リアルな「ガウディ計画」の話 〜夢の後始末と、、、〜

前話: リアルな「ガウディ計画」の話 〜新たな改良と私の変化〜

このシリーズも今回で終了となります。長く読んでいただいていた皆様ありがとうございました。最初はTVドラマに共感できる部分を実体験を元に書き残そうと思ったんですが、最終的に目標がかなり変わってしまいました。それでも読んで頂いた人に何か響くものがあればと思います。


 さて、今回はいろいろなことをつらつらと書くのではなく、まずは結論から書いてみたいと思います。


 私は人体実験国内50症例が終わってから半年ちょっとが過ぎたタイミングで、この会社を辞めました。

 いろいろな出来事や思うことがたくさん重なって辞めるという選択肢を選んだんですが、いま思うとただ単に次の製品を開発しなければならないというプレッシャーや責任から逃げ出しただけでは、社内で研究開発という仕事に対して評価がされないことに腐っていただけでは?という気持ちもあります。

 しかし、人の命の重さを考えながら必死に製品開発をしていた頃に比べると、辞めた頃の私は明らかに『人の命の重さを考えない』開発者となっていたので、人の命を奪いかねないミスが出る前に辞めて良かったと思っています。

 ここまでお付き合い頂いているマニアックな読者の方の中には、『辞めた理由をもっっと詳しく!』と思われている方もおられるかもしれませんが、辞めた会社になんの許可もなくこのストーリーを書いている手前、軋轢になりそうな内容は控えさせていただければと、、、。



 またその後の開発した製品の運命ですが、、、私が作っていた物より少しサイズが大きなものが日本ではなく最初はヨーロッパにて無事に販売される様になりました。ただし、実際に販売されるのは私が会社を辞めてから8年後のことになるのですが、、、。


 いまでもたまに自分が働いていた会社のHPを見ているんですが、非常に残念に思うことは私が辞めて新しい開発員もどんどん入社して、製品の改良や新製品の開発に着手をしている様ではあるのですが、HPに掲載されている写真の幾つかはどう見ても私が作った製品の写真だということです。(ちょっと特徴的な部分があり、よく見ると私が作っていた時の癖がある部分が見えるので多分そうだと思います)

 辞めた後15年近く経過していますが、その間に目に見えるような進歩・改良がなされていないのでは?と思うと、非常に残念に思うとともに『私って実はすごい人??』と天狗になりそうになります。

(この自惚れた気持ちが私をダメ人間にして行ったのですが、、、これは治りそうにないですね)


 新卒で社会人になられる方の中に占める工学部出身者の割合は平成24年度で大凡15%くらいの様です。人数でいうと40万人前後程度です。

 その中で機械系の出身者、そして研究開発職に就ける人となるとその割合はさらに少なくなると思います。

 さらに自分が開発した製品が実際の現場で使用されたり、世界初の物を開発した人となると一体どれくらいに人になるのか全く想像つきません。


 3流私大出身で、実際に会社としてものになるかどうかもよく判らない私を採用し、辛抱強くある意味自由に開発をさせてくれた会社、それ以上に社長には非常に感謝をしております。(最後は喧嘩別れみたいな感じになってますが)


 そこで経験したいろいろなことが、その後私が幾つかの会社で仕事をしていく中で大いに役立っていますし、『あの時より精神的に辛くなることはない』と言う変な開き直りもあり、いろいろなことに対して自信を持って対応することもできる様になりました。


 現在は研究開発者としての仕事はしていませんが、気持ち的には常に開発者としての心を持ち続けていたいと思っています。

 まだまだ、少なくともあと20年くらいは私の仕事に関するSTORYは続いていきます。

                                     (終、、、のはず)

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