の羨ましいところは、ここだ。
個人的な体験だが、ポルトガルから日本の大学受験を目指し合格した我がモイケル娘が(本STORYSサイトの「ズッコケ親子の受験戦記」編の主人公である)、大学生活も3年目に入るという時になって、早稲田大学から北九州市立大学へコース変更のためと称して独断で編入したときは、おおっぴらに反対はしなかったものの、母として焦ったのは事実であった。なにしろ、日本では途中で他大学への編入はほとんどないと言う。日本だけではなく、ポルトガルでだってそうそうあるものではない。
さて、話をもどしまして、その友人トムに誘われて、フラッグ・スタッフと言う町に住む彼の友人たちがどこかで開くパーティーに一緒に行こうと言うことになった。フラッグスタッフは、ツーソン、フェニックスからグランドキャニオンへ向かうルートの中継地。標高2300mにあってアメリカでも一番高所にある町と言われる。
始めはロブも同行の予定だったのだが、急遽彼は予定を変更し、結局トムと二人で出かけることになった。ツーソンからは車で数時間かかり・・・なにしろトムの車もロブのに劣らぬほどのポンコツ車ではあった。トムの友人とフラッグスタッフの学生寮で合流し、その夜はカーニバルパーティーへと繰り出した。なに、パーティーと言ってもあちこちから集まった知り合い、知り合いのまた知り合い、そのまた知り合いであれば、誰でも入れると言った具合で、会場は個人の持ち家。みんな床に座り込んで、軽い飲み物とスナックで後は自由に会話です。
パーティーのその後、知り合いになった皆さんがどうなるかは、わたしは存じない。少なくともわたしとトムは、翌午前中にはツーソンに向かって発ちたいと思っていたので、友達の友達宅に、つまりわたしからすれば会ったこともない人なのだが、そこに泊めてもらった。ここまでは、事件も起こらず無事に事は運んだのである。グレイハウンドバスがなんでタイトルになっとるのかと、不思議に思うでござんしょう。
この翌日なんです、恐ろしいことに出会ったのは・・・
著者のSodebayashi Costa Santos Yukoさんに人生相談を申込む
著者のSodebayashi Costa Santos Yukoさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます