【2003年】ITからまさかの「お惣菜屋」 有限会社スダックス誕生秘話

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<サマリー>

・2002年10月COOL事業を楽天に売却後、友人(社長のKくん)が「もうITはいいわ」
・「もっと実業やろうよ。飲食儲かるらしいぜ」と安易なノリ
・「共働きの時代が来る。弁当の時代が来る」というマクロ予測
・「とりあえず会社作ろうぜ。社名はスダックスでいいじゃん」でアエリア会長、社長と3人で100万ずつ出し合って、2ヶ月後有限会社スダックス設立
・「ロードサイドの弁当屋」を目指し、出店先探し
・ラーメン屋、弁当屋のバイトを始めて、オペレーションを学ぶ
・千葉県市原市五井に一号店「好き味や」を出店(2003年6月)
・全く知らない土地(市原市)のアパート(4万円)に一人暮らしはじめる
・よく分からず、初期投資3,000万ぐらい使ってしまう
・店長として割烹着を着てレジ担当。毎日▲5万円前後の赤字がつづく
・「飲食より株のほうが儲かるかも」と言われ、午前中は株のデイトレード、午後に店番をやるようになる
・初めての信用口座を開設し、株の方でも大損をこく
・「人生、終わった」と思いかける。自律神経失調症みたいになる
・5ヶ月後の2003年11月に「好き味や」閉店となる


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僕は26歳だった。

僕は当時ソフトバンクグループの衛星放送事業(現スカパー)を立ち上げる会社員をやっていた。その会社員と並行して、新卒で入社したイマジニア同期の友人が起こした会社の手伝いもしていた。コミュニケーションオンライン(COOL社)という名前で、ファウンダー2名で有限会社でスタート。当時株式会社にするには役員が3人必要ということで、「ちょっとハンコ持ってきて」って言われてトモダチノリで取締役になっていた。江東区亀有の月6万円ぐらいのアパートで創業し、たまに呼ばれて仕事の後に夜にオフィスに立ち寄ったりしていた。

株式会社にした理由は「資金調達をする」ということらしく、その資料作成を手伝うことになった。当時、「資金調達」の意味はサッパリわからなかったし、ベンチャーキャピタル(VC)という存在も全く知らなかったのだけど、スカパーの経営企画室で会社員をしていて、さんざんエクセルやパワポをいじっていたので、その流れでそれっぽい資料を作ることが出来た。

僕の「それっぽい資料」をもって社長と一緒にベンチャーキャピタルを回ることになった。3社ほど回ってみて「いちばん有名なところがいいね」ってことで、最初のラウンドで大手のJAFCOさんからの出資が決まった。

その半年後ぐらいには、追加の資金調達も決まって、10社ほどのVCからの出資を受けた。僕は本業のソフトバンク子会社での会社員の方がクソ忙しくなってきて、COOL社への関与が薄くなっていった。

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資金は5億ほど集めていたかと思う。社員数もいつの間にか増えて30名ぐらいになっていた。外部取締役として忘年会などにだけは呼ばれるんだけど、すっかり知らない人ばかりになっていた。「会社がいい感じになってるので、COOL社に本格的にジョインしてくれ」と言われたので、早速、ソフトバンク社で辞表を出した。

辞表はすんなりと受け入れられなかった。当時、スカパーとは別で、ソフトバンクと光通信のジョイントベンチャーを立ち上げるってことで、初期メンバーとして5人足らずの子会社で日々死にそうになるほど働いていた。

40代半ばの元野村證券のボス(社長)から「なぜ、お前はこんなタイミングで辞めようとするのか?自分のやろうとしていることが分かっているのか?」と密室で問い詰められた。27歳の若輩者の僕は「少人数で仕事がキツすぎるし…。あと友人の会社を助けたいので...」などと下を向きながらモジモジと戯言を呟いていたら、「これは俺が持ち帰る」といったん保留された。

すぐに人数を補充するべく、僕の部下が採用された。給料も翌月から急に昇給された。僕の直属上司がCOOL社に「引き抜くんじゃねーぞ、ゴラ」って会社に乗り込んでいった。多くの「大人プレイ」によって僕の退職は却下となった。

そして社長からは「俺はお前のニーズに答えてやった、ゆえに、お前は辞めることは出来ない。お前が卒業できるとしたら、せめて会社が上場出来たら、だな」とメールが送られ、僕の退職問題は一旦収束した。


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ソフトバンク子会社での辞表すったもんだから2年が経った。5名ほどだった社員は100名ほどになり、僕は経営企画担当として29歳で部長職ぐらいになり、上場準備も担当して、無事上場した。

ちょうどそんなタイミングでCOOL社より、「会社の経営が本格的にヤバイので来てくれよ」と依頼があった。

ソフトバンク子会社では初期メンバーってことで会社の中では偉い方ではあったけど、所詮、上司の無茶振りを如何に実現するかの「社畜マシーン」だったので、友人が経営する会社であれば「もっと自由で、オモシロイかもなー」などと軽く妄想し、ふたたび辞表を出すことにした。

僕は元野村證券のボスから2年前に受信した

「お前が、卒業できるとしたら、 それは、 せめて会社が上場出来たら、だぞ。分かるな」

という完全にマウントポジションをとられたメールをずっと2年間「保存フォルダ」に保存していた。その最後通牒的なメールに

「おっしゃるとおり、このたびは無事に上場しましたので、そろそろ卒業させて頂きたいと思います」

と返信して、しっかりと「ロジック負け」しないようにして何とか辞めることが出来た。

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創業から上場までいたソフトバンク子会社を辞めて、正式に友人の会社にジョインした。29歳の夏だった。通勤先はソフトバンク本社のあった日本橋箱崎の20階建てオフィスビルから、赤坂見附の繁華街にある「足つぼマッサージ」って大きな看板のある5階建ての「よりボロい雑居ビル」に変わった。

社員数は30人ほどだった。役員や幹部はイマジニアの同期で構成されていたので知り合いだったけど、その他多くの現場の人達とはほぼ面識がなかった。

入社早々に株主総会があった。人生で初めての株主総会だった。
そもそもどんな会議だか良くわからなかった。

赤坂にある20席ほどの貸会議室みたいなところで行われた。
僕ら役員陣が前に座って、スクール形式で並べられた椅子に株主の方々が座っていた。
出席者は15名ほどだったろうか。多くはVC(ベンチャーキャピタル)の方で、僕が知っているのはJAFCOの方だけだった。僕が3年前に資金調達でプレゼンした時にお会いした方で、いつもとても気さくでニコニコされている印象だったが、その日は終始厳しい表情をされていて、隣りにいた上司の方はもっと厳しい顔をしていた。

僕は良く分からないまま、「初めまして」みたいな顔をしながら、前にちょこんと座ってオブザーバみたいな感じだった。
内容は前期の決算を報告しているようだった。1億だか2億だか忘れたけど、大きな赤字でずっと赤字ですみたいな報告だった。

社長からつらつらと報告した後、株主さんからの質問タイムになった。
出席している株主さんはみな厳しい表情をしており、冷たい視線がこちらに向けられた。

「何でこんな冷たい視線なんだ?ん、、、何なんだ、この会議は?」

って思った。

「何か、ちょっとヤバイところに来ちゃったかもしれない。。。」


株主さんが次々と挙手をして質問してきた。

何個か質問があり、どれも何か責め立てるようなものだった気がする。その中でも明確に一つ覚えているのが、

「社長。御社はずっと赤字ですよね?計画では来期1億の利益が出るって言ってますけど、ホントに出るんですかこれ?ウソじゃないよね?利益出なかったら、経営陣は辞めるんですよね?」

どなたがおっしゃったか忘れたけど、僕ら20代の若造よりはるかに年上の方だった。
その質問に対して、

「はい、そんときは辞めますよ!!」

みたいな回答だった。(実際の言い方はもっと丁寧だったと思うけど、自分の記憶にはこのように刻まれている)

「何なんだこの会議は。。。子どものケンカみたいなことになってるぞ。。。」


僕はこれまでの背景が全然分からなかったので、何が起きてるのか良く分からなかったけど、とにかく「トラブってるな」ってことは分かった。

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早急に会社を売却する方向で動くことになった。

入社後の最初の仕事が「会社の売却」になった。僕はこれまでの背景が分からなかったのでその意思決定の議論するうんぬん以前に、とにかくクロージングさせる「実行部隊」として動くことになった。

2002年当時、ITベンチャー企業の買収が出来る会社はヤフーと楽天の2社ぐらいしかなかった。ちょうど、楽天がインフォシークを買収したりして積極的だった。中目黒駅から徒歩10分ぐらいかかる楽天本社に通う日々。真夏のクソ暑い中、スーツ着て中目黒駅からK社長と二人で「あ〜、遠いわ〜、辛いわー」と汗を垂らしながら「楽天詣で」として日参していたのを思い出す。

中目黒なんてオシャレな街には人生で来たことが無かった。社会人になってから職場と自宅の往復な人生だったし、ほとんど内勤だったので仕事で外出することもほとんど無かった。

初めて中目黒の駅を降りて駅前の風景を目にした時「あ、一度だけここ来たことあるわ」と思った。ちょうど半年ぐらい前に、大学時代の悪友の「小野」と中目黒の居酒屋で飲んだことがあった。僕がソフトバンクの子会社をもう辞めようと思っていたころだった。

大学時代の悪友「小野」は、大学留年して新卒でアクセンチュアに入って、その後起業して会社を楽天に売却して、楽天の社長室みたいなところで働いているようだった。

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