高校で不登校・引きこもりだった女子が、就活を前にこれまでの2回の挫折を振り返る。

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現在、大学3年生で就活をしているはるです。

わたしはこれまで2回の挫折を味わいました。今日はその挫折から学んだことをまとめていきます。



1度目の挫折は、高校2年生の時でした。


私の入った高校は、県内ではそこそこの偏差値の、いわゆる自称進学校でした。宿題は多いやら、文武両道に力を入れているやら、そんなところでした。中学時代の私は正直に言って、県内1番の高校に余裕で入る頭もあるくらい成績は優秀な人でした。けれど、進学校での「部活動をせずに勉強をしよう」や「学校祭よりも勉強をしよう」、「苦手を切り捨ててできるところだけを伸ばしていこう」という雰囲気が、なんだか鼻高々の天狗さんに見えて好きではなかったのです。もっと地に足ついた、努力と汗にまみれた環境にいたいと思って、兄の通っていた自称進学校に入りました。


入学して半年、担任との二者面談のときに言われました。「入試で10番以内で入った人は、今でもその順位を維持しているのに、はる、お前だけそこにいないぞwどうしたwwなんで勉強しないんだよ~」自分がそんなに学年で上位にいたことも知らなかったし、担任に期待されていたことも知らなかった私はその発言に驚いたのですが、そう、担任が言っているように、高校では勉強をしませんでした。


最初に書いたように、私は高校に”もっと地に足ついた、努力と汗にまみれた環境”を求めていました。私は勉強が好きだったのですが、中学校では勉強を楽しいとしている人が少なく、周りの似たような成績の子たちはみんな「内申点のため」や「好成績を取りたい」という成果や地位を獲得するのが楽しいといった感じでした。進学校向きの考えだったのでしょう。私としては純粋に学ぶことが楽しいと思っていたので、自称進学校であれば「みんなで勉強がんばろう!」「勉強楽しいね!」と言い合えると思っていました。兄や親、中学の先生からもそういった素敵な環境だと言われており、すっかり期待を胸に高校に入学しました。

しかし、現実は、違いました。学校に行けば「勉強なんてやりたくない~」「宿題だるい~」「テストやだ~遊びたい~」ということばかり言うクラスメート、「勉強やりたくないかもしれないけど、今やることがあんたたちの将来のためになるんだから、とりあえず宿題やって!!」と言う先生。(全ての人がそうではなかったものの、)よくある光景だなあ、思っていたものと違うなあ、これじゃあ中学校と同じじゃないかと思いました。学生としては、そうやって友達と一緒にグダグダしていること自体が楽しいという感覚があったのかもしれませんが、私にとっては幻滅の対象でしかありませんでした。

純粋に思ったんです。「こんな人たちと一緒に勉強したくない」って。独学でなんとかなってしまう頭を持っていたからこそ、学校で勉強する意味が分からなくなってしまいました。次第に成績も落ちてやる気も湧かず、上の二者面談にいたります。


”勉強を楽しむ青春”が叶わないと思い知ったかわりに、私は"友達と一緒に過ごす青春"を知りました。正直言って小・中学時代は友達と遊ぶよりも勉強をしている方が楽しいという感覚がありました。小・中学生のときは、お誕生日会やお買い物、地元を自転車でめぐったり、学校帰りに家に招いたりとか、色々な遊びを当時の友達としたりもしていたのですが、やっぱり行動範囲が狭く地元内でのつながりだったので、どこか物足りなさを感じていました。

そこに、電車で1時間かけて通った学区外の高校。知らない町で生活している子と仲良くなり、一緒に帰ったり、遊びにいったり、お昼を食べたてトイレ前で歯磨きをしたり。たわいもない一日を共に過ごすことの幸せを知りました。高校1年生は、私にとっての人生の一番輝かしい青春の日々でした。今でも当時の友達とは毎日連絡を取り、関東⇔東北という遠距離ながらもお泊まりをしたりしています。(素敵な共に感謝)



ああ、自分は無力なんだな...


そして、高校2年生になりました。当時の私は悩んでいたことが2つありました。一つ目が部活動のこと。二つ目がクラスでのこと。

部活動は中学でも行っていた卓球部に入りました。中学校では無法地帯のような卓球部だったので、まともな練習をしたこともなく、からっきし弱い自分でしたが、ただただ卓球が好きでした。高校でも続けて少しでも強くなれたらなあと思い入部しました。そこには他校でエースだった人や県で名前が知られている人など、レベルの高い人から初心者まで様々いましたが、ほとんど中学と同じような無法地帯。強くなるための練習などなく、部活動の時間は決められた時間に決められたことをするという時間でしかありませんでした。勝とう!という雰囲気は、口だけのものでした。まるで、厳しい中学時代の反動のように、そのゆるさを楽しむエースたちの空間ではあったのですが、そんな感覚がチームになりきれるわけもなく、「勝負事になればエースたちだけで勝利を収めてくれるから、試合に出たくないときは出ないし、出ても記念試合」なんてことを当たり前の現実のようにみんなが受け入れていました。

私はそんなみんなが理解できませんでした。本当の仲間って、そういうものじゃないよね?今の状態は馴れ合いなだけだよね?けれど、誰の心にも響きませんでした。

みんなのことが、大好きでした。本当に大好きだったからこそ、心から繋がれないことに辛さを感じました。

ああ、力がなくちゃ何もできないんだ、自分はなんて無力なんだと思い知らされました。



クラスでは、当時私のグループは5人で、1年生の時の人とは離れてしまいました。その5人は、私+A(同じ卓球部のエース)とB(私の1年時の友達と同じ部活仲間であった、隣のクラスだったダンス部)とC(Aと同中で仲良し)とD(Cと仲良し)という形でした。

私+Aが卓球部、Bがダンス部、Cがバレー部、Dが野球部のマネ(中学時代元ソフト部)という、運動部の集まりでした。しかも、私意外の全員がガチな運動をしてきたメンバーでした。なので、どこかそのテンションの高さにもついていけず、まして部活動で悩んでいた私は、Aとの関係にも不満を感じ、次第にこのグループに居にくいなと感じるようになりました。

中学時代などを振り返ると、もとからグループに属すというよりはグループを点々とする、今でいう”無所属女子”だったのですが、高校1年生のときに群れることに慣れてしまったため、一緒にいなければならないという束縛感を勝手に感じていました。

クラス自体が女子が8割という女子高並みの環境だったのもあり、温かい反面、自由にふるまうことができずに面倒なときも多々ありました。


そんなこんなで、学校に行けばクラスで居場所がなく感じ、放課後になれば部活動で居場所がないと感じる、そんな生活が始まりました。




誰にも会いたくない


きっかけは些細なことでした。一度寝坊して学校を休んでから、学校に行かないことが増えました。行ったら心配してくれるみんながいるのは分かっていたのですが、その分みんなと一緒にいる時間を楽しめない自分が許せないという罪悪感も感じ、どうしたらいいのか分からなくなっていました。

学校に行かず、だからと言って昼間に家にいるという罪悪感もあり休むこともまともにできない毎日が続きました。友達の連絡にもなんて返したらよいのか分からず、親切にしてくれる人を無下にする自分に自己嫌悪する日々でした。親も次第に私の変化に気付き声をかけてくれましたが、当時の私は親に弱い姿を見せることができない人だったので、親との接点を無くしたく、部屋にこもるようになりました。

ここから、私のひきこもり生活が始まりました。


一年前の青春がまるで嘘だったかのように、毎日が地獄のような日々でした。一日のサイクルとしては、夕方に起き、夜に親が置いてくれた晩御飯を食べ、家族が寝静まった夜中にお風呂に入り、朝になって家族が起きるころに寝る。お風呂以外は部屋から出ずに人との接触を遮断した生活でした。

みんなの読んで良かった!